特集:人権条例の最前線
日本における民族差別は、戦前の植民地支配の清算もないまま、戦後も継続してきたが、2000年代後半からは、公然とヘイトスピーチを叫ぶデモや街宣が行われるようになった。
他方で、ヘイトデモなどに現場で抗議する活動も活発化し、また、人種差別撤廃条約に合致する法規制を求める声が高まった。2014年、人種差別撤廃基本法を求める議員連盟が結成され、2015年5月、NGO「外国人人権法連絡会」作成の案をベースにした人種差別撤廃施策推進法案が同議連所属野党議員7名により国会に提出された(以下、野党案)。
川崎市では、2016年1月までに12回ものヘイトデモが行われ、最後の2回のデモは「川崎発!日本浄化デモ」と民族浄化を掲げ、在日コリアンの集住地区である川崎区桜本に向かい、被害住民を屈辱と恐怖に陥れた。
2016年3月22日、野党案の参議院法務委員会の審議において、龍谷大学法学部教授の金尚均さんとともに、川崎市ふれあい館職員の崔江以子さんが参考人陳述を行い、同月31日に同委員会所属の国会議員らが桜本を訪問した。被害者らの声を直接聞いたことが与党議員らも動かし、同年4月に与党から対案として「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(通称:ヘイトスピーチ解消法。以下、解消法)案が提出された。同法案は5月24日に成立し、6月3日に施行された (1 。
解消法は、野党案と異なり、基本方針、専門機関の設置などもなく基本法とはいえない。対象は外国ルーツの人たち(しかも適法に居住するもの)(2 に対する差別的言動だけで、明確な差別禁止規定がなく、禁止法ではなく、実効性が非常に弱い。
とはいえ、解消法は、日本ではじめての反人種差別法といえる。ヘイトスピーチの定義規定を置き、「差別的言動の解消が喫緊の課題」と明記し、国に差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進する責務を負わせたことは、公が反差別の立場に立つ出発点として意義がある。
また、条文上では地方公共団体の取組については努力義務に留まった(第4条2項)が、衆参両院の附帯決議が、差別的言動が地域社会に深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体においては、国とともに解消に向けた取組に関する施策を着実に実施することを求めたことにより、反差別条例制定等の施策の法的根拠となった。
2019年12月に制定された「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(以下、川崎市反差別条例)は、解消法が法的後押しとなった。
川崎市反差別条例は、包括的な反差別基本法的部分と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」に限定した差別禁止法的部分とを併せ持っている。
基本法的部分では、市が「基本計画」を策定し、人権教育・啓発活動、情報収集・調査研究等を行うとともに、包括的に「人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的指向、性自認、出身、障害その他の事由を理由」とする「不当な差別的取扱い」について禁止条項を置いた。
差別禁止法的部分では、ヘイトスピーチが外国ルーツの人々に対し、公共の場所でなされた場合、ハンドマイクを使うなど方法を限定し、表現内容も解消法第2条の定義により絞りをかけた3類型①「本邦の域外へ退去させることをあおり、又は告知するもの」、②「危害を加えることをあおり、又は告知するもの」、③「著しく侮蔑するもの」に特定した上で、禁止した。
この禁止規定に違反した者に対し、市長は、専門的な第三者機関である「差別禁止対策等審査会」に意見を聴いたうえで、今後行わないよう勧告し、勧告してもくり返した場合、命令を出し、この命令にも違反した者に対し、氏名などを公表するほか、50万円以下の罰金に処するとの規定を置いた。
他方、インターネット上のヘイトスピーチについては禁止対象から外したが、市民の申出又は職権により、同審査会の意見を聴いた上で、ヘイトスピーチにあたる場合にはプロバイダに対する削除要請などの拡散防止措置及び概要公表を行うこととした。
2024年11月3日、川崎市桜本で催されたパレードで
朝鮮半島の伝統芸能「プンムルノリ」を披露する地域の子どもたち
(写真撮影:石橋学)
この条例は、何より、日本ではじめてヘイトスピーチを刑事規制した点で画期的であった。人種差別撤廃条約は、ヘイトスピーチがヘイトクライム、ジェノサイドの引き金になったことへの歴史的反省から、刑事規制を核としており、この要請にも合致したものである。
解消法には明確な禁止条項はないが、川崎市が、解消法の目的、人種差別撤廃条約上の義務、ヘイトスピーチが教育や啓発のみでは止まらないという実情を踏まえ、地域住民の声を真摯に受け止め、刑事規制付禁止条項を含む上乗せ条例(法律の基準を上回る規制を定めた条例)の制定を決断したことは高く評価されるべきである。
市議会で自民党を含む全会派一致での採択であったことも、国レベルでも、全国どこの地方公共団体でも、刑事罰つき禁止規定が成立しうるとの希望を抱かせるものであった。
反差別条例が2020年に完全施行されて5年、禁止規定の対象となった公共の場所におけるヘイトスピーチについては、明確に禁止規定に該当する発言は行われなくなった。東京都ではヘイトデモ・街宣を繰り返し、「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」(2018年10月成立)に基づいて何度もヘイトスピーチが認定されている (3 人々が、川崎市では、デモ等に参加してもヘイトスピーチを自粛している。
刑事規制の目的は、処罰することではなく、ヘイトスピーチが犯罪であり許されないと教育、啓発し、発生を抑止することにあり、その成果がでているといえる。
ただ、規制対象が狭すぎる等の課題もある。例えば川崎市内で日本第一党 (4 顧問(当時)らが一時期街頭で繰り返し行っていた「在日朝鮮人が川崎を支配している」との表現は、脅迫、侮辱、排除の三類型にあたるかどうか判断が難しい。しかし、このような表現は敵意、憎悪を煽り、ヘイトクライムに直結する典型的なヘイトスピーチであり、本来規制すべきである。もとより解消法の定義規定が狭くあいまいであることに起因しており、国レベルでのヘイトスピーチ禁止規定をより明確化、具体化すべきである (5 。
他方、インターネット上のヘイトスピーチについては、市は5年間で600弱のヘイトスピーチをピックアップして削除要請し、うち約8割が削除された。被害者がプロバイダに削除要請するのに比して、市が自らの責任で探し出して削除要請すること自体、被害者の負担を軽減し、実際また、プロバイダが削除要請を受け入れる割合も高い。
しかし、強制力がないため、X(旧Twitter)等はほとんど要請に従わず、かつ、事後的対応であるため、書き込みを抑止する力となっていない。
ネット上のヘイトスピーチが蔓延してマイノリティの人々を日常的に苦しめ、ヘイトクライムに直結している現状からも、禁止規定の対象とし、悪質なものについては同様に犯罪とすべきであろう。
そもそもネット上のヘイトは投稿者も被害者も地域限定でない場合が圧倒的多数である。2025年4月、福田紀彦川崎市長は、ネットヘイトについて地方での対策では限界があり、国が規制を行うべきことを九都県市首脳会議で提案し、合意をえて、政府に要請を行い、6月には法務大臣に面談交渉を行った。
以上のように、川崎市反差別条例の課題は、最先頭で反差別に取り組む川崎市よりも、本来人種差別撤廃条約上の義務として国が法整備すべき課題といえる。
また、同条約、解消法とその附帯決議の要請により、他の地方公共団体が、川崎市の成果を踏まえて川崎市と同等以上の反差別条例を制定することが求められる。
2023年夏以降、埼玉県の川口市、蕨市に集住するクルド人に対するヘイトスピーチが急激に悪化し、2024年にはほぼ毎月ヘイトデモが行われるようになった。主催者はおもにこれまで川崎でヘイト街宣を行ってきた人たちであり、川崎で自由にヘイトスピーチができなくなったことから、他の地域に活動の中心を移したといえる。
このような事実は、川崎市以外の地域での反差別条例の必要性、また、国レベルでの実効性ある反差別法の必要性を一層明らかにしているといえるだろう。
<脚注>
1)
解消法成立の経緯とその内容は「Q&Aヘイトスピーチ解消法」
(外国人人権法連絡会編、2016年、現代人文社)参照。
2)
2018年国連人種差別撤廃委員会の日本報告書審査でも適法居住要件について批判された。
3)
東京都が認定したヘイトスピーチ事例についてはウェブサイト参照。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/03/2025033155
4)
差別主義団体「在日特権を許さない市民の会」の後継団体。
5)
外国人人権法連絡会が2025年5月に提案した「人種差別撤廃法」モデル案では、
抜け道を防ぐべく7類型を提案しており、参考にしてほしい。
ウェブサイト参照。https://www.gjhr.net/