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国際人権ひろば No.35(2001年01月発行号)

国際化と人権

人権運動の閉塞を破る

国際人権の新たな使い方

上野 さとし(うえの さとし)
(社)自由人権協会 国際人権訴訟プロジェクト

 「お前は日本人か?うちの店は日本人お断りだ。とっとと出ていけ」慣れない外国の店でこんな応対をされたら、どんな思いがするか。その程度の想像もできない日本人が多いのだ。西暦1998年6月、ブラジル人のボルツさんが浜松店の宝石店から、ブラジル人であるという理由で追い出された。同種の事件は山ほど起こっているが、ニュースにすらならない。この国では差別は罰せられない。差別行為を禁じる国内法は無いため、刑事告訴はできない。仮に名誉毀損で民事訴訟を起こしても、明確に被害者を特定した行為でない限りは、かなり難しい。

 国内法の不備を補うため、90年代から差別事件や戦後補償裁判で、市民的・政治的権利に関する国際規約(以下自由権規約)などの国際人権法が使われてきた。日本の裁判所は明治以来当然のように国際法を国内事件に直接適用してきた。にもかかわらず、この国際人権訴訟の盛り上がりを目の当たりにすると、政府は「国際人権法の直接適用には批准時にそれを意図していたことが証明されなければならない」と言い出すようになり、90年代、戦後補償関連の裁判が増えてきた頃から、他の国際法とは別に特に直接適用可能性を確認しなければならない国際人権訴訟という訴訟類型が存在するかのような判断をし始めた。

 また条約執行機関への報告書提出やロビーイングなど市民運動の20年近い努力により、数多くの勧告が日本政府に出されたが、法的強制力が無いため、政府は素知らぬ顔である。人権擁護運動にとって、国際人権という手段は効力を失い、行き詰まりを見せているように見える。

 しかし、冒頭のボルツさんの事件に対する静岡地裁の判決は大きな力になりそうである。判決は「人種差別撤廃条約の批准に際し日本政府が国内法の制定を行わなかったのは直接適用を予定しているから」と判断して同条約の直接適用可能性を認めた。その上で私人間の人種差別行為を禁止する義務を締約国に課した同条約2条(d)に店主の行為は違反しているとした(直接適用)。但しそれは判決理由とせず、民法709条の損害賠償を請求できる不法行為に当たるとし、損害賠償を認めている。 即ち私人間の人種差別行為を禁じた条約2条により、誰しも人種差別により不当に扱われない権利がある。そこでこの民法の不法行為の成立要件にこのような人種差別行為による不利益も含まれる、と条約を間接適用したものだ。

 今後は裁判にこの判決を生かし、条約の直接適用にて判断すべきは自動執行性であって直接適用可能性ではないこと、ましてや直接適用が制限される国際人権訴訟という類型は存在しないことを訴えていかねばならない。

 この判決は画期的であるが、差別行為そのものでなく差別による名誉毀損を不法としている点、条約により私人間の人種差別行為禁止の義務を負う警察官の職務怠慢に言及していない点など限界もある。この事件は控訴されずに終結したが、仮に控訴された場合、保守的な高裁・最高裁により覆される可能性もある。

 まだまだ閉塞した状況をうち破るには、現行の司法制度だけでは全く足りない。表現の自由に充分配慮した上で差別行為そのものの禁止・罰則化を法で定める。独自の調査・調停・裁判支援を行う国内人権救済機関を設置する。そして、国内の司法救済を尽くした、即ち最高裁で棄却された事件のため、人権条約執行機関に直接訴え、審議の上政府に勧告を期待できる個人通報制度の批准が求められる。

 個人通報制度は自由権規約・人種差別撤廃条約・女性差別撤廃条約・拷問禁止条約で定められている(社会権規約も策定中)にもかかわらず、「司法権の独立」という理由にならない理由で20年以上批准を留保、つまりサボタージュしている。

 自由人権協会など日本の人権擁護運動は再三政府に制度の批准を求めてきた。政府が締約権を握っている限り、それが運動の筋であった。

 しかし、個人通報制度は政府のものではなく、間違いなく我々市民のものである。であれば、政府の都合でそれが利用できないのは、あまりにふざけている。批准を待たずに実際に通報することは、そんなに不当なことなのか?

 日本政府はこの20年間じっくり制度の導入を検討してきたはずである。充分な時間だ。一方で多くの条約違反の事実を抱えている。国内的救済を尽くしてなおそれらが放置されているということは、自由権規約の場合、2条3項の救済措置の確保を締約国に約束させた項目に違反した状態と言える。従って日本政府は直ちに救済措置を補完する義務があり、それには批准が無い状態でも通報に応諾する事も含まれるのではないか。国際司法裁判所では、その管轄権を認めていない国が当事者になった場合に自発的に管轄を受け入れる応訴管轄はごく一般的である。また規約人権委員会でも通報制度批准前に起こった事件を当事国政府が応諾した事例はあり、従って批准無き個人通報の合法性は確保される。

 更に規約人権委員会はその一般的意見24で条約の留保が認められるかどうかの判定権限は締約国政府ではなく委員会にあるとしており、実際に留保されているのに勧告を行った例もある。これは自由権規約が国家間条約のレベルを超えて客観的な秩序を創るものとして認識されているためだ。従って同規約は市民のものであり、国家の都合にかかわらず権利を行使するのは正当と言える。

 自由人権協会国際人権訴訟プロジェクトでは昨年9月の公開研究会でボルツさんの弁護をつとめられた小川秀世弁護士を招いて、前述のような裁判の意義を検討した。12月にはこの文後半で述べた、批准無き個人通報の可能性を探るシンポジウムを行った。今後は規約人権委員などに相談しつつ、受諾できそうな人権侵害事件の通報を準備していく予定である。

 近年行政や企業が人権擁護活動を行うようになり、頼もしく感じている。ただそれらはあくまで副次的な活動であり、企業には企業の組織運営がつきまとう。だが人権擁護運動団体は、運動することだけが目的である。他に無い。この運動ならではの100%の自由を存分に生かし、自由闊達な発想で取り組むことこそが、運動の武器であり、人権擁護の閉塞を打ち破る最大の要素である。新しいアイデアと参加者をお待ちしています。