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人権博物館雑感―第4回人権教育国際会議に参加して

 2013年11月21日~26日に、台湾の台北で開催された第4回人権教育国際会議(主催:東呉大学張佛泉人権研究センター、同大学政治学部人権プログラム)に招待されて、私(ジェファーソン・R・プランティリア)が、ヒューライツ大阪の出張として参加してきました。

 この会議には世界各国からの参加者がありましたが、プログラムの一環として人権博物館に関するパネル・ディスカッションが行われました。パネリストは、3人で、ドイツの「Berlin-Hohenschönhausen記念館」、チリの「サンチアゴ記憶と人権博物館(The Museum of  Memory and Human Rights of Santiago)」、そして2014年に開館予定の「カナダ人権博物館(the Canadian Museum for Human Rights)」の代表の人たちでした。この3つの博物館は、完全に政府機関など公的な支援をえて運営する博物館です。討論の中で、私は、カナダでは大規模で現代的な人権博物館をオープンにする一方で、日本では、おそらくアジアでもっとも古い博物館の一つであろう大阪人権博物館(リバティおおさか)がその存続が危ぶまれる状態であることを述べて、人権博物館を通して人権侵害を記憶にとどめようとすることに反対する動きに対し、それぞれの国ではどう対応しているのかと質問しました。すると3人のパネリスト全員が、自分たちも確かにそのような反対があったが、過去の出来事、特に人権侵害については二度と繰り返さないためにも若い世代に理解してもらう必要があることを市民に強く訴えかけ、その声を集めなければならないと答えました。
 台湾には、台北と緑島(リュイタオ)の2か所に人権博物館があります。台北にある景美(ジンメイ)人権博物館は、かつて軍が管理していた施設があり、戒厳令時代(1960年代から80年代のいわゆる白色テロの恐怖政治時代)には、政治囚の拘置所として使われていました。収容された人の中には、軍事法廷にかけられた元大統領や元副大統領のような人物もいました。緑島は、陸から離れた孤島で、2つの施設が保存されています。一つは、1950年代の多くの知識人が逮捕され、長期の禁固刑(死刑も含む)に処せられた時代に作られたものです。そこには長期刑を科せられた人が「再教育」(教育的リハビリテーション)のために送られました。二つ目は、白色テロ時代に作られた施設ですが、当時の景美拘置所から送られてきた収容者の一部が移送されました。私は、国際会議の関連プログラムとして、これらの人権博物館を訪問する機会を得ました。リバティおおさかの存続に力を尽くさなければならないと心新たにしました。

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緑島のニューライフ・キャンプの建物跡

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緑島人権記念公園  犠牲者の名前が壁に刻まれている

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ニューライフ・キャンプでの再教育の授業の一場面