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国際人権ひろば No.43(2002年05月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

人と人との間で生きる-国際協力と私

国金 さつき (くにかね さつき)
21世紀協会現地ボランティアスタッフ

納得できない自分のために始めたボランティア

 フィリピンで生活をしはじめた2001年1月30日から11ヵ月後の2002年の幕開けを、私は例年通り実家のコタツの中で迎えました。その1ヵ月間の日本への一時帰国の後に再びフィリピンに戻ってきた私は、NPO「21世紀協会」のボランティアとしてさらに1年を過ごします。

 私の所属する「特定非営利活動法人21世紀協会」は、フィリピン・ミンドロ島、サンタクルスで少数民族マンニャン族を対象とした教育支援活動を行っています。よくミンダナオ島と混同される、知名度の低い田舎島の、サンタクルスというこれまた産業も何も無い小さな田舎町を拠点に、学校に通うべく村からやってきた少数民族の子どもたちと共に生活をしています。朝は一緒に魚の干物を食べ、昼は共に洗濯をし(もちろん手洗いです)、夜は子どもたちを相手に補習授業を行っています。洗濯の不慣れな「アテ」(タガログ語でお姉さんの意)は時に「マム」(先生)となります。

 現地のスタッフと共に土にまみれて農作業を行ったり、マンニャンの人々が暮らす山を訪れてバナナの木の幹を剥がして皿にし、手づかみでご飯を食べたり、また地元の小学校を訪ね校長先生と会って話をしたり、一日中コンピューターに向かって作業をしたりと、何でもありの毎日です。

 私は誰に頼まれた訳でもなく、誰のためというよりは納得できない自分のために、こうした国際協力の活動に足を踏み入れています。ハエにたかられパンパンに張ったお腹の子どもをテレビの画面で見ていた幼い頃の私。都会に出ると道路の脇で段ボールに寝そべっているおじさん。海を渡れば、しばしば日本人という理由でちやほやされる自分。超豪華ホテルのすぐ横で恐らく生涯その先に入ることはないであろう「赤ん坊に一杯のミルクを」と乞う裸足の女の子。日本に帰ってくれば日々の生活で手一杯になってしまう自分と、溢れる広告に誘われて買い漁る人々、新しいものが建ってはすぐ潰れていく建物と共に活気を無くし年々さびれていく故郷。目に映り、感じ、私の心に住み着くそれら様々な要素に導かれ、私は今フィリピンのミンドロ島でマンニャン族支援事業に取り組んでいます。

穏やかなマンニャン族の人たちに包まれて

 やって来てここで出会うのは、何とか自分たちの幸せを探ろうと模索しているというよりは、過酷な状況にありながら、本当に納得いかない、どうにかしたいと考えているとは思えないようなのほほんとした穏やかな人たちでした。山で慎ましい生活を送って生きてきた先住民族の人たちの命がすり減らされている危機は、たった一度きりの割り箸を大量に生産しゴミとして捨てる文化と別次元の話ではありません。数十年前にはあった木々がもうそこには無く、それまであった食べ物が得られず、家や畑が洪水で流されるという現実に対して、自分で自分を守る強さが無い限り彼(彼女)らは明日を生きられません。そしてそれを言う、割り箸を持つ側の私にはもっともっと強さと優しさが必要なのです。

 この現地で我々が行うべきはいわゆる人間開発で、人々のやる気をいかに出させるかが最大の課題と言えます。実際にはひたすら彼らの話を聞くことだったり、小言に始まり言い続けることだったり、本人たちが気付くまで辛抱強くとにかく待つことだったり、相手の気分を上手く乗せることだったりと様々です。柔軟性に富んだ継続こそが非常に重要だと心得ています。

 子どもたちが初めて見るピアニカで全員そろっての演奏を成し遂げるには恐ろしく根気と体力が必要でした。毎日その都度言い続けないと集まらない、注意して見ていないとすぐ別のことを始めたりと、楽しみと皆で出来たときの喜びのために始めようとしたことですが、当人がやりたくないのであればすべきではないと何度も断念しようかと思ったことがあります。どんなに言っても理解されていない、通じていないと感じたとき、相容れることのできないどうしようもなく遠いものを感じ、自分の思いがぐらつきます。

 子どもたちだけでなく大人であっても同じ、変化に対して頑固な分、子どもより余計に伝わりにくいとも言えます。自分のためにとは言いましたが、日々の細かなことからはじまって判断を下す最大のポイントは彼ら開発の主体となるべき人たちにとって良いかどうかであって、「自分だけのために」では到底出来ません。結局は彼ら次第であるのに、全くやる気が感じられないとき、伝わる気配も無くこちらの真意が届いていないと感じたとき、全く無駄なのではないかと、好きにすればと放り出したくなるときもあります。

 自分はちゃんと伝えているのか?それが本当に良いのか?と顧みつつ諦めずに忍耐強く続けることで、普段は見えない彼らの理解に気付いた瞬間(大げさでなく100回同じことを言ってそれがちゃんと理解されるのは1回あるかないかくらい希なことなのです)、たまらなく嬉しくなります。投げ出さないで、見捨てないで、信じ切って良かったと心の底から思います。

人との共有のなかで生まれるもの

 自分の気持ちに端を発して始めたことが、いつの間にか他人である人との中で生まれる喜びに支えられていました。伝えようとしていた自分が実は伝えられていた、本当に大切にしたいことを分かちあえ共有できたことの喜びは何にも勝るものであり、それがまた私を突き動かす大きな原動力となっているのでした。

 私の日々行うことは、納得のいかない多くの困難な現実に対してはあまりに小さく脆くはかないもので、しかも最終的に本当にこのような活動がマンニャンの人たちそれぞれの幸せと結びつくのかどうか、私が答えを出せるものではありません。しかし、今一緒に共有している時間と空間と思いはそれぞれの今にとって無駄なものでは一切無いと言い切れます。当たり前ですがこうやって巡り巡って人との間で生きてこそ、喜びが生まれ幸せが見出されていくのです。

 そして人間開発とは、24時間の生活の場を通して、人格を持った一個人を通じて、喜怒哀楽を共有する中でのみ成し得ることのできるものなのではないかと感じています。私はこれからの365日、8,760時間の間に何をどれだけ分かち合うことが出来るでしょうか。

注:「特定非営利活動法人21世紀協会」は、フィリピンのミンドロ島の先住民族マンニャン族の子どもたちに奨学金を送るとともに、現地で学生寮を運営して教育支援などの活動をしている。事務所は、東京都八王子散田町2-68-14。電話0426-67-5374。活動の詳細はホームページ http://www.21ca.ac