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国際人権ひろば No.33(2000年09月発行号)

アジア・太平洋の窓

住民の生存権を脅かす開発援助

~バンコク近郊サムットプラカン県クロンダン地区の汚水処理施設建設

土井 利幸(どい としゆき)
アジア開発銀行[ADB]福岡NGOフォーラム副代表

 「この豊かな自然を見てどう思います。」

 住民リーダーの一人ダワンさんが指し示す先には、満潮を向かえたチャオプラヤ河口に近い運河に溢れる泥水があった。行く手にはタイ湾、左手にはマングローブの林、私たちを乗せた小船は頼りなく横揺れを繰り返している。

 すぐに返事できなかったのは、「豊かな」という言葉につまづいたからだ。考えがまとまるまで少し時間がかかった。ダワンさんが言う「豊かな自然」とは手付かずで美しい自然ではない。そこに生きる人々を支える自然である。自然を愛でる対象と見てしまいがちな自分の理解の浅さに気付かされた。

汚水処理施設建設への疑問

 ダワンさんが生きるタイ中部クロンダン沿岸の自然は、毎日取っても尽きないムラサキ貝や海老をもたらす。三千世帯三万人の住民の多くは漁業と関連産業にたずさわっている。自然はクロンダンに住む人々にとって生存権の基盤なのである。

 その基盤が根こそぎにされようとしている。沿岸に建設中の大規模汚水処理施設だ。クロンダン地区は首都バンコクに隣接するサムットプラカン県の一部であるが、同県を流れる大河チャオプラヤの両岸には数千の工場が点在する。その工場から出る汚水を生活排水とともにクロンダンの沿岸で一括処理しようというのだ。クロンダンを訪れる者はバンコクからバスで数時間のところにこれほど活発な漁場が存在することに驚き、不似合いな汚水処理施設建設計画に首をひねるだろう。

 「汚水処理施設が必要なのは分かります。でも、それがなぜクロンダンに建設されなければいけないのかが分かりません」とダワンさんは言う。実際、施設建設をめぐっては住民ばかりでなく学者からも多くの問題点・疑問点が指摘されている。主なものを整理してみよう。

 1) 住民の知る権利・参加する権利が侵害されている。
 テクニカル・ヒアリング(技術公聴会)の開催が住民に知らされず、その報告書も配布されなかった。

 2) 建設場所の決定プロセスが不透明である。
 1995年に別の場所での処理施設建設が閣議決定されたが、1998年に今度は閣議決定を経ずに建設場所がクロンダンに変更された。

 3) 環境への配慮が不十分である。
 施設建設開始前に正式な環境影響評価が行われていない。

 4) 建設場所が不適切である。
 施設が産業区画ではなく農業区画に建設される。また、周辺は侵食や地盤沈下がはげしく施設が水没する恐れがある。

 5) 処理施設に不備がある。
 工場排水を処理するにもかかわらず重金属や雑菌を処理する設備がない。

利権と開発援助

 対照的に、明快な代替案が存在する。チャオプラヤ川に汚水を流す多くの工場がすでに自前の処理施設を持っており、そのうち何割かでは環境基準をクリアする処理が可能である。つまり、既存の施設を充実させるような投資を行えば、より安価に汚水処理ができるのである。その上、工場側に環境保全の責任を負わせることもできる。

 問題点と代替案が出そろっているのに、なぜ建設が強行されるのか。

 「利権も作用しているのですね。」私はすでに聞いていた話をあえて口にした。「今、そのことを話そうと思ってたんですよ。 」同じく住民リーダーで海老の養殖場を営むチャラオさんが切り出した。処理施設が建設されている土地は、もともと地元有力政治家の関係する企業が住民から買い取りゴルフ場建設を計画していた。しかし、経済危機のあおりで地盤沈下対策の費用捻出が困難となりゴルフ場計画は頓挫する。この企業の目論見は潰えたはずだったが、「幸いにも」汚水処理施設建設の決定が下り土地は公示価格の何倍もの値段で売れたというのである。

 さて、この不可解な汚水処理施設の建設費用は総額230億バーツ(約640億円)にのぼる。これだけ巨額な費用をひとりタイ政府がまかなえるはずもない。アジア開発銀行(ADB)と国際協力銀行(JBIC)が、それぞれ68億円と2億3000万ドル(約250億円)を融資して、はじめて可能となるのである。ADBとは先進国政府などが共同出資した資本をアジア・太平洋地域の開発に融・投資する多国間開発銀行である。日本政府は最大の出資者であり歴代の総裁も大蔵省関係者が占めている。JBICとはかつての海外経済協力基金(OECF)と日本輸出入銀行が統合された組織で、その融資は「円借款」と呼ばれる日本の政府開発援助(ODA)である。

 日本政府の開発援助にまつわる問題はすでにたくさん指摘されている。それがために私たちはかえって「またか」でやり過ごしかねない。しかし、クロンダンの人々にとっては死活問題なのである。日本の市民社会に開発援助に対する厳しい監視の目を養う必要性をあらためて痛感する。

進行するプロジェクトと住民の反発

 この小文は、8月のある日にクロンダン地区を訪れ、住民、しかも少数のリーダーたちから聞いた話や建設反対派の資料に基づいて書き上げた。そうした情報には限りや偏りもあるだろう。しかし、大半の住民が処理施設建設に納得していない事実が存在する以上、建設の是非に関して議論が尽くされたとは到底思えない。それは大きな問題だ。タイ政府やADBは今になって海外の処理施設の見学を住民に持ちかけたり、クロンダンに調査団を派遣しはじめた。ところが、これが逆効果となり、かえって住民は不信感をつのらせている。なぜか。建設が着々と進行しすでに施設の50%が完成していると言われるからだ。マングローブに挟まれた運河に導かれて小船を進めて行くと、林の向こうに汚水の処理に使用する巨大なタンクの骨組みが何基も姿を現す。

 「あれを見るたびに胸が痛むんです。」饒舌なダワンさんが口ごもってしまった。住民と話し合いながら他方で建設を進めるのであれば、根本的な見直しを行う気がないことを白状しているも同然だ。これでは住民の態度はますます硬化する。

 今年5月6日から8日にタイのチェンマイで開催された年次総会で、ADBはかつて体験したことのない事態への対応を迫られていた。各地から集結した数千人の住民組織・NGOのメンバーが総会会場のホテルを連日にわたって取り囲み、ADBに向かってタイ政府に対する全融資の停止を要求したのである。その中にダワンさんと数百名のクロンダン住民もいた。600キロ以上も離れた遠隔地から駆け付けたことで、クロンダンの汚水処理施設建設はタイにおける反ADBキャンペーンの象徴的課題となる。事態の重要性を理解した日本のNGOもADBやJBICはもちろん大蔵省や国会議員への働きかけを開始した。ダワンさんやチャラオさんたち影響住民はタイ政府やADBに対して要求・交渉活動を続けている。

 「ADBや日本政府は『経済危機からの救済』や『貧困の撲滅』を掲げて私たちの政府にお金を貸します。でも、私たちはこの豊かな自然のおかげで経済危機の影響も受けなかったし、この自然の恵みがある限り貧困とは無縁なのです。汚水処理施設の建設はかえって私たちに貧困をもたらすでしょう。」

 クロンダンの風景を背負いながらダワンさんが語る時、その言葉は強い説得力を持った。

注:この件に関する資料・情報をお求めの方は、土井(toshi-doi@mtd.biglobe.ne.jp)までご連絡下さい。