ヒューライツ大阪は6月12日、日本労働組合総連合会大阪府連合会(連合大阪)副会長で、2025年日本国際博覧会協会の人権ワーキンググループ(WG)委員の井尻雅之さんを講師に迎え、「ビジネスと人権」の視点から大阪・関西万博に焦点をあて、第2回「トークdeじんけん」を開催しました。
2025年4月13日から10月13日まで開催されている大阪・関西万博では、運営主体の日本国際博覧会協会が「SDGsの達成に貢献する博覧会」を掲げ、持続可能性を重視した取り組みを進めています。2021年に「持続可能性有識者委員会」が設置され、「脱炭素」「資源循環」「持続可能な調達」に関するWGが設けられました。さらに2024年には、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づく人権方針を策定し、人権デュー・ディリジェンスの実施を目的とした「人権WG」が立ち上げられました。
今回の学習会では、国際社会および日本国内における「ビジネスと人権」の最新動向をヒューライツ大阪の松岡秀紀特任研究員が紹介し、井尻さんが、万博準備段階から現在に至るまでの取り組みに関して労働組合の視点から報告しました。以下、報告概要です。
開催概要
日時:2025年6月12日(木)19:00~20:40(終了予定より10分延長)
形式:対面(ヒューライツ大阪セミナー室)とオンラインの併用
プログラム:
・19:00〜19:15 「日本におけるビジネスと人権の現況」
松岡秀紀(ヒューライツ大阪特任研究員)
・19:15〜20:20 「ビジネスと人権」からみた大阪・関西万博 ~労働組合の立場から~
井尻雅之(連合大阪副会長/2025年日本国際博覧会協会 人権WG委員)
・20:20〜20:40 質疑応答
日本における「ビジネスと人権」の現況
松岡秀紀(ヒューライツ大阪特任研究員)
企業の事業活動は、労働者のみならず、消費者や地域住民などバリューチェーン全体に関わる人々の人権に影響を及ぼします。企業には、こうした人々に「負の影響(人権リスク)」を与えていないか、組織として常に対応する責任があります。
日本国内の動向としては、2020年に「ビジネスと人権に関する行動計画」が政府により策定され、2023年には国連「ビジネスと人権」作業部会による訪日調査が実施され、2024年6月にその報告書が人権理事会に提出されました。報告書は、特に女性、LGBTQI+、障害者、先住民族・在日外国人・被差別部落などのマイノリティ、子どもといったグループが人権リスクにさらされているとし、その背景には、①労働市場における多様性・包摂性の欠如、②差別やハラスメント、暴力の蔓延といった課題があると指摘しました。
国連は2011年、以下の3つの柱からなる「ビジネスと人権指導原則」を策定しています。
1. 国家の人権保護義務
2. 企業の人権尊重責任
3. 救済へのアクセス
「企業は、人権を侵害してしまうリスクの防止・軽減と、実際に人権侵害が起こった場合の救済の両面で責任を果たす必要があり、人権方針の策定、人権デュー・ディリジェンスの実施、そして人権侵害の申し立てを受け付けて救済に結びつけるためのグリーバンス・メカニズムの整備が求められています。
日本企業の取り組み状況について、2021年に東証一部・二部上場企業等を対象に行われた調査によれば、人権デュー・ディリジェンスを実施している企業は52%(392社)、未実施または不明と回答した企業は48%(368社)でした。さらに、実施企業のうち、間接仕入先まで調査を広げている企業は約25%、販売先・顧客まで行っている企業は10〜16%程度にとどまります。
「ビジネスと人権」からみた大阪・関西万博 ~労働組合の立場から~
井尻雅之(連合大阪副会長、万博協会人権WG委員)
【1】「ビジネスと人権」の背景と国際的な動向
国連の「ビジネスと人権指導原則」は、グローバル・スタンダードとして広く認知されていますが、法的拘束力のないソフトローです。一方、欧州を中心に法制化が進んでおり、2024年7月にはEU「企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令」が採択され、ハードロー化の流れが加速しています。
日本では2020年に「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」、2022年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定されましたが、法的裏付けのなさや、政府から独立した国内人権機関の不在が課題とされています。またILOの中核的労働基準(5分野10条約)のすべての分野でジェンダー平等を意識した取り組みが必要で、そのうち、日本は未批准の第111号(雇用・職業における差別撤廃)、第155号(職業上の安全および健康)がありますが、第155号については2025年5月に国会承認され、批准に向けた手続きが進行中です。
【2】労働組合の役割と取り組み
労働組合が日常的に取り組む人権課題には、労働災害、安全衛生、ハラスメント、差別、外国人労働者への人権侵害や強制労働などが含まれます。連合は、2025春闘方針において、賃金交渉に加えて人権に関する取り組みの明確化、教育研修の実施、人権方針の策定、労使協議の場の確保などを掲げ、企業に対する働きかけを強化しています。また、サプライチェーン全体を含む人権デュー・ディリジェンスの構築や検証、情報開示も求めています。労働組合が「ビジネスと人権」に取り組む意義は、経営上のリスク低減だけでなく、人権が尊重される社会を築くための責務を果たす点にあります。企業に対して「ビジネスの視点」だけでなく「労働者の人権の視点」からの関与が求められます。また、交渉や要請時に今後は「これって、ビジネスと人権の観点から大丈夫ですかね?」と確認していくことが重要だと考えます。
連合は、国連「ビジネスと人権指導原則」の三本柱(国家の人権保護義務、企業の人権尊重責任、救済へのアクセス)に沿った取り組みを、本部、産業別組織、単組、地方連合会のそれぞれの立場から展開しています。例えば本部では、春闘方針の策定や政府への政策提言、国際的なネットワークとの連携を通じて、全国的かつ国際的な視点での課題対応を行っています。産業別組織は、各産業分野における国際産別組織との連携を深め、グローバル・サプライチェーン全体での人権尊重を促進しています。また、地方連合会においては、地域レベルでの実践として、十分ではありませんが、地方自治体や経済団体、人権団体との協議・連携を進め、人権に配慮した地域社会づくりに取り組んでいます。
2024年のビジネスと人権作業部会報告では、労働組合が企業の人権尊重を促す役割を担っているとし、公正な労働環境を支える基盤的な存在として明確に評価されています。このように、労働組合は「ビジネスと人権」を推進するうえで、社会に積極的な影響を与える主体とされています。
【3】持続可能な万博開催と人権への取り組み
大阪・関西万博では、「脱炭素社会の構築」や「循環型社会の形成」、「誰ひとり取り残さないインクルーシブな運営」を基本方針に掲げ、持続可能な開催を目指しています。その一環として、国際規格である ISO 20121(持続可能なイベントマネジメント)を取得し、2024年4月には「人権方針」も策定されました。背景には、2020年ドバイ万博や2021年東京オリンピック・パラリンピック、2022年サッカーワールドカップ・カタール大会などでの移民労働者に対する人権侵害(パスポートの没収、賃金未払い、強制労働など)が批判されたことがあります。こうした経験を踏まえ、大阪・関西万博では国連「ビジネスと人権指導原則」に基づき、人権尊重の取り組みが進められています。具体的な取り組みは、人権方針の策定と遵守、人権リスクの評価(負の影響の特定)、リスクの防止・軽減策(研修等)、苦情受付窓口の設置(救済アクセスの確保)です。
また、人権方針は以下の8つの柱から構成されています:
1.前文
2.人権の尊重(実施主体、責任の所在、国際基準の参照)
3.人権デュー・ディリジェンスの実施
4.ステークホルダーとの対話
5.参加者やサプライヤーへの周知・共有(持続可能性に配慮した調達コード遵守)
6.救済(苦情対応のための枠組・負の影響への対応と救済)
7.教育・訓練(職員・関係者向けの継続的啓発)
8.情報開示(ウェブサイトや年次報告書を通じた透明性の確保)
さらに、2024年6月には、人権を中心課題として位置づけた「人権ワーキンググループ(WG)」が新たに発足しました。旧ジャニーズ事務所や宝塚歌劇団に関連する問題を契機として社会全体で人権意識が高まる中、大阪・関西万博では初めて、人権デュー・ディリジェンスに取り組む方針が打ち出されました。
【4】人権デュー・ディリジェンスの実施
人権DDとは、以下の4つのプロセスを通じて、人権への影響を継続的に把握・対応していく取り組みです:
1.人権への負の影響の特定(可能性のある人権侵害を特定)
2.負の影響の予防・軽減(人権侵害が起こらない仕組づくり)
3.チェック(評価)
4.情報提供(開示)
大阪・関西万博では、人権課題として、日常業務や会期中の会場内でのリスク、サプライチェーン上の労働環境、報道・広告における表現のあり方などが確認されました。部局ごとのアンケートにより「差別やハラスメントの禁止」などの共通課題を明らかにし、労働時間や安全衛生といった個別課題には追加のヒアリングを実施。これを受けて、時間外労働の事前申請の徹底、健康状態の確認、産業医との面談、相談窓口の設置と周知、協会内での研修などの対応が講じられました。また、建設現場における熱中症対策や、外国人労働者向けに母語による注意喚起文書の徹底など、労働環境改善への具体的な取り組みも行われました。
【5】ステークホルダーとの対話
建設現場や交通インフラに関わる労働組合との意見交換を通じて、現場の声を把握するためのヒアリングが行われました。国際建設林業労働組合連盟(BWI)の日本代表からは、万博建設現場において大きな不満の声は聞かれず、特に夏季の暑熱対策が労働者に好評だったとの報告があった一方で、「特定メーカー製の安全器具の使用を求められ、費用負担を強いられた」といった課題が指摘されました。また、全日本交通運輸産業労働組合協議会との対話では、万博期間中のバス運転手不足が懸念されている中、労働環境や人材確保に関する課題が共有されました。
【6】救済・人権侵害への対応
大阪・関西万博では、人権やサプライチェーンに関する課題への対応として、2種類のグリーバンス・メカニズム(苦情処理制度)を運用しています。ひとつは博覧会協会に関わる人権課題に関する通報制度で、2025年3月時点で6件の通報が寄せられています。もうひとつは、2024年7月から運用が始まった「持続可能な調達コード」に基づく専用窓口で、こちらは2025年4月末までに4件の通報があり、専門家による助言委員会の監督のもと対応されており、その処理状況は日本国際博覧会協会公式ウェブサイトを通じて順次公表しています。
なお、この公式ウェブサイトを通じた人権侵害対応に関して、通報から案件の終了、情報開示に至る一連のステップにいくつかの課題があることが指摘されました。主な課題として、通報フォームがWordファイルで提供されているため、必要事項を入力後にメールで送信する必要があり、簡単にアクセスしづらいことが挙げられます。また、多言語での対応がなされていないことや、グリーバンスの受付・処理状況に関する資料が公式ウェブサイト上で見つけにくいことも問題点として指摘されました。さらに、こうしたグリーバンス・メカニズムが万博運営の中で存在していること自体が十分に周知されていないことも課題となっています。
(※編集注:以下、協会の通報受付対応に関する詳細が掲載されているリンクです)
・「人権通報受付窓口」https://www.expo2025.or.jp/overview/sustainability/#sec_notify
・「持続可能性に配慮した調達コード」https://www.expo2025.or.jp/overview/sustainability/sus-code/
【7】さいごに
「ビジネスと人権指導原則」は、今や国際社会における共通のルールであり、今後さらにその要請や実効性の強化が進むと見られています。ひとたび人権侵害が発生すれば、企業の社会的信頼や評判の大きな低下につながります。労働組合の組合員も、事業活動の中で人権侵害の「加害者」にも「被害者」にもなり得る存在であることから、労働組合は重要なステークホルダーの一つであると認識しています。だからこそ、労働組合として「ビジネスと人権」を難解に捉えるのではなく、あくまで「職場を起点とした実践的な取り組み」をすることが重要です。
一方で課題として、日本の大手グローバル企業が国内での構造改革やリストラに際しては労働組合と協議を行う一方、海外工場の閉鎖などの際には、現地労組との労使関係のないことを理由に対話が行われないケースが見られます。こうした国際的な労使関係の課題にも、労働組合がどのように関与していくのかが問われています。また、労使の指導者層に人権に対する認識が不足している現実もあり、今後は人権に関する教育や能力開発を体系的に進める必要があります。
(構成:山本 恵理・ヒューライツ大阪インターン)
報告する井尻雅之・連合大阪副会長( 正面中央)と
松岡秀紀・ ヒューライツ大阪特任研究員(向かって右)
<参考>
博覧会協会人権ワーキンググループ
https://www.expo2025.or.jp/overview/sustainability/humanrights/