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フィリピン・スタディツアーに参加して

岡 哲司(和歌山県人権啓発センター)

 あこがれのフィリピンだ!
 このツアー出発までの1週間の私は、まるで遠足を明日に控えた小学生のよう。ワクワク、ドキトキ、1週間抜ける分仕事が詰まっていて、荷物を詰めたのは3日前というような状況だったが、気分だけはもうフィリピンへ。
 そう、4年ほど前にヒューライツ大阪の国際人権リーダーセミナーで、初めてフィリピンの人権教育に触れて以来、一度は、フィリピンへ行って、その人権教育に直接触れたいと思ってきた。参加型ワークショップを行っているPETAの国、フィリピンに行ける。私にとっては、今回のスタディツアーは本当に「あこがれのフィリピン人権教育への旅」だった。

 まず、マニラへ到着して、マカティ市へ行く。そこで高級住宅地の入り口に設けられたゲート、一方では、初日の夕食のレストランの前で花を売っている裸足の少女、貧富の差が大きいということは行く前から聞いてはいたが、そこにはまぎれもない現実があった。
 しかし、市場で会った子どもたち、農村の人々、パヤタスでゴミの臭いに覆われて生活している人々、そこでは、生活の状況は厳しいものの、人々の表情は明るく、悲壮感というよりも、貧しく、厳しい生活の中でもたくましく生きている姿があった。

 人権を取り巻く状況についても非常に厳しいものがある。学校へ通う費用が負担できないために、学校をやめていく子どもたち、家族全員で働いてもその稼ぎが最低賃金に満たない人々、依然と進まない農地改革、政府のプロジェクトにより十分な説明もされないまま強制立ち退きをさせられる人々。
 しかし、その中でも自分たちの「権利」は何なのか、その権利を守っていくためにはどうしたらいいのかということを真剣に考え、学び、立ち上がっていく人々のたくましい姿がある。自分たちには権利がある。その権利を実現する法律がある。その法律や国際基準を盾に自分たちの権利を主張し、実現していこうとする姿は日本で生活している私にとっては新鮮であった。こんな発想は現在の日本で見ることは少ない。そこには、法律というものを民衆化していこうというフィリピンでのNGOを中心とした取り組みが生きている。フィリピンの人々にとっては「権利」という言葉は、自分たちが生活していく上で欠かすことのできない言葉なのだろう。自分たちの生活を守っていくために「権利」を学ぼうとする人々、自分の権利を守るために「法律」やその手続きを学ぼうとする人々、私たちはこの人々に学ばなければならないことが数多くあるのではないだろうか。

 このような「法律」や「国際基準」にまで視野を広げた権利を獲得していく取り組みは、永年の植民地支配とマルコス独裁政権下の厳しい人権状況を経験してきたことを反映したものである。あのピープルパワーでマルコスを政権の座から引きずりおろしたフィリピンの人々が、その苦しみの中から得た、自分たちの人権を守るための一つの答えであったのだろう。そういう文脈もふまえて、日本人がこのフィリピンの人たちの姿に学ぶべきものは多いのではないだろうか。そのように切に感じた。
 フィリピンの人権教育の大きな推進役となっているのが、NGOである。NGOの積極的な取り組み、POへの支援や課題のある地域に入っての取り組みがフィリピンの人々に「権利」というものを浸透させ、人々の人権を実現させるために大きく寄与しているということが今回のスタディツアーに参加し、現場を見ていく中で見えてきた。
 特に、パラ・リーガルという「はだしの法律家」という発想は、非常の示唆に富んでおり、そこに今後の日本が学ぶところは大きいのではないかと感じた。法律を民衆化していくこと、自分たちの抱えている問題を人権の国際的基準という視点から捉えていくこと、これらは、まさしく日本の社会の中で,日本の人権教育の中で欠けていることであり、日本においてもこのような取り組みをなんとか進めていくことはできないものかと考えさせられた。

 また、当事者を支援していくという視点に立った人権擁護システムをつくっていくことが非常に大切であると痛感した。例えば、DVの問題の場合、法律の相談だけでなく、シェルターの確保、様々な手続きについての支援、カウンセリング等の複合的な支援策が必要であり、このような支援システムがあってこそ、当事者が守られていくのであるということを考えさせられた。
 フォーマルな人権教育に関しては、人権教育や人権擁護のためのシステムにちゃんとした裏付けがある。日本に帰ってきてみんなに驚かれるのは、フィリピンでは憲法の中に人権教育に位置づけられているということ。これは、人権教育を進めていくうえで非常に大きな基礎となっている。
 しかしながら、説明を受けていると本当にすばらしいと思われる人権委員会についても、現場ではなかなか知られていない。たとえば、人権委員会が地域における人権保障のために推進する「バランガイ人権活動センター」は、現地で活動しているNGOに知られていないというのだ。フォーマルな人権教育や人権擁護のシステムが、NGOとどのように連携を持ちながらその制度を生かし、進めていくかということが、今後の大きな課題であったように感じた。やはり、NGOの存在がその国の人権の状況を変えていく大きなキーとなるのではないか。これは、日本においても同じで、これからの人権擁護システムや人権教育の推進の中で、政府や地方公共団体、現場では、教育委員会等がどのようにしてNGOや草の根で活動している組織の意見を採り入れて行くのかということが重要な要素になっていくのではないだろうか。いわゆる開かれた中での取り組みが大変重要であると感じた。

 そのような意味でも、人権委員会を訪問した際に、最後に委員長から「日本にもパリ原則に基づいた委員会を設置してほしい」というコメントをもらい、日本の人権システムについてまだまだ行方が見えない中で、私たちが市民として声を上げ、ひとりでも多くの人に感心を持ってもらいながら、政府から独立した、本当に当事者のためになる人権委員会を設置していけるように取り組んでいかなければと感じた。そして、そのような開かれた人権委員会のシステムにしていくためには、このフィリピンで感じたようにNGO等と対等の立場で対話しながら進めていくことが何より肝要なのではないだろうか。
 また、フィリピンでのNGOの取り組みを見せてもらいながら、フィールドワークをする中で、この国に横たわっている問題は、単に「人権」「環境」という問題の一側面だけではとらえきれないということを痛切に感じた。

 例えば、パヤタスでは、多くの人たちがゴミの山を見ながら、ハエに囲まれて厳しい生活環境の中で生活をしている。ダイオキシンの問題など、そこに住む人々の健康の問題が心配される一方、同じ住民がそのゴミの山でゴミを拾いながらそれを仕事として生計を立て、まさしくゴミで生活しているのである。ゴミの山をどうにかすればいいという問題ではなく、そこには貧困という大きな問題が横たわっており、もっと視野を広げれば、「開発」という問題がこのフィリピンの社会の中に大木のように大きく横たわっているのだということをこのツアーに参加する中で考えさせられた。
 いったい誰のための「開発」なのか。今回のツアーの中で見えてきた政府プロジェクトによる強制立ち退きや生活権を脅かされている人たちの姿を見ても、このパヤタスの状況を見ても、この「誰のため」ということがどうもストンと納得できない。ただ、政府は、それがどこの政府であろうと住民と同じ目線に立った取り組みが必要であるはずだ。4日目にタギグ湖からの帰りにマニラに向かうバスの車窓から、ストリートで生活している人たちのために政府が無償で提供した住宅がかなりの空き家の状態で並んでいた。そこに入居した人は、その住宅を金で他の人に売ってしまったということだが、聞いただけでは、政府が提供した住居を売ってしまった本人が責められるべきだろうが、しかし、そのときにその人たちが切に必要だったのは無償の住宅だけではなかったということではないか。なぜ、住居を売ってしまうのか、そこに政府と民衆との間にどの程度の話し合いがあったのだろう。「こうあるべき」だけではなく、住民には本当に何が必要なのか。そこからスタートすることが何よりも大切なのではないだろうか。
 そして、少し視点を変えていくと各国の政府間で行われている「開発援助」もいったい誰のための「開発援助」なのだろうか。そう考えると、ここにある問題は、フィリピンの政府が取り組まなければならない問題であり、さらにはフィリピン一国の問題ではなく、世界に、もちろん私たちの住んでいるこの日本にもしっかりつながっている。私たちにとっても関係のない問題ではない。では、これから、自分自身はこの問題にどのような立場に立つのかということを帰りの飛行機の中で、そして帰ってきてからも考え続けている私が居る。どうやら、このスタディツアーは、私にとっては「フィリピンへの人権の旅」の新たな始まりになったようである。

 ともあれ、今回のツアーに際しては、私は皆さんに頼りながらなんとか無事帰って来たが、これも参加者の皆さんのおかげである。どうもありがとうございました。皆さんと一緒に6日間の学びの場を共有できたことは、私にとって大きな財産になりました。そして、これから始まる私の「フィリピンへの人権の旅」でもいろいろ助言いただき、迷いそうになったときはナビゲーションしてください。よろしくお願いします。

PO(people's organization)とは、農民組合や労働組合、住民組織など当事者が参加し活動する民衆組織のこと。