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シネマと人権20 : しっかり生き抜いてきたからこその言葉の輝き-「かづゑ的」

小山 帥人(こやま おさひと)
ジャーナリスト、ヒューライツ大阪理事

 瀬戸内海の美しい海を見下ろす坂道を電動の車で進む女性がいる。宮崎かづゑさんだ。
 岡山県瀬戸内市長島、ここの愛生園という施設では、かづゑさんら元ハンセン病の患者90名が暮らしている。スーパーで買い物をするかづゑさんは両手の指がなく、抱えるように品物を選び、店員がかづゑさんの財布のお金を数えて、代金を取っている。
 今は橋がかかっているが、かつては船でしか行き来できない孤立した島だった。そういえば、かなり以前、芝居の公演で長島を訪れた俳優がポンポン船で島に渡ったと語っていた。癩(らい)予防法で患者は隔離を強制され、かつては島を出る自由はなかった。

患者同士の差別がつらかった
 かづゑさんは10歳のときに、長島愛生園に入所、80年もの間、この島で暮らしてきた。その言葉は率直で、驚くほど生き生きしている。入所して苦しかったのは同じ患者からの差別だった。重症の患者は軽症の患者からからかわれ、かづゑさんのように子どもの時に入所したものは、大人になってきた人から、世間知らずだと非難され、馬鹿にされたという。差別されたもの同士の中での差別があるとは、つらい話である。
 死のうと思ったこともあるかづゑさんだが、面会に来てくれるお母さんのことを思うと死ねなかった。おじいさんも訪問してくれた。肉親から縁を切られた患者が多い中で、愛し合う肉親との交流がかづゑさんを支えた。

助け合って生きてきた夫妻
 かづゑさんは22歳の時、結婚する。今は取り壊されているが、海に面した素敵な場所に二人の家があったことを懐かしむ。2歳年上の孝行さんは、かづゑさんに比べると口数が少なく、飄々(ひょうひょう)とした感じで、いい感じの老夫婦である。
 しかし、誰にも別れは来る。孝行さんは94歳で亡くなり、骨壷を抱えて涙にくれるかづゑさんの気持ちが痛いほど伝わってくる。

天国でもあり、地獄でもある
「長島は不思議なところでねえ、天国でもあり、地獄でもある」。
 地獄を天国にするおおらかさ、天国の中に地獄を見つめる強さを、かづゑさんは持っている。
 日本では、「らい」(注)という言葉に染みついたネガティブなイメージを避けて「ハンセン病」と呼ぶ。だが、かづゑさんは違った考えである。
 聖書にも仏典にも出てくる言葉で、人間が長い間付き合ってきた病気だから「栄光ある道を歩いている」のだと言う。
 「らいっていうのは、らいであって。ハンセン氏が作り出したものではない。だから私はハンセン病というのは嫌いです。らいでいいんです」
 こう言い切るかづゑさんに強靭な精神力と清々しさを感じる。
 90歳を過ぎ、「人生の最終章に来た」かづゑさんは「よくやってきた」と自己評価をする。しっかり生き抜いてきたからこそ、その言葉が輝いている。

注:「らい病」の語源は中国で使われてきた癩病で、不治の病として長く偏見と差別の対象になっていたが、ハンセン氏によって菌が見つけられ、治療薬もできたことから、今では一般的にハンセン病と呼ばれている。
image0.jpeg                桜の木の下のかづゑさんと孝行さん
                  (c)Office Kumagai 2023

「かづゑ的」
監督:熊谷博子
撮影:中島広城
2023年/ 日本 / ドキュメンタリー/1時間59分
製作・配給:オフィス熊谷
4月12日京都シネマ、4月13日第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)で公開
https://www.beingkazue.com/


(2024年04月03日 掲載)