文字サイズ

 
Powered by Google

MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 交差性・複合差別
  3. 2. 当事者の声を聴く
  4. 「天から役割なしに降ろされたものは一つもないんだよ」(アイヌのことわざ)という生き方を【アイヌ×女性】

「天から役割なしに降ろされたものは一つもないんだよ」(アイヌのことわざ)という生き方を【アイヌ×女性】

【 インタビュー 】

浦川まき子

浦川まき子さんのお話を聴きました。
(聞き手:李杏理、2022年1月20日)


 私は、1964年北海道浦河町出身です。1983年に家族で東京都国立市に移り住みました。2009年から東京都八王子市で「マキコランド」を運営しています。マキコランドでは、珈琲の炭火焙煎やアイヌ刺繍のワークショップを行っています。

マキコランドについて

 以前は、保育園で障害児介助、保育補助の仕事や障害者施設の仕事をしていました。保育園で働く中で、障害もったお子さんが生まれたママたちの苦労を見てきたので、マキコランドに来たら一息つける、そんな場所にしたかったんです。コーヒー飲んでふぅっと力を抜ける場所にしたかった。それがマキコランドの始まりです。
 八王子に引っ越してきた40歳の時は、まだ刺繍もコーヒーもやっていなかったんですね。あるとき炭火焙煎珈琲に出会い、自分もやってみたいなと思い、そのお店に通い始めました。やっと時間ができて焙煎を習おうと思っていたら、一ヶ月後に師匠が亡くなってしまいました。その師匠が作ってくれた焙煎機を使って、師匠の亡き後、庭で焙煎を始めました。
 さらに、父が2008年の洞爺湖サミットに行く直前にまた刺繍を作ってくれということで刺繍を始めたんです。ちょうど刺繍にハマった頃です。それらが重なって自宅の庭に3畳の小さな小屋を作ったのがマキコランドの始まりです。
 10年くらいアイヌ刺繍のワークショップをやっています。周りから教えてって言われることが多くて、私は何もわかんないですよって言いながら、教える機会が増えました。アイヌ刺繍のことをみなさんよく魔除けっていいますけども、私自身やってきて、これは祈りだなって思ってるんです。一目一目、自分の大切な人が守られるように。自分がそばにいなくても、この着物が私の大切な人を守るように。山に入って暗くなって、獣が後ろから襲いかかって来ても刺繍を見てびっくりして帰るように、刺繍を入れていくんですけど。その着物が自分の大切な人を守るし、襲おうと思った獣も守るんだなって思ったんです。
 これが先祖の生き方なんだ。昔のアイヌは戦わないことを誇りにした民族ですって聞いたときにすごい衝撃を受けたんですね。その頃の私はすごく戦ってた。負けないぞって。こんな自分じゃだめっていう自分とも戦ってたけど、それを守りたくて周りにすごい肩肘張って守ってたから、戦わないでどうやって守るんだよって思ったんです。でもアイヌの先祖はね、仕返ししちゃいけないよ、この人たちだって辛いんだからねっていう言葉を残した。たくさんの人たちが北海道に入ってきて、追いやられてもなお、客人が来ればたくさん自分が食べなくてもたくさんお料理を作ってもてなして、その人が着るものなければ自分の着ている着物も脱いで差し出した。誰かが子どもを捨ててったらその子を育てるっていう言葉を聞いた時にね、それでいいんだなぁって思った。
 なんだか現代は自分を守るために相手を潰す、自分より相手を低くしてしまう。そうやって守ってることが多いと思うんです。そんなことしなくていい。刺繍していると自分がいい状態になったんです。とても気持ちが良くて、とても静かで穏やかで。だから自分と布と糸の世界を過ごしてるうちに、いろんな人に出会い、教えることになって。マキコランドにいるとなんの心配もなくなったし、なんの不安も無くなった時、ああ、こうやって先祖は大切なものを守ってきたんだ。マキコランドを続ければ続けるほど私が嫌だったトラブルとか不安とか不満を感じる時間は無くなった。刺繍をしながらそれに気づきました。

人との出会いや関わりにおいて大切にしていること

 保育園に勤めていた時、障害児のママが言葉にならないいろんなことを引き受けてしまうのを見て来ました。現代は障害が障害になる社会。そこを見直していかないといけないんじゃないかと思います。一人ひとりの特性や障害がダメとか、それがあるから色んなことが難しいんだよという考え方が多いですけど、アイヌの生き方だとそういう感覚ではないんですね。それぞれの役割で見ていくので、できないことがたくさんあっても、できることを伸ばしていく生き方なんです。病気や障害があるからダメというバツをつけない。全部丸にしていく。できないところも補い合っていく。一人ひとり得意なことがあるから。
 病気があっても障害があっても小さなお子さんでもご年配の方でもみんなここに来たらそのままでいいよ、だからおいで。こうだからダメっていうのはない。その人が来たいって言ったら、どうぞ。現代の人たちは、みんな頑張って生きてるのに、ダメ出しが多いですよね。否定は何も生み出さないのに。マキコランドでは、不安にさせるとか、萎縮させるとか、一切そういうことしないので、外のルールは一切持ち込まないでねって言っています。それにはウンザリしてるでしょ。それはいいから、ここ来たら。ここで自分の大切な時間とお金を使うんだから、1秒も無駄にすることなく、ゆったり、好きなように過ごしてねって言ってます。そのための掟があります。

 1. 遠慮しないこと
 2. だまっていじけて帰らないこと
 3. 自分のことを1ミリも粗末に扱わないこと

 アイヌにとってのカムイというのは上にいるものではなく、人間の力が及ばない全てのものです。自分自身もカムイだからね。自分の命を自分のものと思って粗末にしていっぱいいじめてるでしょ?でも自分の命もカムイだから、大事にしてウェンカムイ(悪いカムイ)にならないようにって教えてます。せっかくここ来て大切な人を守るために刺繍するのに自分が無理をしたり我慢したりするとウェンカムイになっちゃうから、無理してわーって作ったり頑張ったりすると刺繍がウェンカムイになって悪さするんだよ、それするんならコーヒーでも飲んでおやつ食べてゆっくりするんだよ。常に自分がウェンカムイにならないように自分をなでなでするように。
 アイヌのことわざに「カントオロワ ヤクサクノ アランケプ シネップ カ イサム」(天から役割なしに降ろされたものは一つもないんだよ)というものがあります。役割をもって生まれてきてるから、役割で見ればみんな何かの役に立つし、誰かの役に立つ。できないことは誰かがやってくれる。みんな補い合って生きていける。だから落ちこぼれは一人もいないんです、本来の生き方は。
 アイヌの中には、統一とか整列とか支配っていう考え方はないです。それを外してあげると、みんながお互いに助け合って補いあって、笑顔で生きていける世界があります。それを思えば、障害があっても病気があってもみんな対等に暮らせるんです。できないことがあっても、できる人が喜んで手を貸してくれる。そこに罪悪感とか、申し訳ないとかいらないんです。ありがとう、生きていける。だからマキコランドは、何かしようという時、何にも言わなくてもみんなが適切にポジションについてすっと動いてくれるんです。ここ来た人で「実は私は発達障害なんです」などと後から聞くんですが、ここに来るとそんなの一切感じないです。みんなが喜んで輝いて、いろんなことしたりしなかったりして過ごしてくれるので、ここに来たらなんの問題もなくなります。
 不登校の子もここに来たら大人によく気遣って、よく動いてくれるんです。だけど、外行くと生きづらいのはどうしてだろうと思うんです。からだや心は環境によって動きづらくなっちゃう。もう少しリラックスして自分の力を発揮できる環境にしていかなきゃいけない。来た人には自分のランドを自分の身近なところから作っていきなさいって言っています。まずはお家、友達から。現代は家族でもダメ出しして、厳しいですね。家はほっとできる場所にしないと。お家をもっとあったかくして、ゆるーくゆるんで過ごせる場所にしたらいいなって。家族といると本当に楽なのよっていう状態が理想です。特に、女性は色んなことを引き受けがちですが、女性は太陽なので、美味しいもの食べて、美味しいコーヒー飲んで緩んで笑ってるのが家族の平和なのではないかと思います。

アイヌ文化やウタリとの関わりで培ったもの

 私は38歳まで自分がアイヌであることが大嫌いで、本当に嫌でしょうがなかったです。だから父や叔母が一生懸命アイヌの活動をしていても、何も見たくなかったし、何もしたくなかったんです。
父が自伝(『アイヌの治造』)を出版した時に、アイヌに関わるいろんなことを始めました。関東と北海道の新聞に、この本を100冊づつプレゼントするという記事を掲載したのですが、私は妹と一緒にその連絡や発送を担当しました。分からないながらに精一杯動いてきて気持ちが変わるきっかけとなったのは、アイヌの先祖の教えです。ウタリ(仲間)たちが、一緒に活動するなかで先祖の心について話してくれたんです。九州に呼ばれて行ったアイヌの文化を披露する公演の舞台で一緒懸命話している言葉が、父に同行して同じ舞台にいる私の心にズドンと響いてきました。それまで私は、差別を受けるばっかりだと思っていたんですけれど、自分が一番アイヌのことを差別してたんだなって思いました。
 衝撃とともにすごく安心したんです。「ああ、これでいいんだ」。私自身が、相当力んでくたびれて、自分を否定し、自分はダメな人間なんだ。「アイヌだからダメなんだ」って常に思ってたので。保育園で子どもたちと過ごす時間以外の私は苦しんでもがいて。自己否定もしてたし、どうにもならないくらい、動けないくらい自分がダメな人間だって思ってたんです。トロくさい喋り方とか、物事じっくりやるところとか。スピード社会に乗っていけないそんな自分はだめなんだって。自分で自分を認められるチャンスがありませんでした。
 今はお陰様で一番リラックスした自分になれてますけど、19歳から38歳までの私は真っ黒けっけで、自分なんていなくなってしまえばいいって時々悩んで悩んで自分自身が透き通って消えてしまうんじゃないかって思うこともありました。19歳までは北海道にいたので、山の中の牧場で育ったんですが、東京に出てくると環境がガラッと変わりました。家族もみんなが忙しくなるから、気持ちもバラバラになったんです。
 私が誇りを持てるようになり、心を救ってくれたのは、アイヌの先人たちが残してくれた言葉でした。昔先祖がこんな風に生きてたんだよって、ウタリのみんながお客さまに向かって話してました。その言葉が私を救いました。そうだったのかと思えば思うほど私も感謝し、喜びに満ち溢れ、うつむいていた自分自身もちょっとずつ顔を上げられるようになって、今本当にゆるやかに、たくさんの人に伝えられるようになりました。だから私はアイヌの教えを大事にして今を精一杯生きている感じです。

アイヌであること、女性であること

 かつて、「自分がアイヌだからダメなんだ」というのは常に感じてましたね。やっぱりずっと生きづらさを感じる。職場の考え方も色々あると思うけど、やっぱり女性であるプレッシャーもありました。こちらはたくさんありすぎて言葉にできません。頑張って生きてるんだけど、自分ではトロくさいのがダメだと思ってました。でも今は逆にそれがいいって言われるから不思議だなと思います。私は物事をじっくり丁寧にやることを大切にしているので、自分の中に落とし込まないと次にいけない性分です。これまでの職場の人はそれを待つのが大変だったのかもしれないです。自分ではこうだからいけないんだっていう部分は、今はとっても生かされてます。私を否定しない人に今は守られてる面もありますし、自分のランドを作ってから、今は本当に安心して暮らせてる感じです。
 障害をもつ子どもたちも煽ったらパニックになって余計大変なことになるので、保育園でその子たちと関わると、こんな自分だからいいんだっていう自信がもてたのかもしれないです。誰もがカムイだなと思います。それでも標準とか評価とかいって下に見てるのはおかしくないですか?「この子たちを下に見ないで」って泣きながら怒ったんですけど。そこに気づけたのは多分アイヌの血の中にある記憶なのかなとも思います。だから本当に今は先祖に感謝してます。私はいかにもアイヌはこうですっていう生き方はしてないんですが、生活するなかで、こういうところが本来の生き方なんだって思えることがいっぱいあります。
 マキコランドに来た人たちとはアイヌの生き方は本来こうだったかもと感じることができます。ここにくる人たちは誰も何も否定しないし、本当に対等な関係も作れるようになりました。否定がなくて、ジャッジもない。でも、ただ私はこう思うんだけどねって言う。知らない人同士がウコチャランケ(互いに思っていることを言葉として降ろし、みんなに聞いてもらう)するようになった。ウコチャランケはとても大事です。
 ここに来たらお教室じゃないよ、みんなが実家に帰ってきたように過ごしてもいいし、やらなくてもいい。誰かが「わかんない」って言えば教え合って、昔はこうやって色んなこと学び合ったよねって言っています。刺繍にしても、私が全て教えるというよりも、一人一人が自分の心に聞いて布を選んだり模様を考えたり、自分と向き合い、カムイと向き合う時間なんです。それを私はただ見つめているだけ。
 それによって一番救われてるのは私です。私は何もできないのに一緒に刺繍したりコーヒー飲んだり、一緒に過ごすようになってたくさん色んな人と出会って、誰も何も否定しない。だからたくさんの人に守られてます。「そうなの、でも私はこう思うよ」っていう会話も自然とできるようにもなりました。
 家族との時間やつながりも私にとって大切です。以前働いていた障害者施設の副所長だった夫と再婚して、その人といると自分自身がとってもリラックスしてることに気づいたんです。夫は生まれながらに小児マヒで、電動車イスに乗って生活しています。夫といるとどこの誰よりも力を抜いて安心しきっている自分に気づいたんです。夫は障害があって電動車椅子であろうとも、「強さ」がある人です。その中で私がアイヌだからダメなんだっていうモードをいくらぶつけても、「それがどうしたの?」って言ってくれるんです。パワフルな父や叔母と私がぶつかり合って、もがいて泣き叫んで愚痴を言っても、「それがどうしたの?お父さんや叔母さんは立派だよ」って言ってくれるんですね。そういう風に対応してくれる人は今まで居なかったんです。それまで出会った人は「お前の親はアイヌだからこうなんだ、非常識だ」っていう否定の嵐だったんです。夫は初めて、何がどうであろうと「それがどうしたの?お父さんは立派だよ」って。私のことをアイヌだからこうだというよりただ私として見てくれたんです。それによって私自身の苦しい部分がどんどん離れていったんです。だからマキコランドの一番の理解者は、夫の功さんで、全てにおいて支えてくれました。どんな時も。
 家族でも友達でも、それぞれの居場所をつくることで、住みやすい空間が増えていきます。人に訴えてもいつそうなるかわからないので、ちょっとずつでも自分が始めたらいいと思います。この時間だけはこうするとか、ここだけは安心してできるみたいな場所を作ると、現状も少し変わってくるんではないでしょうか。難しく考えると途方に暮れちゃうので、今自分ができること。
本当に「みんな違うんだよ、違っていいんだよ」っていうことを落とし込むために、マキコランド刺繍では、図案も一切用意しないで、みんな違っていいんだよ、自分の指を使って模様を描きましょうっていう取り組みをしています。最後にね全員の模様を並べるとうわー本当に違うっていうのをね感じることができるので、その時間が今はとっても楽しい。ほら見て、違うでしょって。手の大きさも違えば、ラインも変わるのよって。その時間で落とし込める。違っていいし、違うことが楽しい。十人十色の刺繍。マキコランドではそういうことを一生懸命やっています。いろんな場面で。
 みんなが何も言わなくても自然と動いていくようになる。どんなに個性豊かであっても、病気があっても障害があっても、ここ来たらこんなに調和がとれてるので、そんな世界をつくることは可能なんです。人は黙ってても成長していくので、急かさなくてもただ見守ってるだけでいい。安心してみんなが取り組めたら役割が自然とできていってその役割の中でみんなが楽しく自然と過ごしてくれます。
 北海道にいないとアイヌの暮らしができないのではなく、どこにいたってできるんだよ、と思います。