MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

報告会「パレスチナ・ガザの今~知ることから始めよう!」開催しました(7月28日)

 ヒューライツ大阪は7月28日、シャプラニール関西との共催で、2018年5月にパレスチナ・ガザ地区に国際NGO「国境なき医師団」(MSF)から手術室看護師として約1カ月間派遣されていた佐藤真史さんを講師に招いて報告会「パレスチナ・ガザの今~知ることから始めよう!」を開催しました。台風が大阪を通過する直前の夕方でしたが、20人が参加し、現地での写真を交えた報告を受けて、活発な質疑や意見交換が行われました。

佐藤さんの報告の概要は以下の通りです。

 私は、学生時代に、「シャプラニール=市民による海外協力の会」にボランティアとして半年間バングラデシュのスラムに滞在しました。そのとき現地の人からとても慕われていた看護師さんに出会い、強い感銘を受けました。卒業後、会社に就職したものの、学校に入り直し看護師になりました。このたび、国境なき医師団による派遣の話があったので、勤務先の病院を辞めてパレスチナのガザに向かいました。国境なき医師団は、1971年にフランスで医師とジャーナリストたちが設立した団体です。1999年にノーベル平和賞を受けています。
 2018年3月30日にパレスチナ難民の帰還を求める抗議行動「帰還の行進」が始まって以来、ガザとイスラエルを隔てる境界線付近ではデモの参加者がイスラエル軍に銃撃され、たくさんのけが人が発生していました。
 私は、5月5日に日本を出発し、6日にガザに入りました。滞在中、市内の3ヵ所の病院で、国境付近で撃たれた人たちの治療を担当しました。デモに参加している人の大半は失業している若い男性で、多くが下肢を撃たれていました。流れ弾にあたるなどして負傷した女性や幼い子どもも病院に運び込まれてきました。
 5月14日、在イスラエル米大使館がエルサレムに移転したこと、翌日には1948年のイスラエル建国に伴って故郷を追われ、パレスチナ難民が発生した5月15日の「ナクバ(大破局)の日」から70年を迎えたことを受けて、ガザ市民の抗議行動は激しさを増しました。その結果、負傷者がさらに増え、病院には患者が廊下にもあふれかえる事態となりました。アル・アクサ病院では部屋に手術台を2つ置いて、2人を同時に手術しなければならないという切羽詰まった状況にも直面しました。
 そうしたなか、私を含めて世界各地からの医療従事者たちが国境なき医師団の今回のミッションに集まり、地元のスタッフとともに手術などの治療に専念しました。英語でやりとりをしていたのですが、着任当初、英語の手書きのメモが読み取れず、苦労しました。日本ではふだん電子カルテで仕事をしており、活字になった英文を読む機会しかないことから、他のスタッフの手書きの文字に戸惑ったものです。それでも、やがて慣れ、何とか理解できるようになりました。
 ガザには銃撃を受けて苦しんでいる患者さんがまだたくさんいます。今も大変な思いをしている人びとがいることに、関心を持ってほしいと思います。今後も、国境なき医師団から派遣の要請があれば、受けていこうと考えています。


佐藤さん.JPG

  
<参考>
国境なき医師団(MSF) http://www.msf.or.jp/
特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会 https://www.shaplaneer.org/