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スタディツアーを終えて

森 英麻(龍谷大学経済学部3回生)

 日本にいて考えるだけではわからないことがたくさんあるし、「百聞は一見にしかず」と思ったのが今回スタディツアーに参加した動機であった。私は、1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センという人物の思想にとても興味を持っていた。
 センによると、貧困とは潜在能力を自力で拡大することが困難なことであり、機会の平等が奪われているのだと言う。恥ずかしながら、私はそれまで貧困を克服する方法としては生命維持に必要な食糧や医療を援助することぐらいしか思いつかなかった。しかしそれでは援助する側とされる側に力関係が発生したり、自助努力を失う危険がある。何が一番現地の人たちにとって良い援助なのかわからないし自分の目で見てみたいと思った。

 フィリピンでは本当に驚きの連続で日本と比較して考えてしまうことが多くあった。まず、子どもの多さ、人の温かさ、人々の陽気さに圧倒された。ジープニーという乗り合いバスがたくさん走っていて、自分の乗りたいジープニーがみつかれば人差し指をあげて停めるもので、その一つ一つが色とりどりで個性的であった。そしてジープニーの客を乗せたままの給油に更に驚いた。

 一番興味があったパヤタスのゴミ山はさすがにショックを受けた。ツアー出発の数日前に,パヤタスを舞台にしたドキュメンタリー映画『神の子たち』を見たことで、あまり動揺しないのではと考えていた。しかし、現地について当たり一面のゴミと鼻を刺す強烈な臭いに言葉を失った。あんなにたくさんのハエを見たのは生まれて初めてだった。
 その日は土曜日であったが3,000人がゴミ山に来ていたらしく子どもが当たり前のようにたくさんいた。家の手伝いをしていると言ってしまえばそれまでかもしれない。しかしそこには日本の子どもじゃ考えられない生活を送っている子どもたちがいて、何かしてあげたいけど何もしてあげられない無力な自分がとても悔しかった。
 コミュニティ内でも表に子どもがたくさんいた。最近日本では外で遊んでいる子どもを見かけることが非常に少なくなったのであんなにたくさん遊んでいるのを見たのは本当に久しぶりだった。

 ルパン・パンガコ小学校を訪れて驚いたのはあんな小さな学校で4,000人もの子どもたちが学んでいることである。三部制で授業を行っているがそれでも1クラス65人である。日本では少子化に伴って廃校や1クラス20人程度の少人数教育に移行しているというのにフィリピンではまだまだ学校が必要なのであった。

 高校訪問は予想以上で、人権教育に関するデモンストレーションの授業は日本では考えられないものであった。少し間違えば否定的な意味でのナショナリズムの方向に進んでしまう危険も伴う感じを受けたが、自分の国や権利を自分たちの手で守って良くしていこうとする教育はすごいと思う。

 日本では住基ネットやメディア規制法の問題があるが、高校生に限らず国民の関心度は非常に低いように思う。自分が動かなくても誰かがどうにかしてくれるという他人任せの考えが横行しているように感じる。戦後から基本的人権がフィリピンにおいてほど侵害されることも無く平和に暮らしてこられたと同時に、人権教育が重要視されてこなかったからではないだろうか。少年犯罪が急増傾向にあって常識が歪みつつある日本こそ人権教育を学校教育に取り入れる必要性を感じた。
 フィリピンの学校は、先生も生徒もとてもパワフルで、生徒が全員一斉に手を挙げるのには本当に感心したし、御手洗いの前で生徒数人に待ち伏せされていて「日本はフィリピンの最大のドナー国で様々な援助をしているがフィリピンの教育や私たちについてどう思ったか」といきなり聞かれた時はとても焦った。また、多くの生徒の家族が海外に出稼ぎに行っており、その行き先が日本であるという生徒もいて複雑な気持ちになった。

 ラグナ湖岸における日本のODAプロジェクトのひとつであるポンプ場建設が進められている現場での張り詰めた空気には驚いたが住民の反対があるにもかかわらず強行しているというのは許し難いことである。しかも私たちが日本で普通に暮らしている上でそういった現状を知る機会は非常に少ない。また、日本のODAがどこでどのようなプロジェクトを予定しているのか知らされる機会はほとんど無いし人々の関心も低いように思う。
 こうした援助国の関心度の低さが今回のようなプロジェクト強行の引き金となっているのではないだろうか。このとき訪れたバランガイ・ワワでは何人かの子どもたちが私にぴったりくっついて歩いてきた。みんな6歳前後で少しだけ英語ができる程度らしく、私が一つ質問すると初めだけは英語なのに途中からタガログ語で話すので全くわからなくなるのである。このとき英語という共通語の重要性をひしひしと感じた。でもみんな目が綺麗でずっとニコニコしているし一生懸命しゃべりかけようとしてくれて、わたしが今回出会った人たちの中で一番印象深かった。

 このスタディツアーは、学校のテスト期間と重なっていたが運良くテストがなくて参加できることとなったのも何かの縁だったと思う。出発前には高校や大学の先生方が多いと聞いて驚いたが、私には思いつかないようなレベルの高い質問をされる皆さんと御一緒できてとても勉強になった。また、本当に善くして頂いて感謝の気持ちでいっぱいである。自分の無力さをとても感じさせられたが、日本にいては体験できなかったし気が付かなかったであろう様々なことに触れることができ、参加して本当に良かったと思う。