人として♥人とともに
今号の特集は「性と生殖に関する健康と権利 (Sexual and Reproductive Health and Rights:SRHR)をめぐる課題」です。
私たちの誰もがおそらく「自分にとって健康は大切」と考えているでしょう。ですが、大学で「女性の健康と法」や「ジェンダー論」という授業を担当するなかで、特に女子学生が、自身にとって大切な問題である健康を守るために適切に行動できているのかどうか、甚だ疑問を感じるようになりました。
交際相手の男性に避妊してと頼まないといけない、あるいは年上の交際相手に避妊してなんて言えないと考えている女子学生。「身体を大切にする」「健康を守る」ことは重要と理解しているのに、その考えは交際相手との関係性のなかでは、どこかに消え去ってしまうようです。はっきりしているのは、親密な関係性のなかでの性的な自己決定に関し、女性が主体的に行動できていると考えるのは難しいということです。
こうした経験を踏まえ、女性が健康を手にするためには、「身体を大切にする」ことの意味を十分に理解し実践する必要があると思うようになりました。この場合の健康は、世界保健機関(WHO)が定義する健康、すなわち「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること(日本WHO協会訳)」という意味での健康です。そして、この定義に則って、女性が肉体的、精神的、社会的に健康を実現するためには、以下の三点が重要だと考えるようになりました。
一点目は「身体を自分に取り戻す」ことです。そのためには、自分の身体は自分のものであることを、他者との関係性のなかで決定し実現できることが重要になります。意思に反して合意なく身体的な接触を強要されない、暴力をふるわれない、暴力をふるわれる危険に怯える必要がない、妊娠の不安を感じながら性的関係をもたないこと等が重要な要素であり、そのためには、相手とのコミュニケーションを通じて、きちんと自身の意思を主張できることが大切になります。
二点目は「自分自身を自分で定義する」。他者の視線や評価を基準にして、服装、髪型、化粧、振る舞い方を決めることから自由になり、私は私であり、なりたい私は自分が決めるということになります。他者の視線から完全に自由になることは誰にとっても簡単ではありません。しかし、特に女性は、「見られる存在」として客体化され消費される文化のなかで、 「他人の視線と評価」を基準にして自分を「つくる」ことに慣れすぎていることが非常に多いと感じています。性的アイデンティティを大切にすることも含まれます。
三点目は「自身の存在を祝福する」ことであり、自身の存在に肯定感をもち、引け目を感じずに生きることが大切になります。「女性は出産と子育てがあるから働き続けるのは難しい」という意識が強い状況では、女性は安心して暮らしていけませんし、十分に能力を発揮することも難しいでしょう。「女性は腕力では男性にかなわない(から男性に従わないといけない)」といった「いつの時代?」と思うような意見が自然に出てくる限りは「女性であることを祝福する」ことは困難です。 こうした点を改めて指摘しないといけない背景として、①家父長制的意識が今も残るメディアと②不十分で不適切な性教育の2点を強調したいと思います。
CM、ドラマ、マンガ、アニメ、バラエティを始めとするテレビ番組の構成と内容には、ジェンダー意識が根深く残っています。女性の性的な客体化、性別役割分担、家父長制的意識を反映した描き方やコメントが女性に対する偏見を強化しています。
また、学校での性教育は、生理について男女を分けて教える「慣習」が今も続いているなど、性に関する相互の理解を促すものになっていません。「隠すこと」 「恥ずかしいこと」として性に関する知識を受け取る傾向が顕著であり、包括的性教育が重視する「平等なコミュニケーションを通じた互いへの理解と尊重に基づく関係性の構築」には程遠い状況です。性関係に関する知識はアダルトビデオを含めインターネット上から得ているという学生が多いことを深く憂慮しています。
メディア、性教育とも、性的マイノリティの尊厳が守られているかどうかも重要な点です。「性と生殖に関する健康と権利」が武力紛争時に攻撃相手への 「武器」として侵害されることも続いています。
「性と生殖に関する健康と権利」あってこそ、私たちは自分を大切にし、他者と自由で安全で豊かな関係を築くことができます。