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国際人権ひろば No.185(2026年01月発行号)

特集:「安全」「安心」の名のもとに脅かされる人権

緊急事態条項は必要か―日本の改憲論議の不思議

 はじめに

 日本の改憲論議というのは実に奇妙である。世論調査で、「憲法改正に賛成ですか、反対ですか」と問われる。どこの国でも、憲法改正の是非が一般的に問われることはなく、特定の憲法条文の改正が具体化して初めて、世論調査の対象になる。日本では、首相が「自分の任期中に憲法改正を実現する」と煽る傾向が強く、憲法改正が自己目的化されているように見える。

 自民党は4つの「変えたいこと」を挙げる。9条への自衛隊の「加憲」、緊急事態条項、参議院の合区解消、教育環境の充実である。だが、これらは既存の制度の真面目な運用や法律の改正で実現できるものが多く、あえて憲法改正という手間隙のかかることをする必要性は認められない。憲法審査会では「やってる感」を演出すべく、ネタさがしに懸命である。その一つが緊急事態条項を新設するというものである。

 なぜ日本国憲法に緊急事態条項がないのか

 一般に、戦争や内乱、大規模災害など、国の維持・存続を脅かす重大事態において、平常時の立憲主義的統治機構のままではこれに有効に対処しえないという場合に、執行権に特別の権限を与え緊急の措置をとれるようにする例外的な権能のことを国家緊急権という。日本国憲法には緊急権の条文が存在しない。多くの国の憲法にはあるのに、日本にないのはおかしいという議論もあるが、大日本帝国憲法下の戒厳や緊急勅令などが果たした役割への反省から、あえて憲法上採用しなかったと考えるべきだろう。

 「緊急」対応の制度としては、日本国憲法には参議院の緊急集会の規定がある(54条2項但書、3項)。憲法制定過程の議論からも、「我が国の如き天災多き国に於」ける「不測の災害」には法律で対応するとされていたようである。法律には「緊急事態」という文言が随所に存在する。「警察緊急事態」(警察法71条)、「災害緊急事態」(災害対策基本法105条)、「原子力緊急事態」(原子力災害対策特措法15条)などである。「憲法に緊急事態条項がないから」という議論が大災害のたびに出てくるが、東日本大震災においても、新型コロナウイルス感染症対応においても、最近では「令和6年能登半島地震」(北國新聞は「1.1大震災」と呼ぶ)においても、それは憲法の問題ではなく、十分な対応措置をとれなかった政治の問題であろう。では、憲法の緊急事態条項というのは一般にどういうものだろうか。

 緊急事態条項の3点セット

 私は分かりやすく、「緊急事態条項の3点セット」といっている。すなわち、「集中、省略、特別の制限」である。大統領や首相などの執行権のトップに一時的に権限を「集中」して対応する。その際、議会の承認などの手続を「省略」して迅速に措置を実施する。そして、国民に保障された権利を、平常時では許されない範囲や強度で制限するという「特別の制限」が認められる。ただ、緊急措置の期間は限られていて、措置の終了と事後的な検証も義務づけられる。それゆえ、どこの国でも、緊急事態条項を憲法に設けるときには、それが濫用されないような「安全装置」がさまざまにセットされている。

 最も立憲化されたドイツの緊急事態条項

 歴史上、最も立憲主義的な緊急事態条項はドイツのそれである。大統領に広範で強力な非常措置権を与えたヴァイマル憲法(1919年)48条が濫用され、ヒトラー独裁を招いた反省から、旧西ドイツ基本法(憲法)の制定過程で、緊急事態条項(草案111条)が削除された。1968年になって、緊急事態条項を大量に含む基本法改正が行われ、これは「制度化された緊急権の完成形態」と呼ばれた。例えば、外部からの武力攻撃が行われたときでさえ、連邦首相に軍隊指揮を含むすべての権限が移行するための「防衛事態」の確定には、連邦議会の投票数の3分の2の賛成を必要とする(基本法115a条)。ただ、緊急を要する場合には、事前に選出してある48人の議員からなる合同委員会(「非常議会」)が、当時の首都ボンの南西28キロにある核シェルター(正式名称「連邦憲法諸機関退避所」)に集まり、そこで3分の2の多数で決定する。なお、このシェルターは1962年から一度も使われることなく1999年に廃止され、「冷戦の遺物」として公開されている。ただ、「ウクライナ戦争」(複雑な「地政学的戦争」)のなかで、戦争を続けさせる要因が働き、ドイツでも大規模な軍拡が進んで、軍事的緊張が激化している。再び、核シェルターが建設されるかどうかはわからない。


no185_p6-7_img1.jpg「連邦憲法諸機関退避所」の入口(筆者撮影)



 緊急事態条項の濫用

 緊急事態条項は、権力者にとって政権維持の道具として濫用されてきた歴史がある。軍事クーデタなどが起きる度に、憲法上の根拠とされてきた。その濫用、誤用、悪用、逆用、私用!の例としては、韓国が最も生々しい。1949年から80年まで「韓国憲政史は非常事態化の歴史」と称されるほど、緊急措置が乱発された。90年代以降、過去の憲法破壊行為の清算と憲政正常化の観点から、緊急事態権限の濫用を統制する努力が続けられてきた。特に、憲法裁判所の役割が重要である。国民の基本権が侵害される場合には、緊急措置を「統治行為」とせずに審査対象とする判決も出している。

 記憶に新しいのは2024年12月3日、尹錫悦大統領(当時)が韓国憲法77条1項に基づく非常戒厳を宣布したことである。軍の部隊が国会を包囲したが、多くの市民の支援のもと、190人の国会議員がそれを突破して国会内に入り「戒厳解除決議案」を可決した。憲法77条5項によれば、在籍議員の過半数により戒厳は解除される。300人の過半数は151人である。与党議員も賛成する190人全員一致の可決だった。緊急事態条項を悪用(私用!)しようとした尹錫悦はその後逮捕される。議会による戒厳の解除こそ、韓国憲法にセットされた「安全装置」だったわけである。しかも、それを国会議員も市民も知っていて、戒厳が発動されるや直ちに国会前にかけつけて民主主義の破壊を阻止した意義は大きい。

 フランスでも、第五共和制憲法16条の大統領の非常措置権が、1961年のアルジェリア紛争の際に濫用されたため、1993年、ミッテラン大統領(当時)がこれを廃止して、国家緊急権を大幅に制限しようと試みたことがある。

 このように、緊急事態条項を限定・制限しようとしたり、さらには廃止しようと試みる国があるのに、「どこの国にもあるから日本でも...」という議論はあまりにも思慮を欠くものといえるのではないか。

 無用無益な改憲論議-衆院議員の任期延長

 いま、国会の憲法審査会で議論されていることは「不要不急の憲法改正」といってよいが、そのなかでも滑稽なのは、国会議員の任期延長に関する議論である。衆議院議員の任期満了前に「緊急事態」が発生したため、予定どおり選挙を実施することができず、任期満了が到来することにより、衆院議員が存在しない事態が生じるとして、そのような場合に、議員任期の延長が必要であり、憲法改正によりその仕組みを導入すべきという議論である。憲法54条2項は、「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。」と定める。これは、衆院議員の任期満了の場合には適用されない。そうしたケースのために、憲法改正が必要だというのである。今まで、解散によらず、任期満了による総選挙は1976年の第34回総選挙の1度しかない。そんなレアケースのために憲法改正が必要なのか。加えて、かりに任期満了時であっても、大災害の被災地以外の選挙区では予定どおり選挙を行い、被災地では、公職選挙法57条の規定により、繰延投票(「天災その他避けることのできない事故により、投票所において、投票を行うことができないとき、又は更に投票を行う必要があるときは、都道府県の選挙管理委員会...は、更に期日を定めて投票を行わせなければならない。」)を実施し、衆院議員不在の状況を速やかに回復し、特別会を召集すればよいだけの話である。そもそも国会議員が、多額の歳費をもらえる身分を延長させようという議論そのものが、不要不急を超えて、無用無益というべきであろう。


 客観的な危険や脅威を冷静に分析して制度設計する「安全保障」と、人々の主観的な「不安」に便乗して安易な制度や仕組みを導入しようとする「安心保障」とをきちんと区別して、後者に惑わされない冷静な視点が求められるのである。



《参考文献》

  • 拙稿「緊急事態における権限分配と意思決定―東日本大震災から考える」(拙著『憲法の動態的探求― 「規範」の実証』日本評論社、2023年)所収)。初出はここから全文が読める(https://www.asaho.com/jpn/img/2015/0406/shinsaigo.pdf)。
  • 拙稿「緊急事態条項」奥平康弘他編『改憲の何が問題か』 (岩波書店、2013年)ここから全文が読める (https://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0125.html)。