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国際人権ひろば No.169(2023年05月発行号)

特集:差別禁止法・国内人権機関・個人通報制度は不可分のトライアングル

日本の人権課題と包括的差別禁止法

林 陽子(はやし ようこ)
弁護士、元女性差別撤廃委員会委員長

世界人権宣言75周年-国連による実践ガイドの公表

 2022年12月、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、包括的差別禁止立法に関する実践ガイドを公表し(国連文書番号HR/PUB/22/6)、人権専門家グループ(国連人権理事会の特別報告者など)はただちにこれを歓迎する声明を公表した。2023年は世界人権宣言が採択されてから75周年にあたる。世界人権宣言の中核にある最も重要なメッセージは、「人は皆、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である」ということである。「平等」すなわち「差別を受けない」権利こそが、あらゆる人権の基底にあり、その理念が第二次大戦後に国際人権条約として成文化されていった歴史がある。
 前述の人権専門家グループの声明は、「包括的差別禁止法とは、国際法上の平等に関する法的義務を国内法の強制執行可能な権利に転換したもの」だと言う。多くの国が各種の国際人権条約を批准する時代を迎えたが、それを国家に義務付け強制執行を可能なものにするためには、人権条約の国内法化(国の法律として議会を通すこと)が必要だからである。

なぜ、今、包括的差別禁止法が必要とされるのか?

 包括的差別禁止法を定義した国際条約は存在しない。文理に従って解釈すれば、個別的ではなく全体を包含する(包括的)、差別を禁止する法律という意味である。禁止とは違反への制裁を伴う概念であり、予防や啓発だけでは禁止法の名前には値しない。また、人権条約機関で差別禁止法が議論される場合、そこには差別の定義と救済機関(国内人権機関)を含むことが当然の前提とされていることに留意すべきである。
 包括的差別禁止法は具体的に次のような形をとることが考えられる。第一に、差別を禁止する事由が属性(例えば、ジェンダー、人種、民族、障害など)ごとに限定されないこと。第二に、差別を禁止される分野が、教育や雇用といった特定の分野に限定されず、生活のすべての分野を含むこと。第三に、差別の形態が直接差別に限定されず、間接差別、複合・交差差別、ハラスメントや虐待、差別への加担など多様な形態をとることである。
 2010年代に入り、包括的差別禁止法の必要性が人権条約機関を中心に強く主張されるようになった背景には、いくつかの要因がある。多くの国がさまざまな人権条約を批准する時代となったが、国内で履行されていない条約も多い(人権条約の未履行)。そして差別は複合的・交差的な形をとる(例えば、性的マイノリティの少数民族等、差別を受ける原因が重なり合う人たちがいる)。差別の禁止とは「等しいものを等しく」扱うことでは足りず、異なる者には異なった対応が必要であることの理解がなされるようになった(複合・交差差別への理解)。リーマン・ショック(2008年)に端を発する世界の経済危機、中東・アフリカの難民が欧州に押し寄せた難民危機(2015年)、COVID-19に代表される感染症の流行、ウクライナ戦争(2022年)など、危機や脅威は予想できない新しい形で出現する。そして危機の時代には必ずと言ってよいほどマイノリティを攻撃の標的にするバックラッシュ派が台頭する。包括的差別禁止法は、これらの新しく形を変えて登場する人権に対する脅威や攻撃を根絶するための知恵である(バックラッシュへの対抗)。
 近年の条約機関の建設的対話において、日本政府に対して繰り返し、「差別の定義を持った包括的差別禁止法」と「国内人権機関」、そして「人権条約の個人通報制度の批准」が必要であることが勧告されている(1。これら3つは今や不可分のトライアングルであり、その一つも実現していない日本の状況は深刻である。

包括的差別禁止法の中身

 冒頭で紹介した国連の実践ガイドは、作成にあたり数年にわたる専門家・当事者とのコンサルテーションを重ねてきたが、実際の起草作業を担ったのは英国に本部を持つEquality Rights Trust(ERT)という人権NGOである。実践ガイド自体は英文で200頁を超える大部なものであり、その全部を理解するのはいささか困難が伴う。ERTは有識者による「平等の原則に関する指針」(2を2008年に公表しており、次のような差別禁止法のエッセンスを展開していることが参考になる。
 ①差別禁止法には、直接・間接差別、ハラスメント、合理的調整の欠如等、あらゆる形態の差別、および国際人権法が規定するすべての差別禁止事由が含まれる。②差別禁止法は法律の規制するすべての生活の局面に適用され、行為者が公務員であるか民間人であるかを問わない。③法律が効果的に機能するための措置(たとえば立証責任の転換)、受けた被害に見合う制裁・再発防止措置を伴うものとする。④特定のグループの平等を促進するための措置(ポジティブ・アクション)は許されるものであることを明記する。

国内人権機関との不可分一体性

 差別禁止法は、違反があった場合の加害者への制裁(損害賠償、原状回復、刑事罰または行政上の罰則)と被害者の人権回復を伴うものでなければならない。EUでは2000年に出された法的拘束力のある2つの指令(3によって、現在すべてのEU加盟国(および離脱した英国)では差別禁止法と差別からの救済を目的とする平等機関が設立されている。日本政府は条約機関からも人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)においても、度重ねて国内人権機関(NHRIs)の設立を勧告され、日本政府はそのフォローアップを受諾しているが、実行されていない。2023年日本はG7の議長国を務めるが、G7の中で差別禁止法も国内人権機関も存在しないのは唯一日本のみで
ある。

日本での取り組みと展望

 日本政府が全くの無策だったのではなく、かつて2回、閣議決定による人権擁護法案(人権委員会法案)が国会に提出されたことがあったが(4、いずれも廃案になったまま、10年以上が経過した。他方、当事者やNGOによる差別禁止法案策定への努力は続けられており、特に2022年には2つの団体から具体的な提案が公表されている(5
 2023年は関東大震災から100周年にあたる。震災直後には、朝鮮人が井戸に毒を入れているとの流言飛語により、多くの在日朝鮮人が官憲や民間人による「自警団」に殺害され、共産主義者・無政府主義者らも拘束され虐殺された。ウクライナ戦争ではプーチンの「特別軍事作戦」によって召集され戦地に送られているのは不均衡に少数民族(ムスリム、モンゴル系など)が多いという統計もある(6。「平和なくして平等なし、平等なくして平和なし」は市川房枝の至言であるが、個人が尊重される安全で強靭な社会を作るための第一歩は、差別のない社会を作ることであることを改めて確認したい。


no169_p4-5_img1.jpgのサムネイル画像2016年にニューヨークの国連本部で開かれた人権条約機関委員長会合に
女性差別撤廃委員会委員長として参加した筆者(前列右から3人目)


1:自由権規約委員会(CCPR/C/JPN/CO/9)パラグラフ6-9(2022年)。障害者の権利委員会(CRPD/C/JPN/CO/1)パラグラフ13,14,69,70(2022年)。子どもの権利委員会(CRC/C/JPN/CO/4-5)パラグラフ12,17,18(2019年)。人種差別撤廃委員会(CERD/C/JPN/CO/10-11)パラグラフ8-10(2018年)。女性差別撤廃委員会(CEDAW/C/JPN/CO/7-8)パラグラフ14,15,21(2016年)などが、差別禁止法と国内人権機関の設立を勧告している。

2:Declaration of Principles on Equality (2008).
https://www.equalrightstrust.org

3:人種平等指令(2000/43/EC)、雇用枠組み指令(2000/78/EC)。

4:小泉内閣(2002年)と野田内閣(2012年)によって試みられた。

5:外国人人権法連絡会(共同代表:田中宏、丹羽雅雄)による「人種等差別撤廃モデル法案」および部落解放・人権研究所「差別禁止法研究会」(代表:内田博文)による「すべての人の無差別平等の実現に関する法律案」

6:田崎正巳「プーチンの二枚舌差別主義」世界経済評論IMPACT No.2535(2022年)