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国際人権ひろば No.35(2001年01月発行号)

コラム人権教育

「人権教育のための国連十年」の中間評価

ジェファーソン・プランティリア
ヒューライツ大阪研究員

国連による「十年」の中間評価

 昨年八月、国連人権高等弁務官事務所は「人権教育のための国連十年(一九九五~二○○四)」(以下「十年」)の前半五年間の評価を終え、九月には評価に関する報告(国連文書A/55/360)を、第五十五会期国連総会に提出した。

 この評価には、各国政府、政府間組織、およびNGO(非政府組織)によって実施された人権教育の取り組みが含まれている。

 評価のプロセス(過程)として、まず各国政府から人権高等弁務官事務所に送付された公式の報告書が第一の情報源とされた。それから二○○○年四月には、各国政府、政府間組織、NGOを対象にした調査(アンケート)が実施された。また、「十年」の行動計画実施に関わる基本的な問題を扱ったインターネット・フォーラム(Human Rights Associatesによって運営)がこの調査を補完した。

 この報告文書をまとめるにあたって、八月初旬、ジュネーブにおいて専門家会合が開催された。この会合は、地球規模での調査およびインターネット・フォーラムの調査の結果を検討し、専門家の経験をもってこれらの結果を深化させ、中間評価報告を整理作成し、地方、国、国際地域、国際のレベルでの行動について提言をまとめ、「十年」の残された期間の取るべき戦略について人権高等弁務官事務所に助言を行うために開催された。

 会合には、「十年」に関わって活発に活動してきた組織や人、人権教育の専門家が参加した。(筆者もその一人)

 報告文書は、「十年」に関する取り組みについての情報が様々な理由から十分盛り込まれていないことを認識している。 多くの組織がこの評価プロセスそのものを知らなかったために参加していない。また、知っていたが期限内に回答できなかったという場合もある。多くの政府や政府間組織がアンケートに回答していない。

 評価の中で強調された重要な原則は、いくつかの国際人権条約について加盟している国は人権教育の実施義務を負うということである。この義務は、これまで国連が開催してきた諸会議で採択された宣言によっても補完される。一九九三年のウイーン宣言(ウィーン人権会議)と行動計画は、人権教育のための国連十年の採択を勧告している。そのため「十年」は、人権教育の分野において主要な担い手が成し遂げてきた成果を強調し、人権や基本的自由の尊重を推進するために教育や学習によって努力することを各国政府に促していることを確認しておきたい。

共通する一般的傾向

 さて、評価プロセスに限界がある中でも、すべての国際地域(アフリカ、アメリカ、アジア・太平洋、ヨーロッパ)に共通するいくつかの一般的な傾向が確認された。

 まず、人権教育に関する責任は国内の広範囲で多様な組織に与えられている。しかし、取り組みの達成効果は組織によってばらつきがある。また、組織の体制がしっかり整っているからといって効果が保証されているとは限らない。

 人権教育の様々な取り組みは、国内行動計画の有無に拘わらずほとんどの国に存在している。しかし、行動計画の存在は、調整力や方針の一貫性、効果性を高めるだろう。政府の回答には概して、具体的で綿密すぎる行動計画の採択には後ろ向きであることが見受けられる。しかし、行動計画の策定に多様な社会のセクターが関わることと計画が効果的に実施されることとの間には相関関係がみられる。

 多くの国では、政府とNGOの相互信頼の欠如が見られる。人権教育のための連携・協力はこのような不信を克服する一助になるだろう。

 今回の評価では異なるグループを幅広く巻き込んだ人権教育の取り組みが行われているということがわかる。しかし、これらの活動の多くは、フォローアップ(事後活動)がほとんどない単発的な取り組み(戦略に欠ける会議やセミナーなど)となっているようだ。

 政府職員および一般大衆の人権に対する否定的な考えや間違った考えが、一つの大きな障害物となっている。このような否定的な見方については、人権を尊重する積極的な側面を提示することによって注意を喚起する必要がある。

 アンケートの回答では、もっぱら人権教育を実施する権限と義務を制定する法律に焦点が当てられていたが、重要な法律はそれ以外にもあるはずだ。つまり、教育を規制したり、教育における差別を正当化したり、メディアや人権教育の実践者を規制したり、人権擁護活動家を抑圧したりする法律も、同様に極めて重要性をもつものである。また、回答では、人権教育を支援する法律と人権教育の実際の取り組み状況との明確な相関関係が示されていない。

 学校で人権を独立した科目として扱っているとした回答は、一つの国しかなかった。大学レベルにおいて人権が独立した科目として扱われるケースは、専門的な人権研究機関の教育を除いてはほとんどなかった。

 学校における人権教育の評価については、学校もしくは教育省の通常の評価活動の一部としかなっておらず、人権教育についての特別な評価は行われていない。

 「十年」では、課外活動を通じた人権教育の可能性を提言している。しかし回答に挙げられた事例は主として学校内の活動に限られ、コミュニティや家庭に広がる課外活動はほとんど取り組まれていない。

 最後に、法の執行に関わる公務員、裁判官、刑務所職員など特定職業グループを対象とした人権研修が報告されているが、経済や社会福祉に関する省庁の職員に対する人権研修は少ない。このことは、経済的、社会的権利に関わる政府職員が担っている役割の重大さが認識されていないことを示している。特定職業グループを対象とする就労前、就労後の人権研修はあまり取り組まれていない。このことは、人権教育は子どもや若者の教育にのみ関係していると多くの人々が思い込んでおり、教育とは生涯続くプロセスであると言うことを忘れているためではないだろうか。政府職員は、その職業人生を通じて、あらゆる法の改正、特に人権に関するものを知っておく必要がある。

* この文章は英文ニュースレター21号の記事を編集したものです。また、ヒューライツ大阪では(社)部落解放・人権研究所と共同で、ここで取り上げた「十年」の中間評価についての国連文書を日本語に翻訳しています。お問い合わせはヒューライツ大阪まで。(簡易な印刷冊子は140円の切手を封筒に貼ってお送りいただけば無料でおわけいたします)