MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 国際人権基準の動向
  3. 国際人権ひろば
  4. 国際人権ひろば No.187(2026年05月発行号)
  5. インクルーシブ教育は子どもの基本的人権を保障し権利を実現するムーブメント~3回の「無期限停学処分」を受けました、でも高校が大好きです~

国際人権ひろば サイト内検索

 

Powered by Google


国際人権ひろば Archives


国際人権ひろば No.187(2026年05月発行号)

特集:優生思想に抗う

インクルーシブ教育は子どもの基本的人権を保障し権利を実現するムーブメント~3回の「無期限停学処分」を受けました、でも高校が大好きです~

松森 俊尚(まつもり としひさ)
知的障害者を普通高校へ 北河内連絡会 スタッフ

 支援学校、支援学級の在籍者数は右肩上がりに増え続けている

 2007年(平成19年)から2022年(令和4年)の15年間にわたる「通級指導教室、特別支援学級、特別支援学校の在籍者数の推移」(表・グラフを参照)を一見してわかることは、いずれも右肩上がりに上昇し、今後も在籍する児童生徒数は増え続けるであろうと予測されることだ。この期間に5歳~19歳の人口が290万人近く減少したにもかかわらず、通級指導教室の在籍数は4倍に、特別支援学級の在籍数は3倍に、特別支援学校の在籍数は2倍にと、それぞれ大きく増加している。異様な伸びであると言わざるを得ない。


no187_p10-11_img1.png

通級指導教室、特別支援学級、特別支援学校の在籍者数の推移
(姫路聖マリア病院・重度障害総合支援センタールルド宮田広善さん作成)


 注目したいのは、これは2007年の特別支援教育の開始(1から2022年の国連障害者権利委員会の日本政府に対する総括所見・勧告までの15年間であり、日本の障害児教育がインクルーシブ教育に向けて大胆に舵を切った「はず」の期間であったということである。

▼2007年 特別支援教育の開始 ▼2009年 「障がい者制度改革推進会議」の設立(障害者権利条約批准に向けて国内法の整備に取り掛かる、障害当事者も委員に) ▼2011年 「障害者基本法」改正 ▼2013年 学校教育法施行令5条の改正(2 ▼2013年 障害者差別解消法制定(2016年本格実施) ▼2014年 国連障害者権利条約批准 ▼2022年 文科省4.27通知(支援学級在籍者は、週の半分程度を支援学級で授業を受けるように) ▼2022年9月 国連障害者権利委員会の勧告...。

 しかし事実が示すのは「分離教育」の推進という現実に他ならない。多様な学びの場、個別最適化、ユニバーサルデザインの授業、コグトレ(認知機能トレーニング)、学校スタンダード、ギガスクール構想、あるいは民間会社が提供する「インクルーシブ教育システム」など、目新しい言葉やハウツーが学校現場に流行したが、結局、支援学校、支援学級は増え続け、在籍者数も増加の一途を辿ることになる。制度やマニュアル化が進めば進むほど、子どもが地域から引き離されていく、関係性が奪われていくことを、それは示しているのではないだろうか。

 なぜなのかという単純明快な疑問が生まれる

 1872年(明治5年)の学制発布以来150年を経過してもなお、学校は「できる・できない」の価値観に基づく「能力神話」に貫かれている。

 新自由主義経済、金融資本主義に裏打ちされた消費社会に保護者も教員も子どももどっぷりとつかり、競争主義、成果主義、評価主義を抵抗なく受け入れる素地が出来上がっている。

 そして「優生思想」を空気のように吸い込み、水のように飲み続けてきた私たち日本人の歴史がある。

 一つの結論を導くことができる。障害のある児童・生徒や保護者が支援学校、支援学級を「選択」するのではなく、支援学校・支援学級に「誘導」されているということである。

 障害児とその保護者が地域の普通学校を選択しようとすれば、日本の政治、経済、文化、歴史に内在する差別がモコモコと立ち上がり、得体のしれぬ相貌と、巧妙な手口を駆使しながら立ちはだかるのだ。とても一人で立ち向かえる相手ではない。時に孤立無援を余儀なくされ、それでもあきらめない人たちによって、全国で今も就学や高校受験の取り組みは続いている。日本におけるインクルーシブ教育の実践は、そうした大きな壁とのたたかいを避けることはできない。いやむしろたたかいのムーブメントそのものがインクルーシブ教育なのである。

 ユウさん、無期限停学処分になる

 大阪では約3,000人の障害のある生徒たちが府立高校に在籍して高校生活を送っている。自閉症の障害のあるユウさんは公立高校の1年生。一日も休まず元気いっぱいに登校をしていたユウさんが、「無期限停学処分」を受けることになった。教員に対する「暴行事件」だという。みんなと一緒に担任のH先生の英語の授業を受けていたとき、横にいた介助者B先生が何か支援のつもりで手出しした時に、ユウさんは「ボクはH先生と一緒に英語の勉強をします!」とはっきりした声を上げた。

 教壇にいたH先生は近寄ってB先生に「ユウくんに任せましょう」と伝えて、授業を再開した直後に、B先生がユウさんのノートか教科書をめくって指示をしたようで、その時にユウさんは教科書をB先生に投げつけ、もう一回別の方向に投げた。「クールダウンの必要がある」と判断した教員たちが別室へ移動させようとした時、ユウさんはB先生の足を蹴ったという。

 ユウさんは二つのはっきりした意見を表明していた。「ボクは学びたい」「ボクはみんなといっしょにいたい」。それは地域の小・中学校で「ともに学び ともに育つ」教育の中で培ってきた、ユウさんの「生きる力」と言ってもよい。高校はそれを「暴行事件」と解釈した。

 校長から「無期限停学処分」が言い渡されて、あとはシナリオ通りに進められるかのように、翌日には「膨大な量」の宿題が家庭学習用に渡され、「謹慎中の心得」なるプリントが届く。教員が毎日家庭訪問に来てユウさんの様子を観察して帰る停学処分の日々が続く。2週間経って校長室に呼び出されたユウさんは「無期限停学処分の解除」を告げられた。

 子どもの権利を守り基本的人権を保障するとは

 その後ユウさんは2学期の芸術鑑賞の時間に、隣に座った女子生徒の膝を触ったことで、3学期には学習支援に入った女性教員の腰を触ったという理由で、「性的暴行事件」という物々しい罪状を被せられてさらに2度にわたる「無期限停学処分」を受けることになった。

 学習権が子どもの基本的人権であるならば、「停学」とはある期間、無期限ならばとめどなく、基本的人権を停止することによって与える罰則ということになる。それが罰則ではなく「教育的指導」だというのかもしれないが、子どもの権利を奪って「指導」する「教育的営み」などあろうはずもない。停学処分を受けて、それが退学へとつながり高校教育の場から去らざるを得なくなった人たちは少なからずいるのではないか。3年間を過ぎる内に1クラス分の生徒数がいなくなっていたという話は珍しいことではない。

 「私は納得できません」と訴える母親に、校長は「高校には懲戒処分権がある」「中学とはシステムが違う」と処分の正当性と必要性を繰り返しながら、生徒たちも教員たちも、学校も守らなければならない、そのためにルール・内規があるのだと説明する。はて、子どもの権利や人権を超越する「ルール・内規」とは何か。

 「学校の主役はルール」なのか。ルールを通して見ると、いともたやすく子どもを「解釈」することができる。ルールを守る生徒か違反する生徒か。違反すればルールに従って「処分」を与えて「指導」する。校長も教員もルール上の対応をする限り責任を問われることもない。生徒たちを守るためではなく、学校組織を守るために編み出された「内規」という名の管理システムに思えてくるのだけれど。子どもに合わせてルールを変更するのが合理的配慮ではないのだろうか。

 それでもユウさんは「ボクは高校が大好きです」「先生が大好きです」「友達に会いたい」と言う。その関わり合いの中にこそ「学び」の本質があるのだと思う。「関係性」が学びを発動するのだ。ユウさんの存在そのものが、母親の「納得できません」と漏らすつぶやきの一言ひと言がさざ波のように広がり、友だちや教員に伝わり、変化を生み出してゆく。それが「共にいる」ことの意味であると私は考えている。

 「共にいる」ことは子どもの権利である。教員でも、たとえ親であっても「分ける」ことは子どもの権利を奪い基本的人権を侵害することである。共にいなければ何も始まらない。



<脚注>

1)
2007年の改正学校教育法施行により、障害の種類・程度ごとに特別の教育の場で指導する「特殊教育」から、児童生徒一人ひとりの教育的ニーズに応じた支援を行う「特別支援教育」へ制度が再編された。

2)
学校教育法施行令22条3表に書かれている障害種別と程度に当てはまる障害児(実際には発達障害を除くすべての障害児と読める)は特別支援学校に就学するのが原則で、普通学校への就学は「認定就学者」(例外的)だったのに対して、法令改正によって地域の普通学校への就学を前提、原則として、本人や保護者の強い願いがあり、かつ教育委員会が専門的知見も加えた総合的判断により認める者は「認定特別支援学校就学者」(今度はこちらが例外的)として支援学校への就学を認める仕組みに変更された。