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フィリピン・スタディツアーに参加して

登道 孝浩(ロンドン大学教育学大学院修士課程教育開発専攻)

 私は小学校時代、週に1度道徳の時間というのがあり、そこでは様々な活動が行われていたと記憶する。また中学校、高等学校時代は2ヶ月に1度くらいの割合で特に部落差別問題を中心として、人権教育を受けてきた。今回のフィリピンのツアーは久しぶりにもう一度「人権」というものを見直す良い機会になったと思う。

 7月31日、はじめに訪れた人権委員会でビデオを見たとき、まず衝撃を受けた。人権侵害によって両親ともに逮捕された女性が登場し、その悲しみ、不条理さを語っていた。このようなことがもし自分の身に起こったらと思うと、恐ろしさと同時にやりきれなさを感じた。またこれらの侵害を受けている人々を救うための活動を人権委員会はしているわけだが、政府からの財政割り当てが不足しており、外国からの援助に頼らざるを得ないという状況は一刻も早く改善して欲しいと切に願っている。

 次に訪れたパキサマで個人的に印象的だったのは、最近はジェンダー教育が盛んだという事実である。かつて女性のリーダーが0%であったところから40%程まで育っているというのには目を見張る。人権を考えるには男女の平等を考えねばならず、その意味ではかなりの成果があがっている、と言えるのではなかろうか。
 しかし、果たしてリーダーとしての地位や権限というものに関しては男性と同等なのであろうか。そうでない限り平等とは言えず、人権は侵害されていると言わざるを得ない。
 また、"Popularizing Law Project" というものにも興味を持った。法律用語は難解なものが多いので、農民にわかりやすい言葉で伝えるのは不可欠なことである。専門用語をかみくだき、人民にわかりやすく伝えるというのは、法律に限らずどの分野にも共通して言えることではなかろうか。
 日本の専門家も象牙の塔に安住せず、人民のための専門家になって欲しいと感じる。日本でも江戸時代、士農工商制度により政府は農民の重要性を認めている。これは時代が変わった現在でも同じであり、農民の立場は守られるべきものであり決して土地所有の権利について、侵害があるべきではない。

 次のCOマルティバーシティは、政府の政策や決定に対して、コミュニティレベルで何ができるかを考え、実際の行動に移している組織である。ここで特に印象深かったのが、政府のタギグ道路堤防プロジェクトに対して、政府とNGOの間に大きな認識の相違があった点である。政府は無論、このプロジェクトを進めることを最優先にしているわけであるから、堤防建設が住民や環境に与えるネガティブな影響をなるべく認めようとはしない。
 しかし民衆側は堤防建設のもたらすネガティブな面を冷静に分析し、「洪水対策ができていない」、「水質が変化するので農漁業に多大な影響を与える」といった点を指摘していた。政府が住民に対して正確な情報を伝えていないのは問題だと思った。また、事前の相談もなく突如強制移住が通告されるのは明らかな人権侵害であり、私はフィリピン政府の体質に不快感を持った。また、このCOマルティバーシティには韓国のNGOも協力を行っているのが印象的であった。

 日が変わり、8月1日午前に訪れたサリガンの話はかなり専門的なものであった。法律を専門としない私には難解な点も多かったが、人民のために「法律」・「弁護士」といった高い壁を取り除き、7月31日に訪れたパキサマの活動と同様、de-professionalize the law という活動を行っているのは非常に評価できると思った。
 法的支援の対象も昔はベーシック・セクターに限られていたが、都市貧困層や女性も1990年より対象にした点も評価できる。ジェンダー間の格差をなくそうと努力している点もパキサマと類似している。
 訴訟を支援する・法廷闘争以外でのオルターナティブな法律活動を支援する・法に関する知識(リーガル・リテラシー)の教育・政策提言・リサーチ・出版などのサリガンのプログラムはまさに、人民のための機関の役割を果たしており、重要であると感じた。
 パラリーガルの育成というのも重要である。ただの弁護士補助としてではなく、自力で供述書を作れる、自律した法律家の養成は急務であろう。サリガンの弁護士やパラリーガルは、一般の弁護士に比べてサラリーが低い。各国の財団の他にも更なる財政的な助成に期待したい。

 午後に訪れたのはサンバという農民連盟。アンティポロ市というメトロ・マニラから近い農村を訪れる。マルコス時代の大統領令により農地改革法が成立し、農地を求めてここに来た農民が地主によって訴えられるというのは何とも理不尽なことかと感じた。もちろん双方に言い分があるだろうが、このケースでは地主が歩み寄るべきではないかと思う。この農地を失うと農民たちは行き場を失うからである。「ガリアルド・バウティスタ所有の農地」や「バランガイ・サンホセのサンイシロ地区の土地」をめぐる問題に関しても、農民たちは自分の生命線である農地をなかなか獲得することができず苦戦していたのは明白な人権侵害であり、早急な問題解決を望んでやまない。

 8月2日の教育省、高校訪問も興味深いものであった。人権教育担当のロザリアさんの話はわかりやすく、納得のいくものであった。人権教育のプログラムを4つに分類し、それぞれの詳細を述べられていた。政策提言と情報提供のプログラム、教えることの戦略を立てること、教材開発、子どもの保護と福祉に関するプログラムの4つはすべて重要で、どの1つも欠けてはならない。
 様々な説明があった中で私が興味深かったのは、人権をどのように既存の科目に統合するか、という議論であった。

 午後からの高校訪問、デモンストレーション授業は素晴らしいものであった。特に生徒達の元気のよさに驚いた。私はこのフィリピンツアーの後、中国の吉林省長春市にある小学校を訪問したのだが、ここでも生徒達は非常に活発に発表し、意見を交換しあっていた。なぜ発展途上国の子ども達は私たちの目にはあれほど元気にうつるのだろうか。
 子どもたちの元気さ、快活さは次の日に訪れた「サンカップ・デイケア・センター」に通う子ども達、パヤタス地区に住む子ども達を見ても感じた。劣悪な環境の中でも希望を持ち、毎日を過ごしている。我々日本人が忘れ去った何かを私は彼らの姿を見た。

 最後のTACADは、実際に訪問ができなくて残念だったが、状況が切羽詰っている住民達を救う手立てを早急に取って欲しいと願った。

 私はこのスタディツアーを通して、「生きる」というのはどういうことなのかを考えさせられたような気がする。人権を侵害された住民の多くは日々を必死の思いで生きている。しかし、我々日本人が「生きる」ことの意味を必死に考えることはあまりない。しかし地球上のどこに生を授かったとしても人間には生きる権利、「生存権」がある。それがいかなる形でも侵害されてはならないと強く感じたツアーであった。