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国際人権ひろば No.70(2006年11月発行号)

ヒューライツ大阪からのお知らせ

国際人権を考えるつどい「めざすゴールはヒューマンライツ」を開催

  2006年9月22日(金)大阪府、大阪市・大阪市人権啓発推進協議会、ヒューライツ大阪が主催し、外務省の後援を受けて、大阪市中央区のピロティホールで「国際人権を考えるつどい?めざすゴールはヒューマンライツ」を開催しました。今年は記念講演を3名のゲストによるトーク形式にして行われました。参加いただいた約300名の方々にも、肩肘張らない「つどい」になりました。

■文化イベント


  奏者のナターシャ・グジーさんは演奏に入る前に、放射能の恐ろしさを、自らの被爆体験を通して語りました。
  「今から20年前にチェルノブイリ原発が爆発しました。当時、私は6歳でしたが、お父さんが原発で働いてたので、家族全員で原発からわずか3.5キロのところに住んでいました。
  事故が起こったのは夜中だったので、ほとんどの人たちがそんなに大きな事故が起きたとは知りませんでした。そのため、次の日は、普通に生活をしていました。子どもたちが学校に行き、お母さんたちが小さな子どもたちを連れて1日中外で遊んでいました。そして、1日中、目に見えない放射能を浴びていました。事故のことを知らされたのは、その次の日でした。
  『大したことは起きてません。でも、念のために避難してください。3日間だけ避難してください。3日後に必ず帰ってきますので、荷物を持たずに避難してください。』そう言われて、私たちはみんなまちを出てしまいました。
  でも、3日経っても、1カ月経っても、そして20年経っても、そのまちには戻ることがありませんでした。子どものころ毎日遊んでいた美しい森も、たくさんの思い出が詰まった家も、放射能のせいで壊されて土の中に埋められました。今、そこには何にも残っていません。かつて命が輝いていたまちは、死のまちになってしまいました。
  あの恐ろしい事故でたくさんの人が亡くなっています。私の友だちも何人も亡くなっています。でも、それだけではありません。当時、私と同じように子どもだった人たちがもう大人になり、結婚したり、子どもを産んだりしています。そして、新しく生まれてくる赤ちゃんたちの健康にも異常があります。
  20年前に起こってしまった悲劇がまだ終わっていません。人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないでください。同じ過ちを繰り返さないでください。そう願って私は歌を歌っています。」
  体験談を聞いてのナターシャさんの歌声とバンドゥーラの響きは、参加者の心の奥深く響き渡りました。

ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)
シンガーソングライター、民族楽器バンドゥーラ奏者。1980年ウクライナ生まれ。1986年にチェルノブイリ原発事故で被曝。ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。1996年・98年チェルノブイリ子ども基金の招きで民族音楽団のメンバーとして来日。2000年より日本での本格的な音楽活動を開始。

■世界会議レポート


  外務省総合外交政策局人権人道課主席事務官の鈴木誉里子さんから「国連人権理事会の役割」と題して報告いただきました。
  国際連合も昨年60年を迎え、加盟国も2006年現在192カ国になりました。国際連合も従来の枠組みでは、機能しなくなるなか、国連が変わらなければという議論が10年ほど行われ、そのなかで昨年の60周年の首脳会議で成果文書という形でまとめられました。人権は、安全・平和、開発、と並んで国連の3本柱になりました。
  同時にその重要性に見合った機構改革が必要になり、05年9月から今まであった人権委員会をより強化した形にしようという議論が始まり、約10ヶ月の議論を経て、06年6月に人権理事会が設立されました。
  人権理事会では開催回数や期間も大幅に増えます。さらに理事国が同意すれば「特別会合」を開くことができ、1年を通して人権侵害の状況に機動的に対応できるようになりました。理事国の選出も加盟国の過半数の賛成がなければ選出されません。規模も機能も格段に強化されました。今後はどれだけの役割が果たせるかにかかっています。
  人権理事会は、これまでの反省に立ち「対話と協力」を礎にして、人権侵害国と国際社会が対話をして人権侵害国の問題点を洗い出し、それに基づいてできる支援を国際社会として行うことができる環境作りを目指しています。
  第1回目の人権理事会は、06年6月に3週間行われ、イスラム諸国の提案によりイスラエルのパレスチナ人に対する人権侵害の非難決議が採択されました。人権理事会の今後の課題が、この決議の採択状況に現れています。
  第2回は06年9月18日から開催されていますが、一方的な非難合戦の場になる可能性もあります。人権理事会が実際効果的に人権問題に対して、しかも世界の中の一つの国あるいは一部の地域のみの人権問題ではなくて、多くの国の人権問題に対処することができるような機能、機構にしていきたと考えています。

■トークのひろば


  ワールドカップの副審を務め廣嶋禎数さんのドイツ大会での体験を軸に、榎原さんを進行役にゲストがそれぞれの体験を素材にし、スポーツへの思い、生き方の中で大事にしたいものを語り合いながら、人権の大切さに話を広げていただきました。

榎原美樹さん(NHK国際部記者)
 「国際サッカー連盟は、今、(人種差別をなくそう)というスローガンを掲げているんですけれども、これはどうしてこのサッカー連盟がそういうことをするんですか。」

廣嶋禎数さん(大阪府立長野高校教諭・サッカーW杯国際副審)
  「やっぱりスポーツの役割っていうのは人々に感動を与える、そういうのが一つ大きな役割だと思うんですね。実際、今回のワールドカップを見ていただいてもそうなんですけども、フランスの決勝戦でジダンの頭突きがありましたけども、フランスの代表選手を見ていただいたら分かるようにほとんどがアフリカからの移民の子どもたちというのがほとんどなんですね。そういう意味で言うと、そういう人種差別をなくしていくというのはやっぱりサッカーの世界では大きな課題だと思うんですね。
  実際に今でもヨーロッパのクラブチームで言うと、アフリカから多くの若い選手をお金で買ってくるような状況なんかもありますんで、そういう意味でやっぱり人種差別をなくさないといけないというのはやっぱり大きな課題だと思いますね。」

榎原美樹さん
  「白石さんはヒューライツの所長をされるまでずっと国連のお仕事をやってこられたわけですけれども、国連の人権高等弁務官事務所でされてこられたその仕事のお立場からですね、このサッカーという一つの国際的に共通のスポーツなんですけれども、サッカーができる役割っていうのは何かあるというふうにお考えですか。」

白石 理所長(ヒューライツ大阪)
  「軍隊でも体は訓練するわけですね。ところが、軍隊での訓練っていうのは敵に勝つこと、あるいは、極端に言えば人を殺すことを目的としているわけで、スポーツとは相容れない。そういうところから、スポーツと、今の言葉で言えば人権というのが非常に密接な関係がある。先ほどの話に出ましたように、差別は許されない。人種差別ばっかりじゃなくて、国籍による差別とか、性別の差別とか、いろいろ差別はありますけれども、そういうものは許されない。お互いに尊重して協力し合うことからチームワークが生まれる。連帯とか、友情とか、学校でスポーツをやっている人たちは一生そのお付き合いがあるという話を聞きますが、そういうものをスポーツを通して学ぶという、そういう意味合いがあるのではないかと思います。
  フェアプレーというのもその一つの大きな特徴でありまして、廣嶋先生が審判をしているときに、フェアプレーをしないと赤のカードが出ちゃう、黄色いカードが出ちゃうということがあるわけで、やはり人間の一番深いところにかかわるのではないかと思います。
  人権っていうのは、人間の活動のすべての分野に出てきますので、スポーツも例外ではない。「人権、人権」って言わなくても、自然とその本質的なところでは人権とかかわるようなことになってる。それがスポーツではないかと思います。」
(構成:米田彰男・ヒューライツ大阪)