特集:優生思想に抗う
優生思想は、根本的には人間を「生存に値する命」と「値しない命」に分け、優れているとされる遺伝子を増やし、劣った遺伝子を除去する考え方である。根底には、望ましい人間像がある。「望ましくない」とされる障害、疾病、特定の民族や性的指向などを持つ人々の出産を、強制的な不妊手術や隔離、最悪の場合は殺害によって制限・排除しようとしてきた。では、ここ十年、優生思想の観点から障害者はどう扱われてきたのだろうか。
強制不妊手術は、障害があることが「不幸」と見なされた結果、旧優生保護法のもと障害を理由に同意なく行われた。2024年に最高裁は旧優生保護法を「違憲」と判断し、国の損害賠償責任を認めた。国は被害者とその配偶者等に対し補償制度を設け、また謝罪を行った。ここに至ったのは、被害者がやっと一人二人と口を開き、裁判を起こしたからであった。
![]()
最高裁の違憲判決後の会見の様子
(提供:優生連(優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会))
この十年で最も衝撃的であったのは、2016年の津久井やまゆり園で19人の命が奪われた相模原障害者殺傷事件である。「障害者はいなくなればいい」と障害者抹殺を進めた事件はなぜ起こったのか。国は障害者を社会に適応できない、繁殖させるべきでないとするナチスに影響された思想の延長で、施設にずっと収容、隔離してきた。脱施設化政策に転換したとしているが、2024~26年度の障害福祉計画基本指針でも、2022年度末時点の施設入所者数の5%以上という削減目標をたてているにすぎない。精神障害者の措置入院や施設安全対策の名目での隔絶化などの見直しも必要である。地域移行支援や地域生活支援の拡充、特に福祉サービスとの連携強化によって、障害者の施設隔離は速やかに防げる。常時介護を必要とする人に、自宅での入浴、排せつ、食事介助、調理、洗濯、掃除などの家事、外出中の移動介助を提供する重度訪問介護(重訪)の制度は、地域移行を促進する。2024年には長期海外滞在中にも使えるようになり、地方中心にもっと利用しやすくなってほしい。
障害者が隔離されていた時代には、アクセシビリティは必要なかった。2024年には鉄道駅94.2%に設置されたエレベーター、ベビーカーの利用も多い車いす用トイレ、高齢者にも歓迎される低床バスなど、街の環境は整ってきた。
![]()
点字ブロック、転落防止の昇降バー式ホーム柵が
設置された駅のホーム(筆者提供)
インクルーシブ教育でも、障害児への隔離施策は未だ解かれない。従来は盲・聾・養護学校や特殊学級に区別された教育に重点が置かれた。それに代わった特別支援教育は、共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のために必要とされ、障害がある子ども各人の教育的ニーズを把握し、指導や支援により社会的自立を目指すとしている。これは特別支援学校や特別支援学級による分離を前提にしている点でインクルーシブ教育ではないと国内外からの批判にさらされる中、文科省はバリアフリー法の改正による公立小中学校のバリアフリー義務化は行ったが、修学旅行時の差別的取扱いや公立高校の定員内不合格など次々と起こる問題には対処できていない。
どれだけ働き、どれだけ役立つかという生産性だけで、人間の価値が決められている。障害により生産性が低いとされる人々は、「税金の無駄」とバッシングされる。障害者雇用・就労施策では、一般就労への移行と定着を重点目標としているが、自らの力を発揮し、安心・安全に働くことができる職場環境の整備がなければ、目標達成は困難である。2024年の障害者差別解消法改正で、事業者による障害者への合理的配慮提供も義務化されたが、施行はまだ不十分である。
軽度の知的障害者が、成年後見の「保佐」の利用により警備会社を退職させられた2017年の事件では、成年後見利用者を警備業から一律に排除する旧警備業法の欠格条項が2026年最高裁で違憲と認められた。聴覚支援学校に通う女子死亡事故の損害賠償訴訟の一審(2023年)では、将来の労働収入(逸失利益)を全労働者平均の85%と認定した。二審(2025年)では、裁判所が、デジタル機器の普及や障害者差別解消法による合理的配慮義務化の現代社会で非障害者と同様に働ける環境が整いつつあることを重視し、逸失利益を全労働者平均の100%と認める判決となった。
命の選択が公に語られるようになったのも、ここ十年の傾向である。医師が死を招く処置を行う尊厳死はその一例である。超党派の議員連盟による尊厳死法制化の議論は続いているが、粘り強い運動で現段階では阻止されている。しかし、厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」では、延命治療を差し控えたり、中止する運用が行われている。
科学の発展に伴い新たな優生思想への懸念もある。胎児の障害の有無を調べる出生前診断では産み分けが可能とされるが、命の選別につながるとする倫理的議論は深められるべきである。デザイナーベビーという言葉を有名にした、遺伝子を直接操作するゲノム編集も、人為的に特定の人間を優遇し、格差や差別を助長する。障害児が生まれた時の親の戸惑いやパニックを見てきた医療関係者は、障害児の出生阻止を使命だと感じているのではないかと思わずにいられない。
現代における優生思想は、かつてのような露骨な迫害だけでなく、「良かれと思って」行われる選別や、無意識の偏見の中に潜んでいる。テレビやネットで障害者を知っているつもりでの善意の差別は、偏見や理解不足から無意識に相手を傷つけたり、社会参加を制限する。障害者差別解消法で禁止されている「不当な差別的取り扱い」や「不適切な配慮」につながるケースが多い。「迷惑がかかる」と個室や別室、車椅子利用者に広い部屋、障害のある子供に別室学習を強制するなど、本人の意向を確認せずに隔離する。できないと決めつけ本人の意思を無視した全介助、話しかけた本人ではなく介助者への返答、危ないとして安全配慮なしに一律での散歩やスポーツなどの活動制限など、枚挙にいとまがない。
障害者権利条約(CRPD)なしには、この十年の障害者の権利は語れない。国連加盟国193か国のうち、米国以外ほとんどすべての国がCRPDを批准した。CRPDがあるからこそ、同じ土俵で自分たちの権利を語り合い、主張することができる幸せを、 世界中の障害者が噛みしめている。
日本でも2014年に批准したCRPDの影響は大きい。CRPD委員会が日本審査に対し条約の履行が不十分な点を充分に勘案した総括所見が、2022年に出された。第19条の自立生活と地域移行および第24条のインクルーシブ教育への勧告のみに対しては「強い要請」という表現が使われ、障害者の権利擁護運動を後押しした。
CRPDは日本社会全体に影響をあたえた。障害者が勝ち取った権利は、誰もが排除されない社会を作るためのキーワードとなった。例えば、アクセシビリティと合理的配慮が考慮され、共生と多様性を前提とした教育により子どもやその周囲の人々の人権や多様性の理解が深まり、女性のリプロダクティブ・ライツの意識が高まり、 政策において交差性が重視された。
障害のない者を、公的機関やマスコミは健常者と呼ぶ。私たち障害者の間では「非障害者」とするように変わってきている。優生思想に対峙する気なら、障害者基本法の2011年の改正で障害そのものを否定する「障害予防」から「障害原因の予防」への用語の変更があったように、「健常者」の使用はやめねばならない。
優生思想の根絶は難しい。ルックスのいい人をもてはやし、高学歴と聞いて尊敬してしまう私たち障害者の態度も、優生思想に根付いていることを認めねばならない。
<参考文献>