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「ドキュメンタリー映画とトーク「絞首台からの生還」を開催しました(9/12)


 ヒューライツ大阪は、エル・ライブラリー、アムネスティ・インターナショナル日本との共催で「ドキュメンタリー映画とトーク「絞首台からの生還」を9月12日に開催しました。内容は、映画鑑賞とともに、共同監督による製作への思いやエピソードと若者世代からの感想を聴くなどのプログラムで、会場のエル・おおさか視聴覚室には満杯の101人の参加がありました。多賀さん選定写真_edited.jpg
以下、当日の模様を要約して報告します。

◆映画は、ジャーナリストの小山帥人さんと西村秀樹さんが共同で取材・撮影・監督として2025年に製作したドキュメンタリーです。
韓国で長く続いた軍事政権は、民主化運動を弾圧しましたが、1970年代から80年代には「母国留学」や実業家の在日コリアンも標的になりました。特に留学生が大量逮捕された1975年の11.22事件が日本で大きく報道されました。このような状況下で「北のスパイ容疑」で凄まじい拷問を受け、死刑宣告された李哲(い・ちょる)さんと康宗憲(かん・じょんほん)さんへのインタビューを中心に映画は展開します。同じく死刑判決を受けた実業家の故・孫裕炯(そん・ゆひょん)さんへのインタビュー映像もありました。そして、1948年の済州島4.3事件で日本へ逃げ生き延びた詩人の金時鐘(きむ・しじょん)さんが自身の経験に重ねて在日コリアン政治犯に対する非道を嗚咽しながら語ります。
 1987年以降、韓国では市民が立ち上がって民主化を実現します。李哲さんと康宗憲さんは1988年に獄中から釈放され、生まれ育った日本に戻ることができました。このお二人や亡くなった孫裕炯さんの遺族をはじめとする「元政治犯」らが再審を求め、続々と無罪を勝ち取っていきました。
 「元政治犯」は取返しがつかない苦難の年月を歩まざるをえなかったのですが、結果的に在日コリアンは一人も死刑執行がなされませんでした。その理由の一つが日本での救援運動であったといいます。そして、今回の共催団体のアムネスティ日本の当時の活動や「政治犯」家族をはじめ友人知人による市民運動が獄中の冤罪被害者の心の支えとなっていたことを映像で再確認しました。

◆小山さんは上映に先だち、韓国の当時の政治状況と製作した思いを語りました。
まず小山さんが育った京都での在日コリアンの同級生との思い出です。その子たちの家で初めてキムチを食べ、そして大抵は豚小屋があったそうです。東京の大学では演劇部に入り、金達寿(きむ・だるす)の小説『朴達の裁判』を上演した話が出ました。NHK時代は報道カメラマンとして番組制作に関わります。当時の韓国の言論統制や朝鮮半島の南北分断による在日コリアン社会の対立の厳しさなどが背景にあり、朝鮮半島に関する番組作りには困難がありましたが、4人に1人が在日コリアンであった街、生野区の旧「猪飼野」(いかいの)地区の番組を作ったりしました。1986年の初訪韓での取材では、橋も駅も撮影は禁止。当局に映像をカットされました。このような時代を経る中で「在日コリアン政治犯」の問題は気にかかり映像にしたいとずっと思っていたのです。
小山さんは、わたしたちが社会の在り方を考える上で、歴史の誤りを繰り返し考え反省することが大切だと強調しました。拷問の経験や死刑執行の恐怖の日々を話すことは当事者には大変な苦痛ではあるが、この時代にそれを多くの人に見てもらい記憶をつなぐために映画を製作したと述べました。小山さん_edited.jpg◆大阪公立大学大学院の金裕賢(きむ・ゆひょん)さんと立命館大学映像学部の田中瑞貴さんが感想を述べました。
金裕賢さんは最近古本屋で発見したレコード『그날이 온다』(クナリ オンダ 訳「その日が来る」)を手にして話を始めます。そのレコードには康宗憲さん作詞の歌が収録されています。
「映画からは、李哲さんや康宗憲さんらの証言を通して、拷問や死刑判決によって人としての尊厳と日常が奪われただけではなく、自由の身になってもその後も続く深い傷を受けたことが伝わってきた。また、在日コリアンの政治犯事件の背景には日本の植民地支配や朝鮮半島の分断があり、現在の在日コリアンを取り巻く日本社会の排除の動きと地続きであり無関係とはいえない。過去の救援運動に日本の多くの人が参加し、「政治犯」やその家族を支えたことを知って、自分たちが社会の問題に関心を持ち、人びとを巻き込むことの大切さを考えさせられた」。

田中さんは大学でドキュメンタリー映像の製作を学んでいる立場から語りました。「映画には、李哲さんや康宗憲さんらの重い証言が、表情や声、息遣いを含む映像として記録されている。文字だけでは伝わりにくい恐怖や苦痛を観客が身体で感じられることに、映像で証言を残す大きな意義がある。また、日本全国で救援運動が広がり、社会を変えたことにも勇気を得た。事件の背景にある日本の植民地支配と朝鮮半島の分断が未解決であることを、若者としてどう捉え、行動するかを考え続けたい」。

金裕賢さん
田中瑞貴さん

金裕賢さん(左)


田中瑞貴さん

◆共同監督の西村秀樹さんは3つのキーワードで語りました。
まず「自分事」として、康宗憲さんと同い年であることを含めた自身のこの事件との関わりについて。2つ目は「魂の記録」。死刑判決を受けた三人がジャーナリストを通して伝えたかったことの記録であり、日本の救援運動によるお金が「政治犯」の子どものミルク代になったという連帯の記録であること。3つ目は「現代的意味」。スパイ防止法制定の動きが見えるなど、国家が市民の監視を強めている時代に、再審制度、検察の在り方を含め、わたしたちは韓国の民主化におおいに学ぶ必要があるということ。

西村秀樹さん_edited.jpg

◆孫裕炯さんの遺族である息子さんからの発言もありました。
孫裕炯さんは1981年に逮捕され、1998年の大統領恩赦で釈放されました。息子の孫明弘(そん・みょんほん)さんはアボジの17年間の獄中と奔走した救援運動を思い返しながら、釈放16年後にお父さんが急死されたことの無念さを思うくだりで声を詰まらせました。そして大勢の人が映画を観に来られたことへの謝意を伝えました。

◆終了後の参加者アンケートには様々なコメントが寄せられました。イベントを評価した理由についていくつかを紹介します。
「歴史の事実を残しておくべき意義のある映画」、「(拷問の証言への感謝とともに)人間としての尊厳をバネに立ち直られ姿に心を打たれた」、「民主主義が崩壊しつつある日本も今、たたかわねばならない」、「今、排外主義が強まっているが、こんなに多くの日本人が在日韓国人のためにたちあがったことがあったんだということに感銘を受けた」。

◆韓国からも連帯の挨拶がありました。
今回のイベントに対し、韓国アムネスティから「協力団体」になりたいとの申し出があり、この映画の内容は「決して過去だけの悲劇ではありません。それは国家の暴力によって人生を奪われた方々の物語であり、長い年月をかけて名誉回復のために闘い続けてこられた方々の尊厳の記録でもあります。そして今を生きる私たちに、人権と正義は決して譲れない価値であることを、静かに、しかし確かに思い起こさせてくれます。」との連帯の挨拶が寄せられました。

主催者の一人として、今回のイベントを通じて、日本の現状に対する危機意識が共有されるとともに、次の世代の人たちに日本の未来を人権や民主主義の価値がまもられる形でつなぎたいという思いが会場の中で一つになったように感じました。
小山さんが、初めのお話の中で、この映画は苦しく重いテーマを扱っているが、特徴の一つとして、ハッピーエンドで終わる形式にしたと語ったように、わたしたちに希望を伝える映画でもありました。「人間であることを取り戻した」と語る「元死刑囚」の言葉に心を打たれたという参加者アンケートを複数読みました。                (ヒューライツ大阪 朴君愛)

●自主上映をご希望の方は下記に連絡先してください。
「絞首台からの生還」製作委員会
 19751122movie[a]gmail.com ([a]を@にかえてください)

●参考図書 西村秀樹共同監督・著(三一書房、2025年)
『絞首台からの生還:在日韓国人政治犯の半世紀』