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特別寄稿:有害物質に関する国連特別報告者の報告書『永遠の化学物質と人権』にみる環境的不正義と企業の社会的責任――日本における水質基準および日本企業の責務についての一考察

小橋 かおる(こばし かおる)
有害物質に関する人権擁護者

1. PFAS問題の「人権問題」への再定義

 有機フッ素化合物の一種であるペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物(以下、PFAS)は、その極めて高い環境残留性と生体蓄積性から「永遠の化学物質」と称され、近年の環境科学および公衆衛生学における最重要課題の一つとなっている。有害物質および廃棄物に関する特別報告者、マルコス・オレリャーナ氏が、20269月ー10月の国連人権理事会に向けて7月に提出した報告書『永遠の化学物質と人権』(以下、報告書)は、従来の化学物質の安全な濃度設定やその科学的妥当性を巡る環境基準値論争にとどまっていたPFAS問題を、「人権の侵害」として明確に再定義した点で、国際社会にきわめて重大な一石を投じるものである。

 本稿では、報告書が指摘する環境的不正義による国際的な規制の格差と、それに伴う日本政府の水道水基準値の妥当性を検証する。さらに、報告書が提示したPFAS関連企業に対する厳格な勧告、とりわけ金融機関に対するPFAS関連プロジェクトへの融資回避の勧告のリスクを踏まえ、世界主要PFAS製造企業12社の一角を占める日本のダイキン工業株式会社(以下、ダイキン工業)を事例として、グローバル企業が負うべき人権デュー・ディリジェンスおよび情報開示の責務について考察する。

2. 水道水基準値における国際的格差と「環境的不正義」

2.1 規制水準の不均衡に関する指摘

 報告書において、特別報告者は飲料水中に含まれるPFASの基準値に関する多国間比較を行い、パラグラフ75では、日本が2020年に主要なPFASの一種であるPFOAおよびPFOSを合算で 50 ng/Lという暫定目標値(行政が水道水を管理するための目安)を設定し、2026年にはそれを水質基準(水道法に基づいて水道事業者が遵守しなければならない基準)に移行させたことに言及したうえで、その基準値は米国がPFOAおよびPFOSについて各4 ng/Lであり、スウェーデンが設定している4 ng/L12倍以上ゆるい水準だと鋭く指摘している。

 続いてパラグラフ7677では、沖縄の米軍基地周辺の甚大なPFASによる水質汚染と、フランスでのPFAS規制強化に言及し、パラグラフ78では、居住地によって住民の健康リスクが左右される現状に対し、人類は皆、同じ生物学的性質を共有しているにもかかわらず、安全な水への基本的人権が十分に保護されないという環境的不正義による格差を生み出しているとして、強い懸念を表明している。

 すなわち、人類が同一の生物学的脆弱性を有する以上、許容される有害物質の曝露量に地理的・政治的境界が障壁として介在することは、国際法が保障する「生命、健康、および安全な飲料水に対する権利」の不平等な享受を意味する。欧米諸国が予防原則に則り、基準値を厳格化させているのに対し、日本の現行基準値(50 ng/L)が、国際的標準から乖離している事実は否めない。

2.2 日本政府への提言として

 日本政府がPFASについてこのような緩慢な水質基準を設定した背景には、内閣府食品安全委員会の「PFASリスク評価書」における慎重姿勢がある。同評価書では、PFASの発がん性や次世代への影響といった有害性について、「疫学的証拠が一貫しておらず限定的である」「因果関係を確定するには証拠が不十分である」との論理が繰り返され、これが現行基準の科学的根拠とされた。

 しかしながら、同委員会がリスク評価の拠り所とした参考文献には20年以上前の研究成果が挙げられ、近年の膨大な疫学調査や最新の毒性学知見が十分に反映されているとは言い難い。

 科学的確実性の欠如を理由に規制を躊躇すべきではないという「予防原則」は、現代の国際的な環境法の核心的な方針のひとつである。日本政府には、国際社会からの名指しとも言える今回の指摘を真摯に受け止めるとともに、最新の科学的知見を踏まえたPFASリスク評価の再実施、および欧米水準に準拠した水道水基準値の早急な強化が求められている。

3. PFAS製造企業に対する国際的包囲網と経済的リスク

3.1 外部不経済の創出と汚染者負担の原則

 報告書は、パラグラフ34において、PFAS技術の維持が一部の独占的企業の利益に寄与する一方で、社会全体に莫大な外部コストを押し付けている構造(第三者にマイナスの影響をもたらす外部不経済)を痛烈に批判し、世界の主要PFAS製造企業12社に言及している。

 続くパラグラフ36では、PFAS汚染をめぐる「人権保護」において、確立された環境法の諸原則が極めて重要であるとし、まず、被害の外部化に対しては「汚染者負担の原則」に基づき、汚染企業の責任を明確にすべきであること、また、企業がリスクを認識しながら隠蔽・虚偽情報を流布した事実は、「科学を享受する権利」や「環境被害の防止原則」に関わる問題であること、さらに、多くのPFASが持つ高い残留性とその毒性から、個別物質の対応にとどまらず、PFAS全体を包括的に規制する「未然防止原則」および「予防原則」の適用が不可欠であるとしている。

 そして、これらの見解に基づき、 特別報告者はパラグラフ99において、金融機関にはPFAS関連プロジェクトへの融資回避を、また企業にはPFAS関連情報の開示を含む勧告を出している。

3.2 日本企業への提言とダイキン工業をめぐる課題

 日本の多くの企業は、環境省が設定した現行のPFASの水道水の水質基準値や河川などの指針値などの遵守を法的なセーフティネットとして認識し、現状維持の方針を継続している。しかし、欧州連合(EU)や米国をはじめとする国際社会、ならびに国連が主導する国際規範は、日本の国内法制化を遥かに凌駕する速度で変革を遂げている。今日、化学物質管理は単なる法令遵守の枠組みを超え、「ビジネスと人権に関する指導原則」に直結する人権デュー・ディリジェンスの課題へとシフトしている。すなわち、企業にとってPFASの製造・使用の継続は、単なる環境リスクにとどまらず、「深刻な人権侵害への加担」とみなされるリスクをはらんでいる。これはグローバル市場におけるブランド価値の毀損、ひいては市場そのものを喪失する最大の経営リスクとして認識されなければならない。


 上述のパラグラフ34の注釈などにおいて言及される世界主要PFAS製造企業12社には、日本を本社とするダイキン工業とAGCが含まれている。報告書において示された企業に対する勧告は、日本の化学産業、とりわけ住民による公害調停(202512月、ダイキン工業淀川製作所周辺住民ら803名が人体、地下水、土壌等の汚染や地盤沈下のおそれを理由とする公害調停を大阪府公害審査会に申請)の対象となっているダイキン工業(淀川製作所)のガバナンスに対して極めて重要な示唆を与えている。報告書に盛り込まれた企業への勧告のうち、金融機関へのPFAS関連プロジェクトへの融資回避は、その対象に、同社が指定され得ることを事実上意味している。さらに、「PFAS関連情報の開示」が厳格に求められており、同社が長年製造してきたPFOAや、その代替物質としてのPFASの製造量・環境排出量に関する情報開示の遅れは、近隣住民による公害調停という手続きを待つまでもなく、国際規範に照らして即時開示されるべき対象である。同社が国内法遵守のみの姿勢を改め、データ開示や環境負荷低減に向けた人権デュー・ディリジェンスを徹底することが不可欠である。


<出典>

<参照>

(2026年08月28日 掲載)