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フィリピンに行って

阿久澤 大智(姫路市立安室中学校1年)

 ぼくは2002年の夏休みにフィリピンに行きました。
 フィリピンで特に印象に残ったのは、人々がとても明るく生き生きしているところです。マニラ郊外の、ゴンザレス・ハイスクールで価値教育の授業を見学したときのことです。70人もの生徒が、先生の質問に次々と手をあげて答えていたことに驚きました。「『表現の自由』について自分の考えを述べなさい」という先生の質問に対してあるグループは、ラップ・ミュージックやメッセージ・リレー(グループで一人ずつ交代で意見を言う)、体を使って場面をあらわすなど多様な方法で発表をしていました。日本の学校では、先生に意見を言えといわれるまで意見を言わないのが一般的なので、フィリピンでぼくと同じくらいの人たちが積極的に意見を言うことはすばらしいと思いました。

 次に印象的であったのは、ケソン市にあるパヤタスという廃棄物投棄場への訪問です。そこにはお金に換えられるアルミやスチール、ビニールやペットボトルを拾って生活している人たちの住居もありました。昔は谷であったところにごみを捨て続けたために、今ではここが巨大な山になっています。
 かつてはメトロ・マニラ(マニラ市、ケソン市を含むいくつかの市・町)のすべてのごみを投棄していたのですが、2000年7月にそのごみがなだれを起こし、周辺に住んでいた1000人以上の人々が生き埋めとなり今でもたくさんの人が行方不明となったままです。その後危険であるため、ケソン市以外のごみの搬入が禁止されました。しかし、規模は小さくなったものの、その事件の後もごみを拾って生活する人が何千人もいます。
 その人たちの一日の収入は40ペソから100ぺソ(日本円にして100円~250円)くらいで、ファースト・フードから出た食べ残しも家族の食料となっているそうです。このようなところに住む人々が、自分たちの生活を変えようと積極的にNGOや住民団体に参加しています。昨年に水道を引くことに成功しました。ぼくはみんなで協力し団結するということは大切だと思います。
 フィリピンに行き、これからは自分の意見をきちんと言うことの大切さを知りました。