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国際人権ひろば No.88(2009年11月発行号)

特集:「移住」の視点からみる韓国・済州島スタディツアー Part5

済州島スタディツアー

号外版:「済州島スタディツアー2009」(8月25日~8月28日)の感想文

赤峰美鈴

 初めて訪れるチェジュドの旅は、春以来、私の胸にふくらむ歯ぎしりにも似たような、「いったい、私は、島について何を知りたいのだろうか?」という思いを、少しは落ち着かせたのだろうか。
 友人の論文が届けられたのが、2009年の春。『植民地地域交流史研究に関する一考察-ある済州島人一族にとっての大阪と教育』(玄善允)。
 かなり長大な、そしてまだ、研究は端緒にして、これからどのように歴史を考えていくのだろうかという、大きな含みを終わりに山積みした論文。私にとっては、チェジュドへと引き寄せられる、混濁した意識と、とにかく知りたいという強い気持ちをない交ぜにした思いのみが、破裂しそうにまでふくらんだ、やっかいな論文だった。
 大阪という土地が持つ、人々が生きた歴史について少しずつ知ることができたらいいなあと、こんな気持ちでツアーに参加した。福岡空港からだと1時間もかからずに着く。わたしは1週間の旅の途中にツアーに合流することにした。ひとり旅で、足は徒歩、あるいはバスしかない。チェジュ港の近くの小さな旅荘に泊まり、チュジャドという島へ渡ったり、植物園、海を望む絶景地を歩きまわったり、朝の港の魚うりを見物したりで、忙しく過ごした。ツアーに入ると、「4.3事件」と、日本帝国時代の暴圧の痕を、丁寧な説明つきで歩いたので、濃い時間を持てた。「4.3平和公園」でのガイドの方の説明を聞きながら、延々とこの島の解放後の跡を追想してみるのだが、いっこうにすっきりと、捉えられない。何故、新しい国づくりが、これほどまでに困難な事態なしでは始められなかったのか。
 植民地にするという国策について、以前激しい思いに捉われたのは、初めて一人で韓国釜山から、セマウルにのってソウルに向かう車中だった。車窓の風景を見ながら、えんえんと続く地方の景色を眺めながら、この南の町から、遠い北の町までの長い距離、この長い国をすべて把握し、土地も、人も帝国が思うがままに支配するとは、いったいどんなことだ?と。かつて、それをやったのだと思うと、心が激しく動いて、震えてきたのを覚えている。今回のチェジュツアーは、そこを歩くという始まりで感受性を呼び起こしてくれた。近頃は、言葉よりも感覚が揺り動かされることが先にあって、どうも、こんなことでいいのだろうか。 
 これから、この島をもっと歩こう。そんな思いが深く刻まれたツアーに参加して良かった。