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用語の説明

マイノリティ

プロセスにおけるマイノリティ」と「存在としてのマイノリティ

 「マイノリティ」とは、「マジョリティ(多数者)」に対する「少数者」を意味します。それが問題となるのは、ふたつの場合が考えられます。ひとつは、民主主義の話し合いという、手続過程における場合。もうひとつは、人種や言語がマジョリティと異なるために、マイノリティとみなされる場合です。そこで、前者を「プロセスにおけるマイノリティ」、後者を「存在としてのマイノリティ」と呼ぶことにしましょう。

プロセスにおけるマイノリティ

 現在の民主主義では、物事は多数決で決められることが多いことからもわかるように、多数者の意見が尊重されます。とはいえ、それは、多数者が正しいという意味ではありません。もしそうだとしたら、話し合いなど必要なく、最初から多数決でものごとを決めればよいことになります。なぜそうしないのかというと、民主主義において大切なことは多数決の結果ではなく、そこにいたるまでの話し合いの中身だからです。つまり、話し合いをとおしていろいろな考え方を知ったうえで、ものごとを判断することが大切だからです。ですから、民主主義における話し合いは、単なるディベート競争ではありません。ディベート競争は、自分の意見が相手の意見より優れていることを示して、勝ち負けを争うものですが、民主主義における話し合いは、相手の意見も取り入れて、相手を説得するという、合意形成のプロセスなのです。ですから、このプロセスを丁寧に行うことによって、マジョリティとマイノリティの違いを解消する可能性があります。また、話し合いのテーマによって、自分の考えがマジョリティになったり、マイノリティになったりするので、話し合いにおけるマジョリティとマイノリティの違いは大変流動的なものです。

存在としてのマイノリティ

 ところが、人種や言語のマイノリティといった、人間の存在そのものがマイノリティとみられる場合、マイノリティとマジョリティの違いは決定的です。そのような違いは、容易に切り替えできないからです。しかし、「決定的」とはいっても、そうした違いそのものが問題を決定するわけではありません。問題は違いそのものではなく、その違いによってある人が他の人を支配したり差別したりすることだからです。つまり、存在としてのマイノリティの問題とは、実は、平等の問題なのです。
 
 そもそも、近代国家にとっての平等とは、人種、言語などの同一性を前提にして、単一の制度を当てはめることでした。つまり、同化を前提にした平等です。ですから、その基準にあてははまらない人々は必然的にマイノリティとみなされることになります。実際、1948年国連総会が採択した世界人権宣言第1条は平等を明記するものの、これは同化主義に基づく平等でした。マイノリティの存在を認めることは、国家の統一と安全にとって危険と考えられたのです。その後、1969年に国連が採択した自由権規約は、その27条において種族的、言語的、宗教的マイノリティの権利を明記していますが、これもマイノリティが同化されるまでの暫定的な権利にすぎないと考えられていました。
 
 ところが、1989年ベルリンの壁が崩壊して以降、各地で凄惨な民族紛争が勃発します。従来の同化主義では立ち行かないことを認識した国連は、1992年「マイノリティ権利宣言」を採択し、マイノリティを否定すべき存在ではなく、尊重し促進する存在であることを承認しました。従来の、同化に基づく平等ではなく、多様性を尊重する平等に考えが変わってきたのです。多様性の尊重は、人種や言語にとどまりません。2006年には、「障害者権利条約」、2011年には、「性的マイノリティの人権に関する国連決議」が採択されました。
 
 こうして、平等とは、ある一定のモデルに自分を無理に合わせることによって獲得されるものではなく、ありのままの自分を認めてもらうことであるということが、認められるようになってきたのです。

(窪 誠)