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いないことにされる女たち【部落×女性】

【 エッセイ 】

宮前 千雅子

 わたしが学生時代を送った1980年代は、日本の大学に女性学の講座が開講されていく時期にあたる。わたしが受講した講義も、まだまだ数の少なかった女子学生の熱気があふれる教室のなかで行われた。その後も女性学はジェンダー研究へと射程を広げ、その研究の裾野は広がりつづけている。

 ただ、わたしにはそのなかで感じてきた違和感があった。たとえば日本女性にとりわけ特徴的とされるM字型就労曲線(学校卒業後いったん仕事につくが結婚や出産で退職し子育てが一段落後に再び働く)と自らの母親の生き方を重ね合わせるように語った友人。高等教育を受けながらもキャリアを諦めた母を批判的に語る友人。その多くが女性学、そしてジェンダー研究で語られるこれまでの日本女性のライフスタイル、すなわち「夫は仕事・妻は家庭」に象徴されるような女の生き方を、身近な存在であるかのように語るのである。しかしわたしの母や叔母など周囲の女性で、一時期であれ仕事を辞めて専業主婦になった女性など、ひとりもいなかった。ましてや高等教育に進んだ女性は、親族のなかでわたしが初めてである。ほとんど非識字状態の祖母のもとで育った母は、家業や家事の手伝いで小学校を卒業するのがやっとであった(兄2人の教育はある程度まで保障されたにもかかわらず)。なぜ、母たちの姿は女性学やジェンダー研究のなかには存在しないのか。

 またわたしの大学時代は、自らが部落出身であることを知り、部落問題と新たな出会いをしていく時期でもあった。兵庫県の被差別部落で生まれ育った両親は結婚を機に部落外で暮らすようになり、そのルーツをひた隠しにして生きていた。だが一人っ子であるわたしの大学入学を機に、声を潜めるようにそれを子どもに告げたのである。わたし自身、それをすんなりと受け止め切れずに悩むことにはなったが、同時にとにかく部落問題について自分で知ろう、学ぼうとした学生生活を過ごした。そしてそれ以降も部落問題に取り組み続けている。しかし、そこでもあることに気づく。女性の姿がみえないのだ。前近代はもちろん近現代においても、差別に呻吟し、抵抗の声をあげ、主体的に行動した部落民は大半が男性だった。やはり母たちの姿、そして祖母たちの姿も存在しない。

 女性の枠組みからも部落の枠組みからも漏れ出てしまう部落女性。なぜ、こうも部落女性の姿はみえないのか。それは女性学やジェンダー研究においてはマジョリティにあたる日本女性が「基準」とされ、また部落史や部落問題では部落共同体で権力をもつ部落男性が「基準」とされ、その「交差」を生きる部落女性の姿は不可視化されてきたからだろう。そしてその構造は女性問題に取り組もうとする仲間のなかで部落差別を訴えると「もう終わった問題」と等閑に付され、部落問題解決に関わる組織内で女性差別を指摘すると居場所を失う、というこれまでのわたしの体験と共鳴しあう。それは自らの体験を語る言葉の不在であり、女性差別と部落差別というそれぞれの枠組みにおける「わたし」の不在である。いるのにいないことにされているのだから。

 だからこそ、祖母や母、そしてそれ以外の多様な「交差」を生きる(た)女性たちの声に耳を傾けようと思う。そしてできることならば、次の時代の「交差」を生きる女性たちのためにも自分の声を残そうと思う。


(2022年1月31日原稿受付)