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タイ・スタディツアーの概要報告

○ 3月2日、TG 623便で関空を出発。
  3月2日、午前9時10分に関西空港に全員集合。搭乗手続きを行い、11時10分発の TG 623便でバンコクに出発。約6時間の飛行ののち、現地時間の午後3時すぎにバンコクのスワンナブーム空港に到着。この空港は、昨年9月末にオープンしたところで、真新しい施設が目に付いたが、手抜き工事のためか滑走路に亀裂が生じ補修工事中で、また案内板が小さくて数も少ないことやトイレがわかりにくく数も少ないなど、利用者からの不満が多く出されている。
  入国手続きを終え、2Fの公共タクシー乗り場に移動し、約20分ほど待ってメータータクシーを手配できた。空港から高速道路を2回乗り継ぎ、約45分で市内(スクンビット通26)のタラホテルに到着。
  チェックイン後、近くのコカ・レストランでタイスキの夕食を取り、第1日目の日程を無事終了した。

○ 3月3日朝、車でカンチャナブリに出発
  3月2日朝8時30分にプラティープ財団のラダパン国際部長(通称オンさん)と財団スタッフの佐藤亜矢さんがワゴン車で迎えに来てくれ、カンチャナブリに出発。途中、ザボンの名産地を通り、約三時間でカンチャナブリに到着。カンチャナブリは、人口8万人の地方都市で、観光地としても有名であり、ツアーの一行は連合軍共同墓地や戦争博物館を見学した。
  先の太平洋戦争は、1941年12月8日に日本がアメリカのハワイとイギリス領マレー半島(当時)などを攻撃したことにはじまるが、マレー半島のタイ国コタキナバルへの日本陸軍の侵略は、真珠湾攻撃の2時間前であった。二日後、日本海軍は英国艦隊に対するマレー沖開戦に勝利してシンガポールを占領し、続いて英領ビルマを植民地支配した。翌42年春のビルマ占領を契機としてビルマへの補給用ルートとして泰緬鉄道が着工された。ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められたが、全工程で一番難工事とされていたのが、急流のクウェー・ヤイ(クワイ)川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。橋梁建設には約30万人もの大量の連合軍捕虜や労務者も投入され、過酷な強制労働のため、多くの死者が続出した。
  そのクワイ川に架かる鉄橋そばのレストランで昼食後、プラティープ財団の少女のための生き直しの学校に向かった。

○ 少女のための生き直しの学校を訪問
  3月3日午後2時過ぎにカンチャナブリにあるプラティープ財団の少女のための生き直しの学校に到着。学校では、施設長のプラコーンさん(プラティープさんの姉)や教師たち、子どもたちが歓迎セレモニーを開催して出迎えてくれました。ツアーの一行も、自己紹介の後、山本さんが代表して口笛演奏とハーモニカ演奏、そして子どもたちに日本の手話を教えて、交流しました。学校には、現在、50名の子どもたちと教師3名、農業指導員2名が生活しています。

  交流集会の後、学校の施設内を視察見学。プラティープ財団では、心に深い傷を負ったスラムの子どもたちの自立支援のため、13年前からニューライフ・プロジェクトをスターとさせました。まず1996年に南部タイのチュンポーンに少年のための生き直しの学校を開設し、シンナーやヘロイン常習、その他の家庭的な問題を抱えた少年たち30名余りを受け入れ、自然の中で農業体験を中心とした協働生活で少年たちが自律生活ができるよう取り組んでいきました。また2000年からはカンチャナブリでも少女のための生き直しの学校を開設し、家庭破壊や薬物中毒、性的虐待などを受けた子どもたちを受け入れてきています。

  現在の校舎は、2003年8月の財団創設20周年を記念して日本政府のODA(草の根無償)や国内外の支援者の寄付によって開設されました。
  セミナー室の横にはベーカリー室も最近に新設され、ソクサバイJAPAN(適正技術支援プロジェクト)寄贈のガス・オーブンが設置され、神戸市の奥井あやりさんの指導の下、定期的にお菓子作りにとりくんでいるとのことでした。
  学校の施設内には、バナナ畑、アブラヤシ畑、ため池、水田、雑木林などがあり、特に日本の支援者などに呼びかけて取り組んだアブラヤシ5,000本植林プロジェクトは3年目を迎え、この9月にははじめての収穫を迎えることになっているとのことでした。農業プロジェクトは、女性の農業指導者1人とチュンポーンの生き直しの学校卒業生数名が日常的に運営しているとのことでした。
  5時半過ぎに学校を跡にし、6時過ぎにホテルに到着。チェックイン後、市内のレストランでオンさん、佐藤亜矢さんらと夕食交流会を開催しました。この日は仏教の記念日のひとつで、軍事政権の指令によりお酒が飲めない(販売されない)日であったため、アルコールなしの夕食会となりました。

○ スコタイからメーソットへ- ウンピアム難民キャンプ訪問
  3月 4 日朝、カンチャナブリのホテルを出発し、バンコク空港へ車で向かいました。途中、有名なお菓子のお店とザボンのお店に立ち寄り、メーソットへのお土産を仕入れました。昼過ぎにバンコクのスワンナブーム空港に到着し、プラティープ財団のオンさんと佐藤亜矢さんらと別れ、スコタイ行きのゲートへ移動しました。
  午後3時過ぎのバンコク・エアウェイズPB213便でスコタイへ出発。約1時間のフライトで古都スコタイに到着。ここでSVAメーソット事務所手配の車に乗り込み、メーソットへ向かいました。スコタイは、中部タイのチャオプラヤ川流域の平地にありますが、タークの町を過ぎ2時間ほど走ると山間部に入り、険しい山道が続きます。山道を1時間ほど走って、やっとメーソットの町に到着。ホテルへチェックインして、遅い夕食をとったのは10時過ぎでした。

  4日朝、SVAメーソット事務所長の中原亜紀さんらがホテルに出迎えてくれ、一緒にウンピアム難民キャンプに出発。メーソット南約50kmにあるウンピアム難民キャンプまでの道は、標高1,000mを超えるとても険しい山道が続き、約1時間半で到着。難民キャンプの入口にあるタイ陸軍の検問ゲートに許可書を提出して入りました。

  「忘れられた難民」と言われるミャンマー難民-彼らは1984年以降に祖国ミャンマー軍事政権の抑圧からタイ側に逃れてきました。ミャンマーは多民族国家として知られおり、カレン、シャン、モンといった少数民族が多く存在し、彼らは政府に自治権を求めてきたが認められず、武力紛争へと突入しました。この紛争や少数民族に対する人権弾圧や強制労働などからタイに逃れてきた難民は、2007年1月時点で約15万人となっています。現在、2000キロに及ぶタイ・ミャンマー国境に9箇所の難民キャンプが点在し、各難民キャンプは、タイ政府が管理し、国連やNGOの援助の下、住居と食糧が提供され、キャンプ住民委員会が自主運営しています。詳しくはSVA(シャンティ国際ボランティア会)ホームページ「難民キャンプ発生の背景」参照。

  今回訪問したウンピアム難民キャンプには、住民委員会メンバーの説明によると、カレン族の人々がほとんどだが、その他にムスリムの住民も生活しているという。登録住民は、3,722家族、19,601人(3/1現在)だが、その他に約800人の未認定の新規難民が存在し、毎日、新規参入希望者が増えているという。キャンプ住民(難民登録された人)には、国連から住居と食糧が支給されていますが、キャンプで仕事に就いているのは3%だけとのことです。

  タイ陸軍によってキャンプは管理され、外部で働くことが禁じられているため、仕事は、住民員会やNGOのスタッフになることしかありません。もっとも監視の目を盗んで、外部の近くの村で出稼ぎをする住民もかなり存在するとのことでした。しかし、未認定の難民はさらに厳しい生活で、住居も食糧も提供されないため近くの村に出稼ぎに行き、自力でわずかな収入を得て生計を立てているという。住民委員会には、教育委員会、人権・文化委員会、保健・衛生委員会、セキュリティ委員会などの部門があり、それぞれの担当者が現状を報告してくれました。
  キャンプ内には、小学校2、中学校3、高校2、専門学校1があり、オランダのZOAをはじめ6つのNGOが学校建設、教員トレーニング、教材支援、幼児教育、職業教育などの支援を行っている。日本のNGOでは、SVAが図書館活動と文化活動支援を行っている。悩みは、教員の離職率が高いことにあるという。2005年6月から国連(OHCR)主導で難民の第三国定住活動が開始され、教員やNGOスタッフなどの高学歴層が海外に移住するケースが増え、人材流出に人材養成が追い付いていない現状にあるという。

  子どもの教育面の心配以外に保険・衛生面の心配も多く、マラリヤ、皮膚病などの感染症が多く、また麻薬やHIV/エイズ感染者も増えている(06年で8%の罹患率)実態にある。
  住民委員会事務所の次に、日本のNGOのSVAが支援する住民図書館活動を視察しました。

  次に、SVAの現地スタッフ(カレン族)に同行して、6人家族(夫婦と娘4人)の住民宅を訪問し、キャンプでの生活や将来の希望などについてインタビューをしました。母親と娘さんがインタビューに応じてくれました。中学生のミセウさんは、「友達の何人かが海外に移住してしまった。私も機会があれば海外で勉強したい。」と話していました。1985年(当時14歳)から難民キャンプ生活を送る母親は、「私は祖国に戻れるまでここにいるが、娘が第三国定住活動を望むならそれは認めるつもり」と揺れ動く心境を語っていました。

  2005 年の6月から国連(OHCR)主導で難民の第三国定住活動が開始され、2006年に入り本格的な動きを見せ、難民キャンプ住民の間にも若者や高学歴層を中心に海外に移住する人々が徐々に増えている。ミャンマー国内の状況が一向に好転しないこと、また20年近い難民キャンプの現状を解決する策として定住活動が浮上したが住民の80%以上は祖国に帰還することを望み、難民キャンプに滞在し続ける。ただ定住を希望している難民の中には、キャンプ委員会のメンバーや教員、医師などNGOsのスタッフとして活躍している人たちがいる。

  住民へのインタビューの後、中学校の1つを訪問した。ちょうど、数学の試験中で、生徒たちが静かに試験問題に向き合っていました。職員室を覗くと、教科書や参考書のほかに、カレン語の50音表記ポスターのほかに、KNL(カレン民族連盟)リーダーの写真が飾られていました。2007年に入って国境地帯でビルマ国軍がKNL(カレン民族連盟)に激しい武力攻撃を仕掛けていると聞きました。このキャンプへの難民の増加も、このことが大きく影響しているようです。

  今回、SVAメーソット事務所長の中原亜紀さんらの案内でウンピアム難民キャンプを訪問したが、難民キャンプの抱える課題の大きさ・重さに、参加者一同、胸が詰まる思いでした。キャンプを管理するタイ政府(陸軍)は、ミャンマー難民のタイへの定住をかたくなに拒否する一方で、住民委員会メンバーにはタイの国王に忠誠を誓うユニフォーム(黄色のシャツ)着用を求めるなどの抑圧的態度が目につきました。また、難民キャンプの子どもたちは、タイの田舎の子どもたちと同様、厳しい生活の中でも勉強が大好きで学校が大好きだが、将来への不安が常につきまとっている様子でした。難民キャンプからの若者を中心とする人材流出も大きな課題となっていると感じました。

○ 3月7日、バンコクのクロントイ・スラムを訪問
  タイの首都バンコク市には、近代的な官庁街や繁華街のビルが林立する一方で、1,000箇所を超えるスラムがあります。その中で最大のスラムが、クロントイ地区です。ここを拠点に貧困、エイズ、麻薬、都市と農村の格差是正にとりくむタイの人権NGOのDPF(ドゥアンプラティープ財団)、シーカ・アジア財団および日本のNGOのSVA(シャンティ国際ボランティア会)バンコク事務所を訪問しました。
  ちょうど、プラティープ財団敷地内に、消防センターがオープンしたところでした。
  「泥棒に入られてもボロ服は残る。しかし、火災は何も残らない」。タイ最大のスラムであるクロントイ・スラムの人々がよく口にするセリフという。簡易木造建築物が軒を連ねるスラムでは火災が発生すると火は瞬く間に燃え広がる。そして、入り組んだ細い路地が多いことから消火活動は難航を極める。一度火災が起きると100世帯以上が住む家を失うケースが多い。クロントイ・スラムには貧しい人々がひしめき合って暮らしている。火災が発生することで、そうでなくとも貧しい生活が、立ち直れないほどの打撃を受けることになる。
  このため、ドゥアン・プラティープ財団ではスラム火災から住民の生命と財産を守るため、1993年、財団内に消防部を設けた。さらに、95年には、大阪フ レンドロータリークラブのコーディネートにより、豊中青年会議所と豊中ロータリークラブより消防車4台、ポンプ車2台 が寄贈され、消火効率が格段に高まった。また、同地区の代表4人が日本で1週間の消防研修を受けるなど、ハード面・ソフト面ともに充実していった。
  その後、クロントイ・スラムにおける消防ネットワークは徐々に拡大。今では、1500人が消防隊員ボランティアとして活動するまでに成長した。
  しかし、これまでの消防センターは財団本部脇の狭いスペースに置かれていたことから、総合訓練ができず、また定期会合の実施場所確保にも事欠く状況だった。このため、本格的な「消防センター」の建設が強く求められていたが、大阪フレンドロータリークラブらの支援による「消防センター」建設が昨年8月10日に始まり、今年2月6日に完工。長年の夢が実現することと なった。同センターは3階建て。1階は消防車駐車場、2階はスラム住民のためのトレーニングジム、3階は消防本部として使用される。
  クロントイ・スラム住民はこれまでずっと火災に怯えて暮らしてきた。バンコク都のほぼ中心部にあり、クロントイ港に隣接するクロントイ・スラムでは、土地開 発計画の噂が常に付きまとった。オフィスビルやコンドミニアムの建設ブームが進んだ93年から95年には、2カ月に1回の割合で火災が発生。このなかに は、「放火」が疑われる例もあった。
  このほか、薬物の蔓延が社会問題となった98年から02年にかけては、覚せい剤中毒者が酩酊して夜中にロウソクを倒すことで火災が発生するケースも少なくなかった。なお、今年に入ってからも、1月に70世帯、2月に102世帯、4月に30世帯が焼け出されている。

  その日の夜、財団事務局長のプラティープ・ウンソンタム秦さんといっしょに夕食会をもち、歓談しました。この日、プラティープさんは。国連から「世界の先進的な仏教徒女性10人」の一人に選ばれ、バンコクの国連本部で授賞式を終えたばかりでした。