特集:日本におけるマイクロアグレッション
-大学の授業の合間に
「韓国人ってめっちゃしつこいやん。慰安婦問題とか歴史問題も何回も蒸し返すやん」
-職場の昼休みの席で
隙間のある韓国のりを揶揄しながら「のりもちゃんと作れねーのかよ!」
-営業先で名刺を渡すと
「"北の工作員ちゃうんか"っていうのをすごい笑いながら言われた」
-バイト先で
「(嫌なら)国に帰ればいいじゃない。国に帰るか日本人になるかどっちかにすればいいじゃない」
-日々の生活の中で...
「差別してるの一部の日本人やから、みんなそうじゃない。差別は別に日本だけで起きてる訳じゃないから。日本人だってアメリカに行ったら差別されてるから」
「ヘイトスピーチ気にしすぎ」
「考えすぎじゃない?私、自分を日本人だって思って暮らしたことないからな?人生で」
上記の体験談は、日本における在日コリアンに対する「マイクロアグレッション実態調査」で語られた内容の一部である。
マイクロアグレッションは、ヘイトスピーチのように露骨な差別だけではなく、日々のふとした瞬間にマイノリティが体験する侮蔑や見下しを含んでいる点が、その特徴である。マイクロアグレッションは、「ありふれた日常のなかにある、ちょっとした言葉や行動や状況であり、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的とし、人種、ジェンダー、性的指向、宗教を軽視したり侮蔑したりするような、敵意ある否定的表現」として定義される(Sue, 2010:訳書34)(1。自分は悪意がないと考えている人々の間でも、日常のコミュニケーションの中で属性に対する見下しや侮蔑が当事者に伝えられていること、そして言っている側は気づかずとも受け手は傷つき消耗していること。マイノリティが体験する日常的なモヤモヤを含めて可視化し、特にその心理的影響を明らかにした点に、マイクロアグレッション概念の特徴がある。
マイクロアグレッション概念は誤解されることが多い。誤解のパターンは様々であるが、その一つに単に「相手を傷つける無意識の発言」や「不快な思いをさせる言動」を指す概念としてしばしば言及されていることである。
しかし「相手に不快な思いをさせる」ことがマイクロアグレッションの中核の問題ではない。マイクロアグレッション研究は現在も進展しており、構造的な背景がより強調されるようになってきている。構造的な不平等や差別と日常的なマイクロアグレッションは支え合う関係にあり、決して無関係に生じないことを押えておくことが重要である。マイクロアグレッションは"誰にでも生じる"からかいや些細な侮蔑ではなく、マクロな構造的不平等を背景に、特定の属性におけるマイノリティに対して、その属性においてはマジョリティの側から発せられるものである。この点においてマイクロアグレッションはあくまで差別の一形態であり、社会的な問題であって、個人の心の傷つきや感じ方、もしくは発し手の悪意の問題ではないのである。
筆者らは2019年から2020年、関西に居住する在日コリアン21名を対象にマイクロアグレッション実態調査を行った。その詳細は朴・丸一(2024)(2をご参照いただきたい。ここでは紙幅の都合で特徴的なものに焦点を当てたい。
「ひやっとする」「脂汗をかく」といった不安や緊張からくると思われるような反応や、「その場で固まってしまう」といったショックによる凍りつき反応のようなものが見出された。また「その場で固まってしまうぐらい衝撃の強いことを言われたら、一週間ぐらいは悩みますし...やっぱ(日常的な差別に関する)フラッシュバックもあるので、塞ぎこんでしまうこともありますね」といった衝撃後の長期的な影響に関する報告もあった。
感情においては、主に恐怖と悲しみが語られた他、怒りや悔しさなども報告された。また日常生活においてあまりにも多くのマイクロアグレッションにさらされるため徒労感や感情の鈍麻が生じているという報告も複数見られた。例えば「やっぱり日常の些細なマイクロアグレッションに対しては、なかなか言えずに悶々としたり...あるいは何度一生懸命話したって分かってもらえないだろうっていう絶望感だったり。確かに自分の中で言われ慣れてるんですけど、その慣れてるっていうのはどっちかというと"感情が死んでる"って言った方が近いような感覚で。もう対応に疲弊してしまって、もうそれをやめてしまうような、そんな感じ」等がそれである。
以上のような反応とは異なり、「何も思わない」「反応したくない」「慣れてしまっている」という報告もあった。マイクロアグレッションに対する反応に個人差が大きいことが推察された。
未解決である植民地支配の清算、特定の国家に対する敵視政策といったマクロな背景は、友人、恩師、恋人、職場といった身近な関係に様々な影響を与える。大学の友人からの〔朝鮮半島への敵意や蔑視〕、恩師からの〔敵国人チェック〕、職場における〔個人に国を代表させられる〕体験-在日コリアンは日々このような場面に突然遭遇し、強く動揺させられ、脂汗をかく。そして時には大切な関係から去っていく。
問題を指摘しようにも差別心を持っていることを否認され「在日とか関係ない」とルーツブラインドに出会う。そして「気にしすぎ」「考えすぎじゃない?」と本人の弱さの問題にされる。そして「もう差別なんてないよ」「日本人と一緒やからまあええやん」と慰められる。明確なヘイトスピーチや露骨な差別ではないものの、在日コリアンが抱える社会的問題に対する責任の放棄と犠牲者非難を表現したマイクロアグレッションは、受け手に「自分の弱さの問題」「自分が悪いんだ」という認識を抱かせ、慢性的に「感情が死んでいく」ような感覚を覚える人もいる。
調査においては、どのように対処しているのか、現在何が役に立っていて何を望むのか、といったことも聞き取った。これから「マイクロアグレッション」という概念を通して、ここまで示してきたようなマイノリティの生きる日常の見えづらい過酷さがより多くの人に伝わり、共有され、マクロな構造とともに日々のやり取りに変化が生まれることを期待している。
<脚注>
1)
Sue, D.W. 2010 Microaggressions in Everyday Life: Race, Gender, and Sexual Orientation, John Wiley & Sons, Inc. (マイクロアグレッション研究会訳 2020 『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』明石書店).
2)
朴希沙&丸一俊介 2024 「心理化されやすい日常の被差別体験を可視化する:在日コリアン?年へのマイクロアグレッション実態調査より」 『現代の社会病理』 39, 79-94.