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国際人権ひろば No.71(2007年01月発行号)

アジア・太平洋の窓 【Part3】

観光客が「地上最後の楽園」の政治を変えた? モルディブ・ガユーム長期政権と民主化の展開

高橋 秀征 (たかはし ひでゆき) 岐阜女子大学南アジア研究センター・客員研究員

  インド洋のほぼ中央部に浮かぶモルディブ共和国。青い空、白い雲、透き通った海と熱帯魚、白い砂浜に自生する椰子の木、多くの人々はこの国を「地上最後の楽園」と呼ぶ。標高数メートルと極めて低い約1,200の小島のみで構成された、世界でも珍しい極小環礁国家である。環礁と呼ばれる島々は概ね楕円を構成しており、上空から見るとまさに"海に浮かぶ白いネックレス"のようである。日本を含めた世界各国から多くの観光客が首都マーレ近くの国際空港に降り、そこから最高の娯楽を求め、ボートや水上飛行機などでリゾートのある環礁に向かう。
  ところが、首都マーレはいささか状況が違う。そこには人々が寝そべることのできる白い砂浜はなく、椰子の木もほとんどない。その代わりに政府機関の建物を始め、スーパーマーケットや病院、銀行などコンクリート製の高層ビルが乱立している。全人口の約4分の1が住むこの島は、モルディブの政治・経済・社会の中心。ほかの南アジアの都市とは違い、物乞いをする人はまったく見られず、道路の多くは舗装され、物があふれているためか人々の生活も豊かそうに見える。
  このように一見穏やかで順調に経済発展しているかに見えるモルディブが、ここ数年政治的に混乱しているのである。「地上最後の楽園」で民主化運動や暴動の発生、それらに対する警察による鎮圧などとはなかなか想像がつき難い。日本ではほとんど報道されないモルディブで、今実際何が起こっているのだろうか。

■長期化するガユーム政権への批判


  1965年にイギリスの保護国から独立したモルディブは、1968年以来憲法を持ち共和制を採用している。1998年1月に発効した改正憲法が、現在の政治体制の基盤を成している。この憲法の特徴は、第4条において三権分立を謳っているにもかかわらず、国家元首であり行政権を担う大統領に権力が集中していることである。民主共和的政治体制であるにもかかわらず、大統領に与えられた強大な権限は、基本的に前憲法から受け継がれており、前大統領のイブラヒム・ナシール(1968年~78年在職)は、当時の首相を解任し流刑にしたり、武力でもって民衆の抗議行動を弾圧するなど、強大な権限を最大限に利用した。
  1978年11月に、41歳という若さで大統領に就任したマウムーン・アブドゥル・ガユームは、これまで6期・28年間大統領を務めている。進歩的な政権として当初国民の多くから支持され、3度のクーデター未遂にも耐えた。しかし28年を経た今日、現政権は憲法で民主共和制を謳っているにもかかわらず、ブータンやブルネイのような君主制の国と並ぶ長期政権となっている。
  この長期化の大きな要因となっているのが、産業振興政策の成功とそれに対する国民の支持であると考える。それまで魚の輸出に大きく頼っていた脆弱な産業構造から、観光業とそれに付随する産業の振興に力を入れ、現在では繊維加工業や手工芸産業も発達するなど、極小島嶼国という地理的限界があるにもかかわらず、産業の多角化にある一定の成功が見られる。1人あたりの国内総生産は、南アジア諸国(インド・パキスタン・ネパール・バングラディシュ・ブータン・スリランカ・モルディブ)の中で最も高い。
  ところが、経済発展という"アメ"を国民に与えてきた代わりに、政権に反対する勢力の存在を認めない"ムチ"も、ガユーム政権は使ってきた。憲法第27条には結社の自由が謳われているが、同時にそこには「公共の秩序を犯さない」という条件がつけられている。大統領はこの条項を拡大解釈し、野党や民間マスコミの存在を近年まで認めなかった。憲法第1条で民主主義国家を表明しているにもかかわらず、異常な状態が続いていたのだ。
  統制を強化するガユーム政権に対する批判は、筆者が2000年6月に首都マーレを訪れたときから、すでに現れていた。そのひとつが、徹底的な情報の管理と統制。当時、新聞は国営のハビール紙、テレビ・ラジオも海外放送を除き国営1チャンネルのみ。実際、当時資料収集の目的で数軒の書店を訪れたが、その際にある書店の店員が、「どのような本でも、出版する際に情報・文化省の検閲が入り、政治に関する本などとても出版できない」と強い不満を述べていた。確かにモルディブの政治に関する本は、筆者が探した限りでは書店には見当たらなかった。
  あるマーレ市民は、ガユーム政権の縁故主義や腐敗を批判していた。腐敗に関しては実のところ不明であるが、明らかにガユーム政権が縁故主義に陥っていることは確かだ。事実、2004年まで国家議長を務めたアブドラ・ハミードや、現在、文部・雇用大臣を務めているアブドゥラ・ヤミーンはガユームの実弟。経済企画・国家開発大臣のハムドゥーン・ハミードはハミード前議長の子息、厚生大臣を務めるイリヤス・イブラヒムはナスリーナ大統領夫人の兄である。

■民主化運動の展開


  2000年当時の情勢は、長期化する政権に対する不満があったにもかかわらず、極めて平穏だった。国民は他の発展途上国に比べ豊かさを享受し、首都マーレのみではあるが電力や道路、病院などのインフラが充実しており、独裁的な政権が存在していることを忘れてしまうくらいの平穏さであった。
  しかし政府は、この当時から観光客などがもたらす外からの"悪弊"の国民への浸透を非常に危惧していた。その一つが麻薬犯罪。政府による麻薬撲滅運動の展開にもかかわらず検挙者は右肩上がりで増加している。確かに麻薬犯罪は悪弊であるが、政府は自由な思想など、モルディブ政府にとっての"悪弊"の流入も危惧していた。
  その3年後、国民の不満と政府の危惧は形となって現れた。2003年9月、ハッサン・ナシームという若者が麻薬常習のかどで逮捕され、刑務所で12人の刑務官から拷問を受けた挙句死亡した(モルディブ政府も一連の出来事を認め報告書を作成している)。これが明るみになると、刑務所内で暴動が発生。刑務官は鎮圧のために囚人に向け発砲し、数人の死者と多数のけが人が出るという事件が発生した。それらを聞きつけたマーレ市民が暴徒化し、国会や警察署、政府機関などが放火され、鎮圧のために国家保安隊(この国には軍隊はなく、保安隊が軍・警察の役割を果たしている)が導入されるという事態となった。ガユーム政権成立以来初の民衆による大規模な「反政府暴動」であった。
  この事件は、国内外に大きな波紋を呼び、モルディブでの非民主的・強権政治が内外に明らかになる。対外的にはEUやアムネスティ・インターナショナルなどからこの出来事を非難され、国内的にはこれまでスリランカで地下活動をしていたモルディブ民主党が公然と民主化運動を始める。2004年8月には大統領辞任を求める大規模な平和抗議行動(ブラック・フライデー事件と呼ばれている)を組織したものの、政府は非常事態宣言を発令し国家保安隊により抗議行動の鎮圧を行い、約200人が逮捕されている。翌年にも、民主党・党首で前国会議員のモハメド・ナシードの逮捕をきっかけとして抗議行動が発生。政府はそれに対しても夜間外出禁止令を発令し、参加者を逮捕している。
  国内外の批判に耐えかねたガユーム政権は、ついに強権政治の温床であった非政党政治を改め、複数政党制の導入を決意した。2005年6月、国会議員の全会一致により、導入が決定される。現在では大統領率いる与党モルディブ人民党と、最大野党であるモルディブ民主党、そしてイスラム民主党などの小政党が存在している。
  今後は、これら政党の動向に加え、これまでに逮捕された野党政治家の釈放と、今後起こると予想される抗議行動に対する政府の対応が焦点となるであろう。また、民主化の試金石となるのが2008年に行われる大統領選挙。このままいけばモルディブ史上初の複数政党制による大統領選挙になりそうだ。「地上最後の楽園」での政治状況はまだまだ目が離せない。

■外国人観光客の放つ見えない力


  全人口約30万人に対して、それ以上の40万人の観光客が「地上の最後の楽園」を目指して毎年やってくる。今やモルディブの経済成長の柱となっている観光産業、実は意外なところでモルディブ国民に影響をもたらしているようだ。
  当初から、モルディブ政府は、リゾート地を無人島に建設し、"イスラム的価値"を守ることを建前に、モルディブ国民と、欧米やアジア諸国などの民主主義国から来る観光客との間に距離を設けようとした。複数政党制や自由な報道・結社などの価値観が国民の間に流入することを暗に防いでいたのである。
  しかし、いつの間にか政府の思惑ははずれ、国民の多くは観光客と接するようになった結果、国民の間には、より自由な民主主義の価値観が受入れられたのであろう。2003年から続く民主化運動には、観光客の見えない力が後押ししているのかもしれない。