MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 新しい国の小さな国内人権機関より2: ちゃんと準備はできているか?―日本の活動家への教訓

新しい国の小さな国内人権機関より2: ちゃんと準備はできているか?―日本の活動家への教訓

中村 隼人(なかむら はやと)
スペイン国際協力開発庁
東ティモール民主共和国・オンブズマン事務所機能強化プロジェクト
経済社会文化権に関する国際コンサルタント

 東ティモールの国内人権機関に来てから2カ月になろうとしている。この間、地方のモニタリング活動にも同行し、一般市民への啓発の機会も設けるなど、東ティモール社会に触れる機会も増えてきた。そんな中でも少しずつではあるが国内人権機関らしい部分も見えてきた。特に、国内人権機関がない国からきたものとしては、指導に当たっての様々な障害が、実は多くの教訓を学ぶ機会ともなっているのではないかと日々感じている。前回は機能をさせる難しさを紹介したが、今回はこちらの経験から、日本における国内人権機関設立にあたっての教訓となるであろうさまざまな障害についてお伝えしたい。

人権侵害通報への準備

 主に問題となっている人権侵害の通報は警察や軍部における人権侵害、学校における体罰である。UNDP(国連開発計画)が行った拷問に関するトレーニングでは、スタッフの間で「拷問なのか制裁権なのか」というテーマでかなりの議論になった。UNDPのトレーナーがオーストラリア人およびブラジル人、ともに体罰は絶対許されない環境下にあることもあり、東ティモールと感覚がずれていたようで、東ティモール人スタッフの体罰の解釈は一昔前の日本のようである。トレーニングでは結局、「東ティモールにおいては、体罰の恒常性(複数回同じ生徒に対しての行為が認められた)、あるいは一回の体罰が身体の機能に重大な影響を与えるようなものであることを審査の対象とすべきだ」という結論に落ち着いた。
 教育機関における体罰を含むトラブルは、日本においても国内人権機関が設立された際に多くの通報が予想されるのではないだろうか。人権機関が仮にできたらどのような通報が寄せられるか、それがどれだけ寄せられるのか、それをどのように処理するのか、どのぐらいの速さで処理するのか、そしてどれだけの人員が必要となるのか、想定して準備をしておく必要がある。

一般社会とのつながり

 日本でも「何が人権侵害になるのか」が人権機関設立に際しての大きな話題になっている。一方、経済社会文化権に特化して当地において指導している身としては、そうした話題自体が人々に浸透しているかどうか、人権という問題がどれだけ人々の関心事項として届いているかがまず気になるところである。東南アジア最貧国、アジア全体で見ても人間開発指標においてアフガニスタンに次いで悪い数字を出している当国では、経済社会文化権に関して危機が蔓延していることは言うまでもないが、経済社会文化権は特に、その権利の侵害としてとらえるのかどうかが、非常に難しいがために、被害者の通報につながるかどうかが気にかかるところである。
 しかし、当国の政府機関一般にも言えることかもしれないが、広報が非常にお粗末である。別件でディリ市内に居を構えるコミュニティラジオ局に行ったときは、オンブズマン事務所にしっかりコンテンツを作ってもらいたいと説教を受けた。地方にモニタリングに行ったときには、アドバイザーとして「オンブズマン事務所を知っているのか
?」と追加の質問をすべての関係者にして、スタッフにしっかりとオンブズマン事務所の役割や人権侵害の請求を受け付けることを説明させ、少しは広報が足りないことはわかってもらえたかもしれない。しかし、オンブズマン事務所のパンフレットは文字ばかりで普通の人なら読む気にならないだろうと思うものばかりで、もう少し一般市民としての感覚に回帰してほしいと願うばかりである。
 オンブズマン事務所は市民からの不満受付だけでなく、政府の独立した人権アドバイザーでもあるため、モニタリングの一環で経済社会文化権に対する危機に関し、行動が起こせないわけではない。しかし、国全体の経済レベルが低い中、危機の中の危機、つまり経済社会文化権に対して一番脆弱な人々の経済社会文化権侵害の救済、そしてそうした人々の参加による人間開発計画が、経済社会文化権の実施の大原則(経済社会文化権侵害に関するマーストリヒト・ガイドライン、パラグラフ
14)であり、彼らがまず通報できることがオンブズマン事務所の活動にとって重要である。また、オンブズマン事務所の職員も国家公務員、つまり国のエリートであるうえ、インフラが未整備なためにアクセスが困難なことも重なり、彼らの知識・良心だけで社会の最下層の人々に近づけるのか、疑問を感じざるを得ない。食料危機が起こったほどの、人間開発指数の低いアイレウ県にモニタリングに行った際も、インタビューをした学校どこでも、すべての子どもたちが教育を受けることができていると言う。オンブズマン事務所職員が本当に脆弱なコミュニティに近付けていないのか、それとも学校側の「すべての子どもたちが教育を受ける」ということの理解が浅いのかわからないが、いずれにせよ、脆弱な人々自身による通報が不可欠である。日本の国内人権機関を作る運動も、ぜひ広報にもっと力を入れて、多くの市民を巻き込んでいただきたい。

オンブスマン事務所.jpgのサムネール画像

オンブズマン事務所

言葉の問題

 こちらに来て一番の悩みが言葉である。これまで、NGOの一員として、あるいは開発協力の仕事の関係で、世界各地で仕事をしてきた経験から、言葉の差異に関しては自分ではかなり寛容なつもりではあるし、当国の公用語になってしまったポルトガル語も読むのはほぼ問題なく可能である。しかし、多くのスタッフは現地優位語のテトゥン語しか話さないし、話そうとしない。読む能力に至ってはその姿勢は歴然である。UNDPが主要国際人権条約と一般的意見(または勧告)の重要なものを抜き出して、それをテトゥン語に翻訳し、それぞれのスタッフが国際条約集として手にしているが、その内容は圧倒的に自由権規約や拷問等禁止条約に集中していて、社会権規約や、とりわけ「もう問題が終わった」とみているのであろうか人種差別撤廃条約に関してはお粗末な条約集となっている。しかも、新たな国際基準や基準の改定は随時行われており、昨年も社会権規約委員会から重要な基準が発表されている。オンブズマン事務所の職員はテトゥン語への翻訳を待たずに英語、または少なくとも他の国連公用語にて、こうした最新の国際基準を随時チェックし、基準の利用・普及に取り組んでいく必要があるが、そうした対応は言語の壁により、期待できそうにない。
 しかし言語の問題は、日本にとっては、より耳の痛い話ではないだろうか。日本からは条約審査の度に数多くの
NGO参加者がジュネーブ、あるいはニューヨーク入りするが、通訳に頼らなければいけない人々も多く、自前で通訳を準備できない場合は他の団体に頼ることになる。さらに私がジュネーブにいた2004-2005年においても様々な会議の場で、NGOが国連「ツアー」を組むこと、そして大学研究者がNGOに国連会議の傍聴を相談するといったことがあり、そうしたアレンジに奔走していたNGO事務局員なども目にすることが多かった。国内人権機関で国際的な指導をしている立場としては、日本における国内人権機関が仮に国際的な活動が可能な機能を備えたとしても、政府はまだしも、NGOや大学等他の関係者にとっての翻訳会社や、「国際機関詣で」専用の旅行会社とされてしまうことを危惧してしまう。
 こちらで指導する立場としてはやはり所員はプロであることを前提としているわけであり、日本の国内人権機関も翻訳を待たずにすぐに行動のとれるプロで構成されるべきである。市民社会の国際的な基準への参加の支援をするのは当然ではあるが、それは翻訳や旅行の斡旋ではなく、人権侵害の早期警告といったツールの利用や市民レベルにおける勧告の履行例の共有など、人権の仕事における、最新の国際基準の十分な活用に力がそそがれなければならない。

幅広い国際指標の察知能力

 経済社会文化権を担当する中で一番難しいことに、人権からのアプローチがどれだけ各分野の開発アクターに受け入れられているかという本質的な問題をどのように解決するかということである。人権のみに取り組んでいると、経済社会文化権に関してそれぞれのアクターが深い見識をもっているべきだと思いがちであるが、人権・開発の両方に軸足を置いていた身から言うと、まだまだ世界的にも経済社会文化権の効果的な実現、そしてそれに関する理解は発展途上であり、それぞれの専門分野との戦略的な連携なくして権利に関する理解の浸透はあり得ない。
 たとえば、
2004年のスマトラ島沖津波災害以降、世界各地で津波の専門家が突如現れ、津波のワークショップが行われ、人権関連でもレポートが出されたがどれだけ人権の分野から、災害対応に必要不可欠な災害準備に関してどれだけの取り組みがあっただろうか。経済社会文化権を扱うには、自分が法律の分析官だという一刀両断的な視点ではなく、さまざまなネットワークを築き、各界の専門的意見を踏まえて、社会が目指すべき指標を的確に設定し、普及させるといった草の根活動家的な視点が必要なのである。国のエリートであるオンブズマン事務所のスタッフや、それを支える国際機関の法律専門家が、それぞれの経済社会文化に関する分野については素人であるという「学ぶ」姿勢を作るようにすることが、もっとも重要な仕事の一つであるが、実は一番手を焼いていることでもある。
 先日、前職(国際連合地域開発センター防災計画兵庫事務所准研究員)の関係でご一緒した防災教育専門家の方と東ティモールにて会う機会があったが、国際機関のエキスパートと呼ばれる人たちでさえも、防災における重要な開発目標(兵庫行動枠組
2005)を知っていなかったことに愕然したことを話してくれた。日本で国内人権機関ができる際には、もちろん所員はエキスパートではあってほしいが、同時に限界を把握しそれぞれの専門分野と深い連携の取れる所員でもなければいけない。前職では、防災体制に関して「Are you well-prepared?(準備はできているか?)」と盛んにまくしたてていたが、今はすべての人権関係者に、国内人権機関の設置に関し準備ができているかと問いかけたい。