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移動する人びとと都市空間‐アテネの現場から

山本 恵理(やまもと えり)
イタリア・ボローニャ大学大学院 国際人権協力専攻、ヒューライツ大阪インターン

 2026年1月から4月まで、私はギリシャ・アテネで移民支援(「移民支援」には庇護希望者や難民認定者支援を含む)を行うNGO、Glocal Rootsが運営するビクトリア・コミュニティセンターにて、インターンとして現地の活動に関わった。本稿では、アテネにおける移動する人びと(people on the move)の住まいをめぐる経験と実践について、私自身の体験やNGOスタッフへの聞き取りをもとに報告する。また、様々な人やモノが行き交うアテネという都市空間がもつ力についても考えてみたい。

アテネで暮らす-移動してきた人びと
 アテネ中心部北側のオモニア広場から、さらに約2km北に位置するアメリキス広場周辺までの裏通りでは、安定した住居をもたずに生活する人の姿が見られる。自宅と職場がちょうど両広場の間に位置していたため、私は道端に段ボールを敷いて休む人びとを日常的に見かけた。場所によっては、7~8人ほどが等間隔に並び、ブランケットをまとって夜を過ごしている通りもあった。
 アテネの路上生活者のなかには、ギリシャ国籍をもつ人もいるため、どれほどが移動する人びとかを示す正確な統計は存在しない。一方で、ビクトリア・コミュニティセンターには、住居支援を求めて多くの人びとが訪れており、彼女たち / 彼らたちの間には不安定な居住状況が広く存在することがうかがえた。
 ギリシャの庇護法(Law 4939/2022)第29条および31条では、難民認定者や補完的保護(難民条約上の「難民」に該当しないものの、帰国した際に紛争や深刻な人権被害に直面するとされた人びとに与えられる保護資格)を受けた人びとに対する社会扶助と住居へのアクセスが定められている。しかし、それらの権利が住居の確保に結びつくとは限らず、実際には移民支援団体が紹介できる住居支援はごく限られており、私が従事していたNGOでは寝袋の配布に頼らざるを得ない状況が続いていた。

安定した住居をもたない人びと――背景と経験
① 背景
 安定した住居をもたない状況は、個人の選択に還元できるものではなく、また単一の社会的・制度的要因による単純な因果関係によって捉えられるものでもない。とはいえ、アテネにおいて移動してきた人びとの住環境をめぐっては、繰り返し言及される背景がある。
 アテネの路上生活者について調査を行ったGouseti(2025)は、南ヨーロッパ型の社会保障制度は家族ネットワークへの依存が大きく、その国や地域に基盤を持たない人びとにとって、住居へのアクセスはもともと容易ではないことを指摘している。さらに、2009年にギリシャ政府による財政赤字の隠蔽が発覚したことを発端とする「ギリシャ経済危機」以降の社会保障の縮小や、2018年以降のオーバーツーリズムによる家賃高騰なども重なり、移動してきた人びとがアテネで安定した住まいを得ることは、ますます困難になっているという。 
 ソーシャルワークを専門とする移民支援NGO、Merakiのボランティアスタッフによれば、住居探しに関する相談は多いものの、国際組織による難民認定者向け住居プログラムは、英語能力や必要書類の所持に加え、性別や年齢など複数の条件を満たした人のみが申請可能であり、実際には案内できないケースがほとんどだという。また、EU主体の庇護申請者向け住居支援プログラムや、ギリシャ政府主導のプログラムも数年前に終了しており、多くの人びとがアテネ市街地を離れ、郊外のキャンプへ移動せざるを得ない状況が生じていた。住居について相談に来たとしても、現在案内できる支援はごく限られており、Merakiのスタッフは、「紹介できるものがない」と答えざるを得ない状況に置かれている。

② 経験
 ビクトリア・コミュニティセンターを訪れる人びとのなかには、家族で路上生活を送る人もいた。2026年2月頃、毎日のようにセンターに来ていたアフガニスタンにルーツをもつ6歳の子ども、トナ(仮名)は、路上生活者を狙った強盗によって、パスポートや滞在許可証を奪われることがあり、夜眠るのが怖いと私に話した。
 ある日、母親は、恐怖から夜尿してしまう子どものためにオムツを求めたが、当時、オムツ配布の順番待ちはすでに3か月先まで埋まっており、渡すことができなかった。オムツを渡せなかったことを、私は今でも時折思い出す。その後、家族はセンターに姿を見せなくなり、3月下旬には、センターから徒歩10分ほど離れた教会前で、トナと母親、そして二人の兄弟が座り込む姿を、ボランティアスタッフが目撃していた。
 また、アテネ郊外のキャンプ前で生活必需品を配布する移民支援NGO、Samaのスタッフからは、同伴者のいない未成年者向けの政府主導シェルターについて話を聞いた。その施設では複数人で部屋を共有しなければならず、教育環境も十分とは言えないという。スタッフは、それを「非公式」のシェルターだと表現していた。
 印象的だったのは、スーダン出身の青年の話である。彼はアテネ市内のシェルターで暮らしていたが、18歳の誕生日を迎えた深夜0時に、施設職員から荷物をまとめて出て行くよう告げられた。所持金もないまま移動した末、彼はSamaに助けを求めてやって来たという。しかし、代表が複数のキャンプに受け入れを打診しても、すべて断られ、最終的にできたのは、ホテル一泊分の現金を渡すことだけだった。 
 住居支援を求めても、実際の支援へと結びつかないケースは少なくない。私が活動していたNGOでも、他団体と協力して食事や衣類などの提供することはできても、住居についてその場で対応できることはほとんどなかった。移民支援団体同士の連帯だけでは限界があり、十分な財源を伴う支援計画、すなわち、多くの人が利用できる住居プログラムへのアクセスがなければ、人びとがソーシャルワーカーとつながることができても、安定した住まいへたどり着くことは難しい。

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センターから徒歩10分離れた教会前の広場

アテネの都市空間――移動する人びとを不可視化する力
 アテネで生活するなかで、支援の現場だけでは捉えきれない、都市空間そのものの使われ方が人びとの生活に大きく影響していることを強く感じるようになった。
 たとえば、ビクトリア・コミュニティセンターの周囲を歩くと、落書きの残る、かつて占拠(スクウォット)の場として使われていた廃ホテルや建物が目に入る。そこは、移動してきた人びとや移民支援を行う活動家たちが占拠し、自由が制限されたキャンプから逃れてきた人びとにコミュニティスペースを提供してきた場所である。住民自身が炊事や教育、清掃、意思決定を担い、それらの建物は政府の移民政策や、都市への権利を侵害する立ち退きへの抵抗の象徴としても機能してきた。しかし、こうしたスクウォットは「不法占拠」とされ、近年の取り締まりによって次々と閉鎖されていった。住民たちは難民キャンプや収容施設へ移送され、地域は観光化や再開発の流れに組み込まれていっている。
 先に述べたオモニア広場も2020年にリニューアルされ、「治安の悪いエリア」を刷新する目的で"綺麗で整った芝生"が敷かれたと聞いた。アテネでは、特定の人びとを都市空間から排除し、見えにくい存在へと押しやる力が、確かに働いているように感じられた。

住居をめぐる実践と都市での生き方
 移動してきた人びとは、単に規制や排除の対象にすぎず、支援団体の活動も不十分なものにすぎないのだろうか。私は必ずしもそうではないと思う。
 その理由のひとつとして、市内に点在する草の根NGOが運営するコミュニティセンターの存在がある。そこでは、移動してきた人びと同士が関係を築き、地元住民や海外から訪れるボランティアスタッフともつながっていた。こうした関係の広がりのなかで、人びとはオモニアからビクトリア、アメリケスへと続くアテネ中心部北側の地区で生活を営み、それらの地区を語る上で欠かせない存在となっていた。もちろん、この地区はしばしば「治安の悪いエリア」や「不法滞在者のいる広場」として語られ、地元の人から敬遠される側面もある。しかし実際には、そこには人びとが集まり、支援が行き交い、日々の生活がある。支援団体の活動は、移動する人びとを不可視化する力に抗い、その存在やそこに集う人びととの関係性をむしろ可視化している。
 また、ある日、コミュニティセンター近くの廃ホテルを何気なく覗き込んだとき、マジックミラーのような窓の奥から数名の男性たちがこちらを見返している姿があった。その住環境は決して良いとは言えないかもしれない。しかし同時に、私の知らないところで、移動してきた人びと同士のネットワークが広がっているのかもしれないとも感じた。そのとき彼女たち / 彼らたちは、単に排除される受け身の存在ではなく、都市のなかで関係を築きながら生活する人びととして私の目に映った。

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2020年にリニューアルされたオモニア広場

(2026年06月05日 掲載)