カンボジアの直面する課題
-現地調査から見たトラフィッキングと地雷原復興の実態-
総括研究員 前川 実
1. クメール・ルージュ政権から30年
今年は、戦後60年、ベトナム戦争終結30年ですが、1940年から45年にかけて、旧日本軍が仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)を 侵略・占領した事実は、現在では、マス・メディアで伝えられることはほとんどありません。また、ベトナム戦争が終結する直前の1975年2月に、クメー ル・ルージュ(のちのポル・ポト派)が、アメリカが後ろ盾となっていたロン・ノル軍事政権を打倒して首都プノンペンに入城し、カンボジア王国民族連合政府 (のちに民主カンプチア連合政府<三派連合政府>と改称)を樹立し、内部粛清と大量虐殺で民衆の支持を失った後も、92年まで彼らを核とする三派連合政権 が国連で議席をもつことを日本政府が支持し続けたことも、ほとんど忘れられてしまっています。列強の植民地支配、戦後の東西冷戦、中ソ対立などの複雑な国 際情勢に振り回されたカンボジアの60年の歴史と日本の責務を思い起こしつつ、2005年の4月から8月にかけて、トラフィッキング(人身取引)の実態と 旧メール・ルージュ(ポル・ポト派)の人びとの暮らしぶりを現地調査した。
2. トラフィッキングの実態と防止にむけた取り組み
カンボジアの現状については、本誌62号の手束耕治論文に詳しいが、アジア経済研究所が刊行した天川直子編『カンボジア新時代』(研究叢書539;04年 11月)は、カンボジアの最新事情を鋭く分析しています。特に同書所収(3章)の四本健二論文「カンボジアにおける社会問題と法-トラフィッキング取締法 制の展開を中心に-」は、今回の現地調査の実施に当たって、大変参考にさせていただいた。カンボジア政府は、国連諸機関や海外NGOの協力をえて、一定の 取り組みを進めていますが、トラフィッキングの送り出し国であり、受け入れ国であり、中継地でもある実態は、深刻です。
四本さんは、カンボジアにおけるトラフィッキングは、カンボジアの市場経済化(92年)と東南アジア地域への経済的.社会的統合(98年にASEANN加 盟)とともに拡大し、深刻化してきたと指摘しています。長期にわたる内戦と国際的孤立の下で貧困と荒廃が深刻化した農村を舞台に、就職の斡旋をするとだま したり、家族の債務の肩代わりのため女性や子どもを都市部へトラフィッキングするケース以外に、ベトナム南部各省から陸路や水路でプノンペンやカンボジア 南部に移送するケースや、他国からカンボジアを経由してタイや他の国に移送させるなど、トラフィッキングの国際化が進む実態も紹介しています。また、トラ フィッキングの取締りを困難にしている要因として、法律の不備やそれを執行する公務員の汚職の実態もするどく指摘し、国際的な協力体制の中で、政府のトラ フィッキング取締法制とトラフィッキング取締対策の強化を進めるべきだと結論付けています。
そこで、さる8月29日、JICA長期専門家(法整備支援担当)の坂野一生さんの協力を得て、カンボジア政府のトラフィッキング取締法制を担当する司法省 の2人の次官補-イット・ラディさん、チャン・ソティアディさん-から、トラフィッキング防止に向けた司法省の取り組みをうかがった。特にイット・ラディ 次官補は、03年に起草され、現在、国会で審議中の「人身売買および性的搾取防止に関する法律」案づくりの中心メンバーです。
(1) トラフィッキング防止に向けた法律の整備過程
93年に憲法が制定され46条で人身取引禁止を規定した。UNTAC時の暫定刑法にも規定(35条)があるが、96年に特別法「人身売買、人の搾取防止に 関する法律」を制定した。しかし、人身売買の定義や人身売買防止措置の不備があるため、03年に「人身売買および性的搾取防止に関する法律」を起草し、現 在、、閣僚評議会に諮っている。この起草作業には、日本の弁護士も協力した。また、公聴会を開き、NGOの意見も聴取した。
また日本の法整備支援により編成された民法の中でも、養子縁組などでトラフィッキング防止に向けた新しい規定を盛り込んだ。さらには、フランスの支援で起 草されている刑法の中でも新しい罰則規定を盛り込む予定。
(2) 「人身売買および性的搾取防止に関する法律」の内容
この法律案については、女性省がトラフィッキングの定義(子どもと女性の性的搾取に限定)について異議をとなえ、国連の選択議定書の定義にそろえるべきと の意見が出されたが、まずはこの法案を成立させて、その後にさらに包括的なトラフィッキング防止・被害者救済法制を整えたい。主な点は、第1に、新しい民 法・民事訴訟法でのトラフィッキング防止に向けた規定と整合性を取ったこと。第2に、養子縁組が人身売買の隠れ蓑にされる恐れがあるので、その防止措置を 盛り込んだ点。第3に、89年制定の婚姻および家族に関する法律では、養子縁組許可の基準があいまいであったので、養子縁組の要件と手続きを明示し、縁組 には裁判所の許可が必要と改定した点などである。
トラフィッキング防止に関連する新しい民事訴訟法は、8月30日から国会で委員会審議が始まる予定で、民法も来月中に各省会議が始まる予定。
(3) 政府としての取り組み
現在、司法省の主催で2法案(人身売買および性的搾取防止に関する法律と新しい民事訴訟法)を解説するワークショップを開催したり、裁判官、検事の養成機 関である王立法曹養成校で教育プログラムを実施中。政府としては、国連諸機関とも協力し、司法省以外に内務省、社会福祉省、労働省、女性省がそれぞれの権 限の中でトラフィッキング防止にとりくんでいる。しかし省庁横断的な組織はまだなく、現在、省庁間の連絡会議はあるが、役割分担が明確でない。次のココン での事例にみられるように、予算措置および省庁間の連携・役割明確化が課題となっている。
<タイ国境沿いのココンでの事例>
警察が情報提供に基づき人身売買の現場を摘発したが、その子らを一時保護する施設がなく、困ってしまった。警察には収容施設がないし、NGOでもシェル ター施設はなく、親元に戻すこともできなかった。現在、社会福祉省が中心となって全州に1箇所の救援センター作りを計画しているが、実施のめどはたってい ない。
(4) カンボジアにおけるトラフィッキング裁判の実態
政府の実態把握の統計資料はないが、司法省としては、裁判になったケースの情報収集に努めている。04年にトラフィッキングに関すると思われる48件の裁 判があったが、内訳は、ア) 公然わいせつ 28件、イ) 売春強要 8件、ウ) 人身売買 12件、となっている。
被告・被害者は、カンボジア人のケースがもっとも多いが、ベトナム人のケースも多い。また、中国人のケースも若干ある。現在は、刑事事件の判決内容は、当 事者以外には公開していない( 付帯私訴 [*] の 原告も含む)。トラフィッキング裁判の判例を公表するかどうかは、情報公開の手続きの定めもなく、今後の課題。
[*] 付帯私訴とは、被害者の加害者にたいする損害賠償の民事裁判を刑事裁判といっしょに行う制度で、被 告人の"無罪推定の原則"を否定して「被告人は有 罪」の前提で審理すること。
(5) トラフィッキングの実態(形態分類)
カンボジアでのトラフィッキングの形態としては、「国内都市への就労あっせん」がもっともポピュラーだが、その他に「婚姻」、「外国への就労あっせん」、 「脅迫・強要」、「養子縁組」、「薬物使用による略取」、「国境を越えた不法な移送」などがある。
国境を越えた不法な移送の実態では、最も多いのは、タイへの不法な移送で、西部タイ国境沿いからと推測。タイ以外では、ベトナムからの不法な移送も多い。 歴史的事情から国境越えが比較的容易で、不法な移送が絶えない。また、メコン流域のラオスからの不法な移送についてもあるが、十分把握していない。
トラフィッキングの被害者は、男性、子ども、女性、老人などで、「男性」の場合は、漁業労働者、建設労働者、薬物の投与などが多い。また、「子ども」の ケースでは、物乞い、花売り、強制労働などがあり、「女性」のケースでは、売春強要が多い。「老人」のケースでは、物乞い、花売りが多い。
(6) 2国間および多国間協力のとりくみ
タイとは2004年に2国間協定(MO U)を結び、とりくみ中。両国間協議は、司法省、労働省と社会福祉省が担当し、定期的に行っている。また、ベトナムとも2005年9月に2国間協定(MO U)を結び、とりくむ予定(その後、10月にフン・セン首相が正式調印)。
メコン流域6カ国の多国間協定(MOU)も本年4月に締結され、多国間協力のとりくみも進みだした。この中で、人身売買によって連れ出された被害者は、い ずれの国でも不法入国者として取り扱われないことを明記している点は、意義がある。現在、アクションプランを策定中で、この協議には司法省も参加してい る。
旧クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の人びとの暮らしぶり
プノンペンでの司法省のヒヤリングのあと、国境の町ポイペトとマライで実態視察と関係者からのヒヤリングをおこなった。ポイペトには5度目の訪問となる が、来る度に町の人口と性風俗店が増え、店の前にトラフィッキングの被害者と思しきベトナム人やカンボジア人の若い女性が数多くたむろしている。また国境 ゲート付近では、物乞いが増え、子どもたちが思い荷車を引く光景が目に付く。ポイペトとマライがあるバンテイアイミアンチェイ州は、旧クメール・ルージュ の人々が多く住む地域です。10月末のCMAC(カンボジア地雷対策センター)の発表によると、今年1月からの9カ月間で、地雷および不発弾によって被害 を受けた人々の数は691名に上り、被害者は増加傾向にあるという。K5と称される濃密地雷原は、パイリン特別市、バッタンバン州、バンテイアイミアン チェイ州、オーダーミェンチェイ州、プレビへー.州で、いずれもタイ国境地帯や山間部にある旧クメール・ルージュの人々が多く住む地域です。
彼らは、98年まで現政権に武装抵抗してきたため、道路や橋、電気、水道、学校建設などの社会インフラ整備が、他の地域より大きく立ち遅れています。ま た、最近は、土地を失った他地域の農民たちが地雷原に住みつき、地雷や不発弾を掘り当て、その火薬や鉄を売って収入を得ようとしたり、そこを開拓し作物を 栽培するための土地を確保しようとするため、地雷や不発弾によって被害を受けた人々が耐えない。国境ゲートを通らない背景にカンボジアで広がる経済格差と 貧困の問題が存在します。
2005年に入ってから、現地で活動する友人の協力で、バッタンバン州、バンテイアイミアンチェイ州、オーダーミェンチェイ州、プレビへー.州の旧クメー ル・ルージュ幹部を訪ね歩いた。意外だったのは、彼らの多くが、かつて対立していた現政権与党の人民党に所属し、地方政府の役職-郡長、警察署長、州政府 役人などについていることでした。
特にバンティエンミェンチェィン州は、カンボジアの中でも一番地雷が多く放置されている地域ですが、その中でもマライ郡はその中心で、旧クメール・ルー ジュが最後に武装解除されたチです。すべての地雷を取り除くのには、100年以上かかるといわれているこの地域で、地元の人々とともに「地雷原をグリーン ベルトに」復興プロジェクトを進めている日本のNGOのアジアの地雷・不発弾被害者を支援する会(AMU;奥田英朗代表)の活動を視察し、最後の激戦地マ ライ山の植林活動にも地元の人々とともに参加しました。AMURの奥田英朗さんは、マライの地元住民と協力して、2005年4月に農業協同組合を組織し、 共有地での野菜づくりや植林活動に取り組んできました。ここにすむ人々の出身地は、ラタナキリ、タケオ、スバイリエン、ビルベーンなど全国各地にまたがり ますが、再び故郷に戻ることはなく、この地で農民として生き続けることを決めています。
地雷原をグリーンベルトに
奥田さんたちは、「マライ郡食とみどり復興支援ネットワーク」を結成し、旧クメール・ルージュ地区住民の自立支援という平和構築の始点から、(1)長年の 内戦で荒廃したマライ山、バンベイン山の植林活動、(2)地雷除去地での野菜作りと土壌改良水質改善と灌漑整備などの農業振興、(3)食品加工など地場産 業育成と若者の地元定着促進、などを住民参加で推進することを予定しています。当面、三ヵ年改革でマライ郡バンベイン農協と連携して進める予定でいます。 また適正技術支援プロジェクト(ソクサバイJAPAN)では、マライの農業復興に向けた人材養成に取り組み、2005年9月に大阪府NPO協働海外技術研 修生受入事業を活用して、研修生のトゥイさんを日本(大阪)に招聘し三ヶ月の研修を実施してきました。ヒューライツ大阪もこのトゥイさんの大阪府食とみど りの総合技術センターでの研修実現に、尽力したところです。
旧クメール・ルージュ幹部を裁く特別法廷がまもなく開かれようとしていますが、クメール・ルージュ政権の実像(蛮行と業績)は、まだほとんど真相究明され ずに放置されており、真相の解明と国民和解なくして、この国に平和は訪れないと痛感しました。