特集:「ビジネスと人権」の推進をめざす市民社会の取り組み
2026年1月5日、豊洲市場で開催された初競りにて、過去最高値でクロマグロが入札された。243kgが1kgあたり210万円で落札され、総額5億1030万円となった。もちろんこれは新年の初セリという特殊な状況において落札されたものであり、普段からこのような価格で取引されているわけではない。しかし、この数字の背景に凄まじい社会の格差を感じざるを得ない。
日本の食卓に上るマグロはこの数十年の間に大きく変わってきた。マグロは従来から大衆魚として親しまれており、全国のコンビニ、スーパーで鉄火巻きが気軽に買えるほどであった。しかし、漁業人口は農業人口以上に著しく低下しており、今や遠洋マグロ漁船に乗船する日本人労働者は極めて少なくなっている。さらに、グローバルな水産資源保全の取り組みが強化される中で日本の漁業者が獲ることを許されている漁獲枠にも制限がかけられている。にもかかわらず、全国で安価にマグロが簡単に買える状況がなぜ続いているのか?>
この「日本産」と言えるマグロの流通量減少を支えているのが海外から輸入されているマグロである。スーパーのマグロを眺めても実に様々な国や地域からマグロが輸入されていることがすぐわかる。韓国、台湾、バヌアツ、マルタ、クロアチアなど多岐にわたっている。
中でも、冷凍マグロの輸出元として最もシェアが大きいのは台湾である。貿易統計を見れば、メバチマグロ、キハダマグロ、ビンチョウマグロはいずれも台湾がシェアでトップとなっている。まさに、高級魚化する国産マグロとの対極でスーパー・コンビニに流通する安価なマグロを支えているのは台湾船籍の船で獲られたマグロなのである。
その台湾船でマグロを獲る労働者だが、実は台湾でも漁業人口の減少は著しく、漁業に従事する若者は少数派である。遠洋に何ヵ月も出て、船に乗りっぱなしになるような働き方なので、遠洋漁業ではなおさら減少が激しい。その世界の遠洋マグロ漁を支えているのはインドネシア人労働者なのである。台湾の船でも、韓国の船でも、マルタの船でも実はその漁を支えているのはインドネシア人だというのは港に行けばよく聞かれる話である。それゆえに、インドネシア人に聞くと、世界のマグロ漁の労働環境の概況がつかめてしまうのだから不思議な世の中でもある。
そして、インドネシアから出稼ぎに出る漁民に話を聞くと、近年船内環境や労働環境が最もひどいと言われているのが中国籍や台湾籍の船である。今回アジア太平洋資料センター(PARC)では台湾に出稼ぎに出るインドネシア人漁民の方々の連帯組織として設立された「インドネシア船員の集いフォーラム(FOSPI)」のメンバー二名の招へいに協力し、彼らとその仲間たちが直面する窮状について日本の消費者やマグロを取り扱う企業、政策決定者らに訴えるための支援を行った。そこで聞こえてきた事実は胸を痛めずには聞いていられないものであった。
2018年から2025年までFOSPIの事務局長として多くの仲間たちを支えてきたムジャキールさんは近年では沿岸での仕事が多かったが、かつては遠洋で働いたこともあった。遠洋で働いていたころ、何ヵ月も漁に出たままになるのがふつうであったという。その航海の一つで彼の乗船していた船では食料が尽きてしまったという。補給船が定期的に物資を届ける予定になっていたものの、海が荒れれば補給は遅れる。そんな中、水や食料が尽きることはしばしばあるようだ。そして食料が尽きると船員たちはマグロの餌として積み込んでいた小魚の加工品を仕方なく食べるのだと話してくれた。しかし、所詮はマグロの餌である。彼の仲間の一人はそんな暮らしの中で体調を崩して病気になり、倒れてしまった。船には医者がいない。船長は釣果が上がらなければ陸には帰ってくれない。ムジャキールさんは自分も過酷な労働環境に耐えながらも、ただただ仲間から生気が失われていくのを見ていることしかできなかったという。結局仲間は亡くなり、ムジャキールさんはそのご遺体が家族のもとに帰れるようにすることしかできなかったときの悔しさを話してくれた。
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FOSPI-PMFUの労働者たち。
後列一番右がムジャキールさん(提供:施逸翔)
同様に来日し、話を聞かせてくれたアリフィンさんも台湾だけでなく、いくつかの国で遠洋のマグロ漁に出た経験があるというが、ご自身の経験では台湾船籍のものが環境が最もひどかったという。アリフィンさんも洋上で水が足りなくなる経験を何度もしたと話してくれた。水がなくなると船員らは海水を汲み、鍋やヤカンで沸かして塩分を除くのである。しかし、どれだけお湯を沸かして塩分を取り除いても、航海が続くとだんだん水が塩味を帯びてくるように感じるのだそうだ。塩は除いているはずなのに、日を追うごとに塩味は強くなっていくように感じられ、気持ちも限界に近づいてくるとのことだ。
このような働き方は許されるべきではものではない。話を聞けば聞くほどILOの定める「隔離」、「過度の残業」、「虐待的な労働・生活環境」などの強制労働の指標ほぼすべてに当てはまってくるのがわかる。そしてマグロを今も大衆魚たらしめている背景にはムジャキールさんやアリフィンさんとその仲間たちの犠牲があることを消費国に住む私たちは知らなければならない。
そもそもなぜこのような働かせ方がまかり通っているのか?重要な問題点としてムザキルさんやアリフィンさんが指摘するのがインドネシア人漁業労働者らをめぐる二層構造の問題である。
インドネシアから飛行機に乗って台湾に向かうとき、労働者らはすでに2つのグループに分けられる。片方は沿岸・近海漁業を中心に従事する労働者であり、もう片方は遠洋漁業に従事する労働者である。前者は原則として陸に拠点を持ち、漁に出ても夜には帰る。数日間の漁に出ることはあっても、何ヵ月も出っぱなしになることはない。これら労働者は台湾で就労する資格を持って入国し、最低賃金や労災保険などの基本的な労働者としての権利が認められている。
しかし、もう一方の労働者は台湾に入国する際に労働者としての資格を持たずに入国することになる。そして、入国するや否やすぐに遠洋漁業船に乗せられ、領海外へ出ていく。台湾の管轄内では就労しないために、就労ビザなどは持たずに渡航するのだ。このグループは乗船するために便宜上入国するに過ぎないという位置づけなので、台湾当局は労働者として保護することをほとんどしない。最低賃金法さえ適用されない。
同じインドネシアからの移住労働者でありながらも二層構造で労働者としての権利が認められている労働者とそうでない労働者がいる。この二層構造があることによって労働者の権利がうやむやにされがちなのである。一見すると台湾で働く漁業従事者のインドネシア人には労働法制が適用されているように見えながらも、実は網から完全に外れる労働者こそがほとんどのマグロを獲っているのである。
このような二層構造は、しかし、台湾に限った話ではない。日本の船でも法の抜け穴をかいくぐるような制度が用いられており、日本の船なのに日本の最低賃金以下の給与で働く労働者が少なからずいる。遠洋漁業は様々な国による脱法制度の温床なのである。日本船が比較の話として台湾のマグロ漁船よりも待遇が良いのは何の法律でも保証されていないなかでの偶然に過ぎない。実に危うい雇用関係の下で労働者は働いているのだ。
このような状況に対してムジャキールさんやアリフィンさんらの所属するFOSPIはたった一つのはっきりとした要求を突き付けている。それは全ての遠洋漁業船で自由にアクセスできるWiFi環境を保証することである。二人は労働者たちの決意を力強く語ってくれた。WiFi環境が整えられて、自分たちで問題を訴える手段さえあれば、自分たちはきっと仲間を守ることができると強く信じているし、そのためにFOSPIで組織化・オーガナイジングに励んでいるのである。
マグロを多く食べる私たち日本の消費者はその気持ちに応えるべく、すべての船にオープンWiFiの義務化を求めていくべきである。そうでなければ格差はさらに拡大し、かたや一キロ何万円もマグロに払ってありがたがる富裕層がいて、大衆はさらに底辺の労働者を搾取するという関係性がますます固定化されていく。