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国際人権ひろば No.74(2007年07月発行号)

『裁判官検察官弁護士のための国連人権マニュアル-司法運営における人権』を読む9

「第12章 鍵となるその他のいくつかの権利:思想、良心、宗教、意見、表現、結社および集会の自由」、および「第13章 司法運営における平等および差別の禁止に対する権利」について

窪 誠 (くぼ まこと) 大阪産業大学経済学部教授

  第12章は以下のように始まる。
  「この章では、人権を尊重する民主的社会の柱の一部を構成する多くの基本的自由について取り上げる。」
  そして、民主主義について、12章のまとめはこう述べている。
  「国の人民が立法上および司法上の権力を放棄し、世俗の機関であれ宗教上の機関であれ統治する人民に責任を負わない機関にそれを委ねるのであれば、たとえそれが過半数の決定によるものであっても、民主主義は存在し得ない」[1]

  実際、本書では人権保障が国の責任であることが随所で述べられている。ところが、日本では、国がその責任を回避しようとする態度が強い。たとえば、1996年制定の人権擁護施策推進法(1999年改正)は、「法務省に、人権擁護推進審議会を置く」ことを趣旨とする(第3条)。この法律の目的は、「国の責務を明らかに」することを目的とする(第2条)。にもかかわらず、法務大臣,文部大臣(現文部科学大臣)及び総務庁長官(現総務大臣)は、同審議会に対して、「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について」、つまり、「国の責務」ではなく、国民について諮問する。1999年になされた答申は、「様々な人権課題が存在する要因の基には、国民一人一人に人権尊重の理念についての正しい理解がいまだ十分に定着したとは言えない状況があることが指摘できる」と断言する。こうして、いつのまにか、人権の責任は国民に課されることになってしまったのである[2]。それでは、国は国民が人権を積極的に主張することを期待しているのであろうか。逆である。「人権擁護に関する世論調査(最新は2003年)」では、「『人権尊重が叫ばれる一方で、権利のみを主張して、他人の迷惑を考えない人が増えてきた』と言う意見について、あなたは、どう思いますか」という問いを、その意見の出典を示すこともなく、無責任に発している。これでは、国こそがこのような意見の担い手ではないかという疑いを払拭することはむずかしい。つまり、国は、一方において、人権問題の原因を国民による理解の低さにあるとしながら、他方において、人権の主張は他人の迷惑を考えないわがままだと言うのである。結局、日本においては人権について、上述の「国の人民が立法上および司法上の権力を放棄し、[...]統治する人民に責任を負わない」状況が見られる。

  こうした状況を変えてゆくためには、何が必要なのだろうか。新たな状況を生み出すための人権政策的思考が必要となるだろう[3]。新たな規範や制度を作ってゆくうえでの参考にしてこそ、本書は最も有効に活用されうると思われる。本書においてもそのことは意識されている。13章に明記されているように、本書が解説するさまざまな判例において、「法律の策定にあたって、また平等に対する権利および差別の禁止を実際に執行するにあたって立法者および法曹の双方が指針とし得る、また指針としなければならない普遍的な法的基準が確立されているからである。」[4]

  それでは、どのような人権政策的思考が必要なのだろうか。そこでもう一度振り返ってみると、現在の日本政府の人権政策は、政治家や官僚を中心とする一部の人間だけが、何が問題でどうすればよいかを一方的に判断決定することによって成り立っている。多くの市民はその判断決定に従う、被判断決定者でしかない。このように、判断決定者と被判断決定者が分離した状況を前提にして、判断決定者の裁量によって策定され実施される政策を、筆者は、「支配者裁量型人権政策」と呼んでいる[5]。よって、これを変えるためには、判断決定者と被判断決定者との間の分離を解消し、社会のすべての人々が参加して建設的議論を行う主体的な判断決定者となるという思考が重要であろう。このような思考に基づく人権政策を筆者は、「共生社会建設型人権政策」と呼んでいる[6]

  しかし、「共生社会建設型人権政策」を目指すことは、本書に書かれていることに全面的に従うことを意味するものではない。国際社会も国内社会と同じく、さまざまな矛盾があることに変わりないからである[7]。たとえば、第13章で説明されているマイノリティの権利について、本書は国連自由権規約委員会が示した個人通報手続におけるふたつ見解を紹介している。ひとつは、1981年ラブレイス対カナダ事件見解であり、もうひとつは、1996年ランズマンほか対フィンランド事件見解である。前者において、自由権規約委員会は、マイノリティの権利制約の要件を明らかにすることによって、被害者が申し立てた権利侵害を認定した。つまり、他の人権条約実施監督機関が他の人権について判断する場合とほぼ同様に、権利制限の客観性、目的合理性、必要性、他の権利との両立性などの要件を挙げていたのである。ところが、1996年ランズマンほか対フィンランド事件見解では、本書で述べているように、「『決定的問題』は、すでに実施されていた伐採および今後実施することを承認された伐採が、27条で保障されている『自己の文化を享受する申立人らの権利を否定する規模に達しているか』かという点だった」という[8]。つまり、先の見解で提示した要件による審査を自由権規約委員会が自ら放棄し、経済開発に伴う生活破壊の受忍限度の問題にすりかえてしまったのである[9]。実際、2000年マフイカ(Mahuika)その他対ニュージーランド事件見解は、「受忍限度acceptability」[10]という文言を用いている。こうして、どちらの見解も、国家による経済開発事業を是認し、人権侵害を認定しなかった。実は、自由権規約委員会がこの1996年ランズマンほか対フィンランド事件見解で依拠した主な判例は、それから2年さかのぼる1994年にだされた別のランズマンほか対フィンランド事件見解であった。これは、1996年見解の場合と同じく、フィンランドの先住民族マイノリティであるサーミ民族に属する同名ではあるが別の被害者が、サーミ民族の土地における採石事業とそれにともなう運搬に対してマイノリティの権利侵害を申し立てた事件である。その見解は、以下のように述べている。

  「国家が企業による発展を奨励し、もしくは、企業による経済活動を許可しようと望むことは理解されうる。それを行なう自由の範囲は、評価の余地を基準とするのではなく、第27条のもとで国家が引き受けた義務を基準として、審査される。第27条は、マイノリティのメンバーが自己の文化を共有する権利を否定されないことを求めている。したがって、その権利の否定に匹敵する効果を持つ措置は、第27条の義務と両立しないことになろう。しかし、マイノリティに属する者の生活様式に与える影響が限られている場合は、その措置はかならずしも第27条の否定に匹敵するとは限らない。」[11]

  こうして、この見解は、自由権規約委員会が自ら築き上げてきた従来の基準を、理由を示すことなく放棄して、まったく別の判断基準を打ち立てたものであり、本書の見解を含むその後の見解に影響を与えてゆくのである。

  このように、国際機関による判断にも確かに矛盾はある。しかし、大切なことは、矛盾があるから、または、よそ事だからとして無視するのでもなく、また逆に、権威ある国際機関の判例だからといって金科玉条のように一方的に従うことでもないだろう。そうではなく、本書を国内の人権状況の改善のために役立てることは言うまでもないが、より幸福な国際社会を建設するための、国際的な議論に積極的に貢献するための材料として役立ててゆくことが重要であろう。すでに、私たちは、日本国憲法前文において以下のように宣言しているのだから。

  「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

1. 国連人権高等弁務官事務所著『裁判官・検察官・弁護士のための国連人権マニュアル?司法運営における人権』現代人文社、2006年、p. 727。
2. 拙稿「日本に作られようとする人権救済機関とは」法学セミナー2002年1月号pp.35-37。
3. 江橋崇・山崎公士編『人権政策学のすすめ』学陽書房、2003年、参照。
4. 国連人権高等弁務官事務所著前掲書、p. 910。
5. 拙稿「国際的人権保障の推進」江橋崇・山崎公士編前掲書、pp.174?186。
6. 同上。
7. 同上。
8. 国連人権高等弁務官事務所著前掲書p. 938。
9. 拙稿「マイノリティの文化的権利」芹田健太郎ほか編『講座国際人権法2 国際人権法の形成と展開』信山社、2006年、pp. 317-341参照。
10. 国連文書CCPR/C/70/D/547/1993, para.9.5.
11. 国連文書CCPR/C/52/D/511/1992, para.9.4.