特集:優生思想に抗う
私たちは、優生思想にどう抗うべきなのだろうか。障害者福祉で優生思想の問題があらためて問われたのは、2016年に発生した津久井やまゆり園事件(以下、事件と略す)であった。今年は事件後、10年の節目にあたる。この10年を振り返ったとき、その方途についてどういった知見が見えてくるのだろうか。
まずは、事件後の障害者福祉の動向を振り返ってみたい(表)。
| 年 | 項目 |
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| 2014 |
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| 2016 |
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| 2018 |
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| 2019 |
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| 2022 |
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| 2024 |
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| 2025 |
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表 事件後の障害者福祉の動向(筆者作成)
第一は、障害者権利条約の批准にともない制定・改定された障害者差別解消法・障害者雇用促進法により、障害者差別を禁止するための法整備が前進したことである。そして、障害者権利条約の履行に対する国連による審査が実施され、障害のある女性の複合差別、精神科病院への強制入院、分離教育の解消などが「総括所見」として示され、大きな話題を呼んだ。
第二は、優生保護法の被害を受けた当事者が裁判に訴え、同法の規定および立法行為が違憲であったことが最高裁大法廷判決として2024年に確定したことである。判決を受け、政府は国の損害賠償責任を明確にした旧優生保護法強制不妊補償金支給法(1を制定し、2025年1月からスタートさせた。また、石破茂首相(当時)を本部長にした対策推進本部を設置し、障害当事者へのヒアリングを通して障害者差別の根絶のための「行動計画」(2を決定した。
第三は、補助金ビジネスの横行である。障害者雇用率を商品化して販売する雇用代行ビジネスの横行や、就労支援や障害児福祉現場に参入した企業等による不正行為、とりわけグループホーム運営大手企業「恵」による問題(食材費の過大徴収など障害福祉サービスの不正請求問題)は社会的な注目を集めた。これらの背後には、「土地活用ビジネス」などと称してその手法を売り込むコンサル業者の存在が指摘され、「障害福祉」と「札束」のイメージを前面に出した宣伝広告がSNS等で堂々となされるようになった。
一方で、この10年は事件について数多くの論考が示されてきた。論考は多数あるが、ここでは筆者が整理した主要な4点の問題を示す(3。
この優生思想の問題にメスが入れられたのが上述の最高裁判決であり、「行動計画」で重大なキーワードとして確認されたのが「共生社会の実現」であった。その「共生社会の実現」にとって何が弊害となっているのか。補助金ビジネスの動向はそれをよく示しているように見える。
たとえば、近代の優生学では、障害者の存在を「コスト」だと捉え、その「害毒」から免れるための方策として就労支援や施設の必要性を語っていた。他方で、今日の補助金ビジネスでは、障害のある従業員の雇用を企業にとって「重荷」であろうと捉え、「重荷」から免れるための方策として代行ビジネスが販売され、それが「就労支援」だと喧伝されている。筆者は、ここに時代を超えた優生学との重なりを具体的に見てしまうのである。
事件を踏まえ、優生思想に抗うための方途として、ここでは2点を指摘したい。
第一は、人の数値化に注意深くあることだろう。
過去を振り返ると、優生思想は往々にして人を数値化し、生産性で評価する積弊(積もり積もった悪弊)ともいえる。優生学では人を能力で序列化し、障害者をその「底辺」として位置づけ、社会経済にとって「コスト」だとして「剪除」(切り取って取り除く)を主張してきた。それはあたかも自明の理であるかのように解され、立法化(国民優生法、優生保護法)を通して「不良」とみなした人たちの身体を文字通り改造してきた。優生保護法下では、その数は25,000人以上に及ぶとされている。
その現場で用いられてきた一つが知能指数(IQ)であった。
IQは知的障害を測定する物差しとして用いられ、それと関連した用語としてCA(生活年齢)、MA(精神年齢)といった言葉が福祉現場でもよく用いられ、支援の手立てにされてきた。今日では「境界知能」に目が向けられ、その解釈と運用はより具体化しているといえよう。こうした数値化は、困難を抱える人の事情を可視化し、社会に理解を促すツールとして重要となる。
一方で、こうした数値化の技術(数理統計学)は優生学で要請され、開発されてきた過去を併せ持つ。知的障害(当時は「精神薄弱」)の判定技術はむしろ選別的な目線を伴って開発され、実際に優生手術の適否を判断する物差しとしても用いられてきた。数値化は人の序列化と、その正当化のツールとして用いられてきた側面もあるため、人の包摂と排除を一体的に抱えてきたことを私たちは踏まえるべきだろう。
人の数値化が、その人を助ける手立てとしてなのか、選別や序列化の手立てなのかを鋭く問い直していくことが重要に思われる。
優生思想に抗うための第二は、2026年現在は、歴史的に見て障害者の結婚・育児に社会的な関心が集まっている極めて稀な時期にあり、そこに可能性が秘められていることを意識することである。
よく知られるように、北海道はかつて優生手術を積極的に行っていた地域でもある。その北海道では、今日においても、グループホームの利用条件として不妊手術を「提案」していた事業者の存在が発覚した。この問題を受け、厚生労働省は各自治体に情報を求め、その対処について一定の指針を示した。
北海道の事案には、さまざまな立場の団体が批判の意思を示しており、日本グループホーム学会も声明を発表した。そこでは、批判の表明だけでなく、結婚・出産・育児を権利として位置づけ、支援のあり方や社会の整備体制についても言及されている点が注目される。
現状、居宅介護や重度訪問介護といったホームヘルプサービスは、結婚や育児を想定して設計されており、実際に現場でも結婚や育児を支える重要な役割を果たしている。一方で、グループホームや障害者支援施設といった居住を支える施策では、制度設計として利用者の結婚・育児が想定されていない。
熱心な事業者ほど、グループホームの報酬体系のズレや欠陥に直面し、本人の生活や人生に寄り添った支援を行おうとすると制度的な「壁」に阻まれる矛盾を普段から抱えている。この状況下で、制度が想定していない利用者の結婚や育児をどう支援していくのか。
政府は「行動計画」において結婚・育児の支援の推進を示しており、グループホームの制度設計を知る厚生労働省や自治体はおそらく差し迫った「課題」としてその対処を思案しているものと推察される。
現状の制度を前提に、母子保健などの施策との「連携」を通した「好事例」を収集し、それを現場に下ろし、現場に「丸投げ」をしていくのか。それとも制度を見直し、結婚や育児を人権として確保していくのか、いま、まさにその岐路に立っている。繰り返すが、いま、この現場に横行しているのが補助金ビジネスなのである。
優生手術に加担してきた大きな現場の一つが福祉であった。
たとえば、施設入所条件に手術が前提とされていた実態、9歳の子どもにすら手術がなされていたこと、「生理の始末ができないから」「公益上必要だから」「赤ちゃんが腐っている」などといった言葉を投げつけて手術が強要されていたこと、手術を「盲腸」の処置などと本人をだまして実施していたことなどである。そのなかで、たとえば、手術を通して心身ともに深い傷痕を背負わされ、妻が命を引き取る間際まで手術を受けさせられたことを打ち明けられなかった夫の姿もあった。
多くの地域には、長年にわたり福祉現場を熱心に築き、支えてきた無名の当事者や親、そして「職人」たちが存在する。個人的な体験ではあるが、筆者は度々そうした人たちから声をかけていただき、話をする機会に恵まれてきた。そうした現場では、優生思想の問題に強い関心を抱き、その熱量にむしろ圧倒されてきた。こうした現場どうしが立場や地域を越え、連帯することができたら、事態は大きくより良い方向へと動くことは間違いないだろう。
その連帯の「結び目」をどうつくることができるか。おそらく本誌を手に取る方々のなかには、人権について幅広い目線とフィールドを持たれる方も多いと思う。本稿が、その「結び目」をつくる一つのきっかけになればと期待したい。
<脚注>
1)
「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者等に対する補償金等の支給等に関する法律」のこと。補償法では人工妊娠中絶等を受けた本人(ただし、生存している人)も対象とした。
2)
障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた行動計画」、2024年12月27日のこと。
3)
詳しくは、拙著『ソーシャルワーカーのための反『優生学講座』―「役立たず」に抗う福祉実践』現代書館、2022年を参照されたい。