特集:ヒューライツ大阪設立30周年記念事業
2024年12月7日開催された設立30周年記念シンポジウムにコメンテーターとして参加させていただいた際、当日のプログラムにあった「『ヒューライツ大阪』の30年をふりかえる」の年表を拝見して感慨深かったことは、「1983年 国連人権センター担当官の久保田洋氏(1989年にナミビアで殉職)が『国際的な人権情報センター』を大阪に設置すべきであると提唱」で始まっていたことだ。久保田さんは、国連人権センター(当時。現在は国連人権高等弁務官事務所)で国連の人権活動の実務に携わりながら、『入門国際人権法』『実践国際人権法』など日本の市民に向けた導入的かつ実践的な書物を多数著し、一時帰国された際にはセミナーの講師などを精力的に務めて国際人権法の意義を情熱的に説いていらした。
私も1988年に大学院に進学して国際人権法に関心を持ち始めた頃に久保田さんに大きな触発を受けたし、この分野の研究者の多くが久保田さんに学恩を負っている。久保田さんの提唱がヒューライツ大阪設立につながり、そしてヒューライツ大阪がその後30年間、(2009年からは国連の特殊協議資格を得た団体としても)国連の人権保障メカニズムと連動しつつ、質の高い調査・研究・情報提供活動を展開して今日に至っていることは、国際人権基準と日本をつなぐ市民社会の取組みにおける確かな成果であり貴重な財産である。以下、シンポジウムで紹介された3つの人権課題について、国際人権法の視点からコメントを付す。
村木真紀さんの報告「性的マイノリティに関する社会課題の現状と癒しの取組み」では、国内外における性的マイノリティの権利の現状と課題が述べられた。報告でもあった通り、「結婚の自由をすべての人に」訴訟では、高裁判決2つを含め、下級審ですでにいくつかの違憲判決が出ている(本稿執筆中に福岡高裁も違憲判決を出し、高裁の違憲判決は3つとなった)。日本では自治体で同性カップルに公的な証明書を発行するなどのパートナーシップ制度を設けるところが増えているものの、法律に基づく地位ではないために、同性カップル当事者は依然として法的に保護されない状況におかれている。
2023年にはいわゆるLGBT理解増進法が成立したが、同性カップルに法的な保護を与えるわけでもなく、性的マイノリティに対する差別を禁止するわけでもなく、国民に対して性的マイノリティへの「理解」を深めてもらおうというこの法律は、言うまでもなく不十分きわまりない。日本では、性的マイノリティへの偏見や差別をあからさまにした言動を国会議員のような公人が平然と行っていることも少なくない。
またそもそも、差別に苦しんでいるマイノリティに関して、マジョリティが理解を深めましょう、というアプローチ自体が問題だ。マジョリティの理解が進んで初めて、マイノリティの地位を改善することにしましょう、という、人権問題を多数決で決めるような考え方になりかねないからだ。すべての人に平等に人権があることを大前提とした上で、人権の享受を妨げている要因(これは、国の法制度そのものであることも多い)に対して是正の取組みをしなければならない。
髙橋定さんの報告「ネット上の部落差別撤廃に向けた裁判闘争と被害者救済の課題」では、『全国部落調査』の販売や「部落探訪」と題する記事の連載などネットを使って繰り広げられている部落差別行為、さらには選挙の公営掲示板を使用して行われている部落差別行為の現状と、これらに対する裁判闘争その他の取組みの現状が詳細に紹介された。『全国部落調査』復刻版出版差止請求裁判では、東京高裁が2023年6月28日、憲法13条と14条から「差別されない権利」を認める画期的な判決を出して注目された。しかし、こうした裁判闘争は、人権侵害の被害者である当事者の多大な負担と尽力のもとに遂行されていることを忘れてはならない。差別を受けている当事者には、声を上げればさらにヘイト団体のターゲットとされ嫌がらせをされるために、声を上げられず、裁判の原告になることもできない人も多い。裁判所が判決で「部落探訪」を公表してはならないと命じても、ヘイト団体がこれを無視して掲載を続けている実態もある。髙橋さんは報告で、裁判を起こしても「いたちごっこ、モグラたたき」の状況が続き、差別的投稿を完全に消去できないことを強調された。やはり、ぜひとも必要なものは差別を明確に禁止する法律だ。
2016年の部落差別解消推進法は、「部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み」(第1条)、部落差別の解消に関する基本理念を述べた理念法で、「部落差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を深めるよう努める」ことにより部落差別解消施策を行うこと(第2条)、及び国や地方自治体が施策を講ずる責務を負うこと(第3条)などを定めたにすぎない。「許されない」とは謳っているものの、どのような行為をしたら差別となり違法となるのかという規定は一切ないのだ。法律があらゆる差別を禁止し、いかなる差別に対しても効果的な保護を保障することは、自由権規約26条で国に義務づけられた国際法上の義務なのだが、日本はこれを履行できていない。
差別禁止法と並んで日本が法整備を求められているのは、政府から独立した人権機関(国内人権機関)の設置だ。藤原精吾弁護士の報告「公権力による人権侵害-これとどう闘うか」は、公権力による人権侵害が日本でいかに多く起きているかを想起しながら、国内人権機関の必要性をクローズアップした。藤原弁護士の報告は旧優生保護法の下で不妊手術を強制された障害者らの訴訟で原告側代理人を務められたが、2024年7月3日の最高裁判決でようやく憲法違反が認定された本件は、旧優生保護法という法律自体が、立法当時から、個人の人権を侵害するものであった、とされた重大な事案だった。
2024年にはまた、死刑囚として40年以上も拘置された袴田巌さんが再審で無罪となったが、この袴田事件では、警察による無理な取調べで自白が強要されたことや、検察が有罪証拠を捏造したことも明らかになっている。入管収容施設内での虐待や、医療拒否による死亡事件なども後を絶たない。
藤原弁護士は、「これが法律だ」「適正な公務執行だ」と言ってくる公権力に対して個人が闘うことがいかに困難かということ、また、裁判所があるといっても裁判所は必ずしも味方ではないこと(袴田事件を見よ)、裁判は解決までに時間がかかりすぎ、「人権の砦」とは言い難いことを指摘された。では法務省の人権擁護相談はどうかといえば、公権力による人権侵害に対して有効に対応できるとは全くいえない。政府から独立して人権問題を扱うことができ、政府に対しても意見を言える権限をもった人権機関が必要とされるのはそれゆえだ。
記念シンポジウムでコメントする筆者(中央)
国際人権法では、国際人権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約などの様々な人権条約をはじめとする法体系が国際的な合意のもと作られ、日本もその多くを受け入れている。国際人権基準はすでに十分存在し、あとは各国によるその国内実施をいかに進めていくかということに重心が移っているといってよい。そのような観点から、国連では、「パリ原則」と言われる国連総会決議で国内人権機関の地位に関する原則(政府への勧告や学校などでの人権教育を含め人権に関する広範な権限を有し、それが憲法や法律で明記されること、メンバー構成において多元性を確保することなど)が示され、そのような国内人権機関の設置が奨励されている。2024年6月現在で世界には118の国内人権機関がある。
パリ原則に則った国内人権機関を設置することは、各人権条約機関からの所見のほか、国連人権理事会の普遍的定期審査でも勧告を受け続けている、日本の宿題だ。諸外国の取組みのように、包括的な差別禁止法を制定するとともに、パリ原則に合致した国内人権機関を設置して、国内人権機関が差別禁止法の運用にあたることが望ましい。