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8/25~28「移住」の視点からみる韓国・済州島スタディツアー参加者募集

→締め切りました

グローバリゼーションの下、日本と韓国は「多文化共生」が共通の課題となっています。一方、大阪は、日本最大のコリアン・タウンがあり、日本による植民地支配と東アジアの冷戦の中で、多くの済州島出身者が世代をつないで暮らす街です。今回のスタディツアーでは、朝鮮半島と日本(大阪)との「人の移動」の歴史を学び、また現在の済州島の外国人住民の課題について市民団体などを訪問して、過去・現在・未来を共に知り考えていきます。女性の移住者に関して、かつての海女の出稼ぎ事情も学ぶ予定です。

済州島と日本の近現代史では豊かな知識と経験を持つ財団法人神戸学生青年センターの飛田雄一館長が、同行してコーディネートします。「移住」をテーマにした韓国スタディツアーは、今回3回目でしめくくりの年になります。リピーターも初心者も大歓迎です。

○日程○  2009年8月25日(火)- 28日(金)3泊4日
○定員○  20名(先着順)締め切り 7月24日
○参加費○ 87,000円
(往復航空運賃<関空―済州>、3泊宿泊費<1室2 名利用時>食事(朝3回、昼4回、夜3回)、済州市内移動<貸切バス>、企画コーディネーター、通訳代)
※宿泊先:貴賓ホテル ツインまたはオンドル部屋(済州市内)
※参加費に含まれないもの:空港使用料と燃油追加料等(約5千円)、
個人用経費、その他日程に含まれないもの

<日程> 一部調整中
8/25火 9:30出発 関西空港―済州(大韓航空KE734)
午後 「済州島の女性の労働と出稼ぎ」海女博物館訪問 〔泊〕

8/26水 「済州島の近現代100年の人の移動と日本」
4・3研究所、日本軍施設跡フィールドワークなど   〔泊〕

8/27木 「済州島にくらす移住労働者、国際結婚の家族」
済州移住民センターなどを訪問            〔泊〕

8/28金 済州島の生活・文化にふれる(観光) 
8:50出発 済州―関西空港(大韓航空KE733)

★言葉の心配はありません。どなたでも参加できます。関西空港以外から参加希望の人はご相談ください。
★参加者のみなさんには事前学習会(公開セミナー)を7月末に予定。

<共催企画> ヒューライツ大阪(財団法人アジア・太平洋人権情報センター)
財団法人神戸学生青年センター

<旅行主催> (株)アールアンドシーツアーズ

<お問合せ・申込み> ヒューライツ大阪企画業務グループ 朴(パク)、藤本
TEL / 06-6577-3578 FAX/ 06-6577-3583   E-mail/ webmail [a] hurights.or.jp

★「移住」の視点からみる韓国・済州島スタディツアー訪問予定場所

韓国・済州島(チェジュド)

朝鮮半島の南にある島で、現在は、島全体で済州(チェジュ)特別自治道という行政区になっている。火山島で、自然環境は厳しく、経済状況も厳しかった。農・漁業が島の産業であったが、今は観光にも力が注がれている。現在の人口は56万人余り。植民地時代に、多くの朝鮮半島出身者が日本へくることになったが、とりわけ大阪市には済州島からの人たちが高い割合を占めた。

済州移住民センター

韓国では、1990年代以来移住労働者が増えて、2000年代からは国際結婚により他のアジアから韓国へくる女性たちが増えている。
これまで済州は、出稼ぎの「送り出し」の地であった。しかし近年、済州島にも新たに暮らす移住労働者や国際結婚による外国人が増えている。こうした人たちを支援している(社)済州外国人平和連帯の付属機関である「済州移住民センター」を訪問し、都市とは違った現状と課題、活動を学ぶ。

海女博物館

2006年に開館したこの博物館は、素潜りで漁をしてきた済州島の女性による海女文化に焦点をあて、困難な労働の中で島の経済をささえてきた歴史を伝える。現在は、海女は減少しているが、かつて日本の海にも出稼ぎの海女がたくさんいたという。博物館は、1932年に起きた「済州海女抗日運動」の発祥地に建てられた。

4.・3研究所

東西冷戦を背景に、済州島で左右両派の対立が激化し、1948年4月3日から3万人ともいわれる島民が警察や軍隊に虐殺された事件が起きたが、長い間タブーであった。当時大阪に縁故を頼って逃げてきた人たちも少なくない。4・3研究所は、1989年に市民や研究者によって設立され、犠牲者の名誉回復・真相究明に力を尽くしてきた。2004年に大統領が4.3事件を公式謝罪した。

日本軍の施設跡見学

第二次世界大戦末期に、「本土決戦」のために、日本軍が済州島に投入され、また島民が動員されて、大規模な軍事施設が作られた。そのまま戦争は終結となり、現在もその施設の一部が残されている。


→参加申込書はこちら