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国際人権ひろば No.70(2006年11月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

-カンボジア紀行- 地雷原・マライ郡の農業復興に協力して

内山 知二 (うちやま ともじ) 大阪府立食とみどりの総合技術センター主任研究員

■はじめてのカンボジア、そしてマライ


資料(1) 今回のカンボジア・フォローアップ研修の日程
8月 3日
(第1日目)
9:45関空に集合(4F国際線出発ロビーH)
11:45TG 623便で関空出発(経由)
18:00バンコクからTG 942便でシエムレアプへ
19:00シエムレアプ空港到着。入国手続き。ホテルへ。
8月 4日
(第2日目)
午前フリータイム
午後農業事情を視察(専用車)、市場を視察(農産物調査)
8月 5日
(第3日目)
8:00マライへ専用車で出発(5時間)
11:30バンティアイミェン州スバイにて昼食。マライ郡長と懇談
14:00マライ着。研修員と面談。
17:00実験農場を視察し、トゥイ研修員と面会
18:30現地関係者と夕食交流会
8月 6日
(第4日目)
8:00研修員のフォローアップトレーニング実施 (検査キットを使った水と土壌の分析)
10:00バンベイン農協で研修会。(水・土壌の検査結果報告と農薬使用の問題点有機堆肥活用の有効性と堆肥づくりなど)
16:00バンベイン農協組合長と農地の視察(トウモロコシ畑、大豆畑)
18:00現地関係者と夕食交流会
8月 7日
(第5日目)
10:00研修員のフォローアップトレーニング(検査キットの補正方法など)
13:00専用車でマライ郡の各地を視察。途中、CMACの地雷除去現場を視察。
15:00ポイペトのカジノ、市場を視察18:00 総括会議
8月 8日
(第6日目)
8:00ポイペトから陸路タイ()へ入国→長距離バスでバンコクへ移動
14:30タラ・ホテルにチェックイン
18:00シーカ・アジア財団関係者と懇談
8月 9日
(第7日目)
12:30TG672便で関空へ出発
20:00関空に到着。
  皆さんは「カンボジア」という国名を聞いてどのようなイメージをお持ちだろうか。今般、大阪府NPO協働海外技術研修員フォローアップ事業[1]で同国を訪れるまで、私にとっての「カンボジア」は、「ポル・ポト」、「キリング・フィールド」、「地雷」、「ベトナムの傍の国」というものであった。そこにあるのは、戦乱で荒れ果てた熱帯ジャングルであり、工業化を進める周辺諸国に取り囲まれて呆然と立ちつくしている...そんなところである。
  湿度と温度とが過剰な環境がそれほど嫌いでない私としては、まんざらでもない土地柄であるが、やはり物見遊山で出かけるには気が引ける場所でもあった。昨年度、同国マライ郡[2]のバンベイン農協からの研修生トゥイさんの受け入れのお手伝いを少々したことを免罪符にして訪問することになった。現地のフォローアップ研修の日程は、資料(1)のとおりである。

■自然環境に恵まれた農業国カンボジア


  そうそう、観光地として有名なアンコール・ワットは、確かにカンボジアに存在する。何を、唐突なことをと思われるかもしれないが、ここは大変重要である。アンコール・ワットおよび、周辺の遺跡群にだけは行ったことがある、という方もおられるだろう。大変壮麗な石造の建築群である。あれだけのものを作る組織力、経済力はいったいどこから来たのであろう。前述したイメージとは結びつかない。これらの遺跡群がヨーロッパ人に発見されたとき、当のカンボジアの人たちがよく知らなかった、という話を聞いたが、ある意味納得のできる反応である。

  これは、私の想像の域を出ないものであるが、カンボジアというのは、大変恵まれた農業国ではなかろうか、と思うのである。遺跡群だけを見ていると気づかないのであるが、未舗装のぬかるんだ道路の脇に広がる広大な土地が砂漠でも草原でもなく、水田なのである。カンボジアには雨季と乾季があるらしいが、私が訪れた8月は雨期である。雨期とは言っても曇天が続いて雨ばかり、というわけではなく、スコールがコンスタントに訪れるという気象条件のようである。決して山岳地帯ばかりでなく、トンレサップ湖という大きな半湿地帯があり、メコン川が国土を縦断している。気温は熱帯植物である米の生育にとって申し分のない高温が約束されている。農業に携わっている方ならご存じであろうが、米というのは、それほど多くの養分を必要とせず、少し汚れた(栄養分を含んでいるという意味)水が供給されれば、結構な収穫を得ることができる。すなわち、カンボジアは環境条件だけで、飢えを回避できる土地柄ということになる。

  さすがにシエムレアプなどの都会部は、アジア的な都会の臭いがして、「もうかりまっか」的な空気があるが、農村部はのんきな空気が漂っている。前政権の名残か、土地の所有に関する概念も浸透していないように見えた。収穫量を上げる、といった熱意も今ひとつである。しかし、ここには、それほどの貧しさが感じられない。切迫感や諦念とも、何となく無縁なのだ。
  これはこれで、良いのではないか。カンボジアがベトナムやタイになる必要はないのではないか。恵まれた環境条件を活かして農業立国を目指し、モンスーン・リゾートとして世界の人々をいやせる空間を提供できるのではないかと思う。

  今なお、数知れぬ地雷が国土を覆っているという。滞在中に地雷の撤去現場にも出くわした。何をどうするにせよ、この問題を解決しなければ、事態は前には進まないだろう。国際的な支援で、安心して足を踏み入れることのできる大地を取り戻してほしいものである。

1. 大阪府が府内の国際協力NGOと協力して実施する研修生受入事業で、2005年度に適正技術支援プロジェクトが受託し、2005年9月から3ヶ月間、カンボジアのマライ郡の農協スタッフのトゥイさんを招聘し、大阪府立食とみどり総合技術センターで農業技術研修を実施。大阪府は、2006年度に新たにNPO協働海外研修員受入フォローアップ事業を開始し、昨年の研修員トゥイさんへのフォローアップを担当する専門家として適正技術支援プロジェクトから派遣要請を受け、現地入りした。
2. マライ郡はカンボジア西部のタイ国境沿いのバンテイアイミエンチェイ州にあり、国境の町ポイペトから車で40分のところで、濃密地雷原である。K5と称されるカンボジアの濃密地雷原は、パイリン特別市、バッタンバン州、バンテイエイミエンチェイ州、オーダーミェンチェイ州、プレビへール州で、いずれもタイ国境地帯や山間部にある旧クメール・ルージュの人々が多く住む地域。彼らは、98年まで現政権に武装抵抗してきたため、道路や橋、電気、水道、学校建設などの社会インフラ整備が、他の地域より大きく立ち遅れている。