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国際人権ひろば No.72(2007年03月発行号)

人権さまざま

生命(いのち)

白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪所長

「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」
(世界人権宣言 第3条)
  生きとし生けるものには、始めがあり、終わりがある。生命(いのち)である。人のいのちにも始まりと終わりがある。いのちの始まりが誕生であり、ひとはこれをよろこび祝う。いのちの終わりが死であり、ひとはこれを悲しみ悼む。いのちは、かけがえがなく、尊い。例外なく一人に一つのいのちである。大切ないのちである。

  長い人生を生き抜き、静かに終わりを迎えるとき、「天寿を全うする」という。しかし、人生の途中で終わるあるいは、終わらされるいのちもある。生まれても始末される子があり、様々な理由での殺人、戦死、災害死、事故死、病死そして自殺がある。いのちは風前のともしび。しかし、かけがえのない人の不測の死は残された者にはつらい。

  「いのちを懸ける」ということがある。これは、何よりも大切な一つしかないいのちを危険にさらすことになっても、護りたい、成し遂げたいものがあるということか。信仰にいのちを懸ける殉教、信念や務めにいのちを懸ける殉死や殉職。駅のホームから線路に落ちた人を助けようとして自らのいのちを失った人のことは、いまも人々の記憶にあたらしい。ひとのためにいのちを捧げる以上の愛はないという。いのちを絶つことを目的としているわけではない。なにかのため、だれかのために「いのちを懸ける」のである。

  また、「いのちあっての物だね」ともいわれる。いのちを失っては元も子もない。全てがなくなってしまう。これも一つしかないいのちの特別な大切さを言いたいのであろう。それでも働きすぎ、働かされすぎていのちを失う人がいる。「物だね」が尽きる。理不尽である。

  わたしにも個人的な体験がある。国連で人権関係の仕事を始めたとき、最初に与えられた任務は、暗殺、不法処刑、大量虐殺など、「生命に対する権利の侵害」にかかわるものであった。いろいろな国での現地調査や事情聴取では、直視に耐えないような死体を見、家族の悲嘆に接した。ある国では、銃を突きつけられて「ここでいのちを亡くしたら」という思いが胸をよぎった。危険が去ったあとの抑えようのない震えは今も身体で憶えている。同僚の任務中の事故死に接することもあった。残された家族の悲しみと苦しみを目の当たりにして、ことばもなかった。

  そして、私の病である。肝硬変。ある朝多量の吐血をした。あとで、死の一歩手前だったといわれた。しばらくして肝臓移植を受け、健康を回復した。手術後はじめて外に出て、庭の花を見たとき「美しい」と思った。生きていることに感動し、それをふかく、ふかく味わった。亡くなったひとの肝臓をいただいて、既に終わっていたはずの私のいのちが続いている。

  今日本では年間3万人以上の人が、自らいのちを絶つという。一時的な精神的傾きによるとっさの行動ということがあるのかもしれない。けれども冷静な判断で死を選ぶことや、追い詰められ、ほかに選び取る途もない死があるという。いじめで追い詰められての死、責任を一身に背負っての死、これ以上生きていけない人生なのか。また、生き続ける価値のない人生があるのだろうか。こうして失われるいのちも、かけがえのない、大切ないのちである。どうでもよい、軽いいのちではない。

  そして、死刑。国が人のいのちを奪うのが死刑である。ここで言っているのは、勿論、法律の定めによって、公正な裁判で決められる死刑のことである。世界の年間の処刑数の90パーセント以上が中国でということであるが、アメリカも日本も、死刑制度を維持しているばかりでなく処刑をおこなっていることで国際的に知られている。それぞれの国の事情を反映して、国際人権基準では制限的にではあるが死刑制度が容認されている。昨年の時点で、死刑制度を廃止した国は約90カ国、平時には死刑を執行しない国と死刑の執行を停止している国を含めると約130カ国が現在処刑をおこなっていないそうである。ヨーロッパにおいては、ベラルーシを除いて全ての国で処刑はおこなわれておらず、ロシアが死刑執行を停止しているほかは、全ての国で死刑制度そのものを廃止している。このように国際的な動きは死刑廃止もしくは死刑執行停止の方向にある。

  死刑制度の存続か廃止か。凶悪犯罪抑止論、応報刑としての死刑、死刑は残虐な刑罰かどうか、冤罪をうけての死刑の問題、死刑が人命の軽視に繋がるのかその尊重を促すのかという問題、無期懲役と死刑の間の隔たりをどうするかなどいろいろと議論はある。しかし、いかに法に拠るとはいえ、人のいのちを奪う死刑制度は、いのちを大切にし、人としての尊厳と生命に対する権利を護るという人権の原則とは相容れないものである。

  「市民的および政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)という人権条約がある。その第6条1項にいう。「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない」。みんなでいのちの大切さを分かち合いたい。そして私たちの生きる世界が、一人ひとりのいのちを大切にし、護る国であり社会であってほしい。