文字サイズ

 
Powered by Google

MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 過去アーカイブ(これからの事業)
  3. 6日間で考えたこと

6日間で考えたこと

大森 妙子(京都女子大学 現代社会学科3回生)

 私がこのフィリピン・スタディーツアーに参加したのは特に「人権」に興味があったからというわけではなかった。これまで、私は限られた狭い世界で生きてきたように思う。だから、3回生の夏という自由に過ごせる最後の夏休みに少しでもいいから自分の生活している世界とは違ったことを体験したいと思い参加した。
 実際にフィリピンに着いて、初日は想像していたよりもずっと近代的な美しい町であるのに驚いた。特にマカティ地区の発展には目を見張るばかりだった。気温も日本より涼しくとても過ごしやすかった。

 2日目以降からは、フィリピンの人権問題についてさまざまな施設を回り、説明を受けた。私は、事前の不勉強さもあって話を聞いていることで精一杯だった。
 しかし、さまざまなことを得ることはできたと思う。人権委員会、農民組織パキサマ、サリガン、教育省、パヤタス、CO-Multiversityなどたくさん訪問したのだが、その中でも特にマニラ首都圏のマンダルーヨン市にある「ネパタリA.ゴンザレス高等学校」への訪問が印象深い。
 ここでは、①正しい行為に対して賛同表現するとともに、奨励できないこと、不正義、奴隷システムやその実践から守ること、②個人や国家の福祉を保護し推進するための権利の意義を検討する、③表現・意見の自由に対する権利を説明する、ということをテーマに人権教育を指導する授業が行われていた。授業はアクティビティ、分析、概念化、適用という順に進められており、先生が教科書を読むだけの授業であったり、ビデオを見て感想文を書くだけの授業とは違い、生徒が考え、人権というものを自分のものにすることができるようになっていた。
 授業にとても熱心に生徒が取り組んでいて、発表も自発的に生徒がしている点に日本との大きな違いを感じた。そして、特に班ごとに分かれて絵や短い劇などで自分たちの考えを主張しているところにこのことが感じられた。
 フィリピンでの授業を見ながら、私はこれまで「人権」について意識をしたことはあっただろうかと考えてしまった。小学校や中学校の道徳の時間に、ビデオや物語を通して同和問題を勉強したことや、社会科の時間に人間の基本的権利について習ったことくらいしか覚えていないのが実情である。人権の授業の時に感想は書かされていたものの、毎年同じようなことしか書いていなかった。

 そこで、そもそも日本での人権問題はどんなものがあるか調べてみた。すると、部落問題、在日韓国・朝鮮人問題、冤罪事件、などたくさんの人権問題が存在することを知った。そして、調べているうちに「ちびくろさんぼ」のことにヒットした。私は幼稚園の頃に「ちびくろさんぼ」の劇をしたことがあった。しかし、この劇をして何年か後にこの話は人権侵害をしているので絶版にする、という話を聞いた。子ども心に「なぜ、この話が人権を侵害しているということになるのだろう」と思ったのだが、そのまま今まで忘れ去っていた。
 このように、人権問題は身近なところにあるのだが、日本にはどんな人権問題がありますか、とあらためて尋ねられるときっと即答はできなかったと思う。自分の人権に対する意識がとても低いということに愕然とした。これでは、もし自分が人権侵害にあうことがあったとしても、自分の権利が侵害されていることに気付かずに過ごしてしまうのではないだろうか。そして、もっと恐ろしいことに気づかないうちに他人の権利を侵害していることもあるかもしれない。フィリピンの人権教育のように自分たちで考えて、人権というものをきちんと身につける教育を日本でも行うことが大切であると思う。

 次に印象的であったのは帰国の前日に訪れた、パヤタス地区のゴミ投棄場(スモーキーマウンテン)だった。初日に見たマカティ地区との違いは歴然としており、この国の貧富の差というものをありありと感じることができた。実際に、ゴミの山に登ってみて、この巨大な山のすべてがゴミでできているということに唖然とした。人々はこの山の周辺に住み、ゴミから再利用できるものを探して生計をたてている。マクドナルドの店などからでるゴミをあさり、廃棄されたハンバーガーなどを見つけたら温め直して食べることもある、ということを聞いた時にこれまでの自分の生活を振り返って恥ずかしくなった。
 これまで、冷蔵庫に食料があるのは当たり前で、大量に購入しすぎて消費期限を過ぎてしまったものはすぐに捨ててしまっていた。また、ダイエットなどといって外食をした際にも大量に残してしまうこともあった。食べ物があるということがいかに恵まれているのかということが分かっていなかったのである。
 しかし、ここパヤタスでもっとも印象的であったのは、人々が「いきいき」としていることであった。日本人と比べて表情がとても豊かであるように思えた。笑顔がすごくよかったのだ。どこでもいろんな人がいるだろうから一言でいてしまってはいけないのかもしれないが、日本のように物には恵まれているけれど表情が乏しくなってしまっているのと、パヤタスでのように物資的にはあまり恵まれていないかもしれないけれど表情豊かに生きていくのはどちらが人間らしいのだろうかと考えてしまった。

 たった6日間という短い間ではあったけれども、たくさんのことを学ぶことができたと思う。ここで考えたことへの自分なりの答をだすことはまだできてはいないけれど、これから生きていく中で少しでも納得のいく答に近づくことができたらいいなぁと思う。