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国際人権ひろば No.164(2022年07月発行号)

特集:人権と戦争に関する国際的な基準(ルール)

ウクライナからの避難民は「難民」ではないのか

阿部 浩己(あべ こうき)
明治学院大学国際学部教授

「人道的」支援の実相

 寄る辺なきままウクライナの戦火を逃れ出た人たちへの各国の対応は、過去に例がないほど迅速で手厚い。5月末の時点で700万人に迫る越境移動の事態を前に、私の地元でも、県・市・民間をあげて受け入れの支援が行われ、地元紙が連日その様子を細やかに報道している。人道のいろどりに染まるその情景には、しかし、改めて問い直すべき重大な問題群が伏在してもいる。
 その一つは、ウクライナの人々の受け入れにあたり、なぜ日本政府がこれほど寛大で人道的なのか、ということである。むろん、寛大で人道的であることは、誇るべき成熟した態度にほかならない。だが、同じく700万人に迫る難民がシリアから流出した先年の事態をはじめ、世界各地で多くの人々が庇護の地を求め続けているにもかかわらず、国境をかたくなに閉ざしてきたこの国のあり方に照らすと、釈然とせぬ心持ちを禁じ得ない。
 端的に言ってしまうと、民族がまるごと抹殺されかねないほど深刻な危険を逃れているロヒンギャの人々への冷淡な態度を引き合いに出すまでもなく、今般の政府の対応には、政治的に選別された人道主義の色合いが濃厚に滲んでいる。「対ロシア」で結束する欧米諸国への強度の外交的配慮と、拭いきれぬ人種主義の病弊が、「人道的」対応の内奥に確然とうずめられていることは想像にかたくないところである。
 もう一つあわせて考えるべきなのは、ウクライナの人々の受け入れにあたり、「難民」という言葉の使用が日本政府によって意図的に避けられてきたことの含意である。

戦争からの避難では難民になれない?

 4月上旬に受け入れを開始して以来、政府は、ウクライナの人々は「避難民」であって「難民」ではない、と繰り返し強調してきた。難民には門戸を閉ざすが、避難民は別だ、といわんばかりである。難民政策に関する専門家の中にも、こうした区分けを是認する向きが見られる。
 難民でないのは、避難の理由が戦争にあるからだとされる。戦争を逃れ出てきた人は難民ではない、ということである。このため、内戦や紛争を逃れる者を保護するには「準難民」という制度を別途作る必要がある、と法務大臣は説く。だが、国際的には、戦争から逃れてきたからといって難民たり得ないわけではけっしてない。政府のこの認識は、国際社会の規範的現実から大きく逸脱したものになってしまっている。
 難民かどうかを見きわめる世界共通の基準は、難民条約にある。この条約に入っている日本も、当然ながら、その基準にしたがって難民保護にあたらなくてはならない。やや冗長になるが、同条約の定める難民の定義は次のとおりである。「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」。この定義に該当するかどうかが、難民かどうかの分かれ道になる。
 正確を期して言うと、20世紀には、戦争の結果として国外に避難した者はこの定義に該当しない、という解釈が見られた。難民条約の適用を監督する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も、1979年に刊行した「難民認定基準ハンドブック」において、「国際的又は国内的武力紛争の結果として出身国を去ることを余儀なくされた者は、通常は、難民条約に基づく難民とは考えられない」という見解を表明している。
 戦火に放り出された者こそ難民の典型ではないかと思う向きもあろうが、法的には必ずしもそうではなかった。戦争による危害は、避難する人々に同じように降りかかるのだから、格別に危険な状況に陥っている人を除き、皆を難民として保護するのは適切でない、とされたのである。この解釈の背後には、難民受け入れの門戸を狭めようとする先進国政府の政治的思惑が見え隠れしていた。

UNHCRの認識の転換

 だが、難民条約は、戦争から避難したことを理由に難民に当たらないなどとは一言も記していない。ほどなくして、UNHCRの上記見解は狭きにすぎるという批判が呈され、各国の司法・難民認定機関も、20世紀の最終盤になると、戦争を逃れ出た者にも難民条約は適用される、という判断を示すようになる。戦争による危害が、避難する人々に同じように降りかかるものであっても、その危害が迫害に相当する場合には、すべての者を難民と認めるべきだ、というリベラルな解釈が国際的に蓄積されていく。
 UNHCRも1995年以降、さまざまな機会をとらえて上記ハンドブックの立場の修正を図るようになる。「戦争難民や武力紛争を逃れた者は難民条約の適用範囲外にあるとしばしば誤って思い込まれている」という認識のもと、2016年12月には「国際的保護に関するガイドライン12」 が発出されるに至る。こうして、戦争難民に関し、UNHCRの認識の紛うことなき転換が刻印されることになった。同ガイドラインは、大要次のように定める。
 「難民条約における難民の定義は、平時の迫害を逃れる難民と『戦時』の迫害を逃れる難民との間に何らの区別も設けていない。UNHCR難民認定基準ハンドブックの上記箇所は、限定的なものとして理解される必要がある。武力紛争下で生じる危害が『迫害』と認められるために、より高次の危険が必要なわけではない。特定のコミュニティのすべての者が危険な状況にあるという事情は、個々人の難民申請を認める障害にはならない。基準となるのは、あくまで、難民条約の定める事由によって申請者個人が有する迫害の恐怖に十分に理由かあるかどうかである」
 国際的保護に関するガイドライン12は、戦争により避難を強いられた者に難民条約が適用され得ることをこの上なく明瞭に示している。これに加えてUNHCRは、アフガニスタン、イラク、コンゴ民主共和国、シリア、スーダン、スリランカ、リビア等における紛争からの避難者が難民条約上の難民に該当し得ることを示す、連綿たる文書群を刊行するようにもなっている。「準難民」などという新たなカテゴリーを設けずとも、このように、内戦や紛争を逃れる者は、現在では歴然たる難民として保護され得る存在になっているのである。

公正な難民受け入れ制度の整備へ

 ウクライナから避難する人々を、初めから難民でないと決めてかかることは本来あってはならないが、その一方で、個々人が実際に難民に該当するかどうかはきちんと精査してみないと分からない。ただ、報道や各種調査が伝えるように、ウクライナでは戦争犯罪にあたる重大な危害が広範に生じており、女性や子どもであること、あるいは、戦争に対する特定の政治的態度などを理由に危害が加えられるケースも少なくないようである。こうした事案内容であれば、難民条約上の難民に該当する可能性はとりわけて高いように思う。
 もとより、今般の事態を受けて欧州連合(EU)が「一時的保護」という特別のスキームを発動しているように、日本でも、緊急の応答を必要とする事態に特別措置を講じることは十分にあり得る対応である。ただそれは、難民としての保護を求める道を制度的に閉ざすものであってはならず、また、その際、国際標準に沿った難民概念の運用が必須なことは言うまでもない。そして何より、難民の保護は、外交的配慮や人種主義を旨とするのではなく、日本で難民申請中の者を含め、人間の尊厳の確保に差別なく資するものでなくてはならない。
 現在も引き続くウクライナの人々への手厚い対応を奇貨として、今後、国際標準を適切に踏まえた公正な難民保護・受け入れ制度が整備拡充されていくことを念じている。



注:
「国際的保護に関するガイドライン12」
(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のサイト)
https://www.unhcr.org/jp/wp-content/uploads/sites/34/2018/03/Guidelines-on-International-Protection-No.12_JP.pdf