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国際人権ひろば No.88(2009年11月発行号)

特集:「移住」の視点からみる韓国・済州島スタディツアー Part5

済州島から大阪「龍王宮」を見る

号外版:「済州島スタディツアー2009」(8月25日~8月28日)の感想文

斎藤正樹
ウトロを守る会

 私は3年前、済州島のハルラサンに登った。神戸青年学生センターの飛田雄一さんらと一緒だった。8合目あたりから開けた山頂部の解放感は素晴らしく、人生で最も満ち足りた時間だったと思う。だが、今回のツアーを申し込んだのには、もうひとつの理由があった。
 JR大阪環状線桜の宮駅のすぐ近くに龍王宮という済州島の女性に深く関わる祈りの場(シャーマニズム)がある。2009年はじめに管理人のアボジが亡くなり、娘の宋良恵さんが施設のマネージャーを引き継いだ。しかし、龍王宮はいま行政から立ち退きを迫られている。
 この危機を一緒に考えようと研究者が集まり、在日朝鮮人集落の問題を研究テーマとするコリアン・マイノリィティ研究会の毎月の例会が、半年前からこの場所で開かれるようになった。私もメンバーの一人である。ウトロ(地名)という京都府宇治市にある在日朝鮮人集落の立ち退き問題に長くかかわってきた私は、こうして毎月、彼女と顔をあわせるようになった。ある日の研究会後の飲み会で、「ともかくパスポートをとって、済州島ツアーに一緒に行こう」と、私はやや唐突に彼女を誘った。彼女はちょっと笑っていた。
 今回のツアーは、彼女にとって格別な意味があったようだし、私も楽しかった。しかし、城山日出峰に登った時はヘロヘロ、頂上にやっとたどり着いた。美しい景色も目に入らなかった。
 ところで、3泊4日のあいだ、現地の人から大阪という地名をよく耳にした。たとえばガイドさんが自分自身を語ったとき、自分の身内が大阪でどうした、どうしているという過去や現在の具体的な情報に結びつくお話だった。
 ツアーの途中、日本語のできるタクシー運転手さんの案内で、私たちは彼女のご両親の出身地を西帰浦市まで探しに行った。日本帝国主義による植民地支配、侵略戦争、「4・3事件」、朝鮮戦争、そしてその後の時代を通じて、済州島の人々は一人ひとりが過酷な体験を刻みながら生きてきた。済州島と大阪を何度も往復して、生き延びてきたのだ。彼女の家族のルーツもその中にあった。
 帰国1カ月後の9月末、龍王宮で開かれた研究会に懐かしい顔が集まった。「移住の視点からみる韓国・済州島スタディツアー(ヒューライツ大阪)に参加して」と題する発表では、まず、金稔万さんの動く映像(15分)が映され、彼女の写真を使った発表(20分)があった。あの青い海と高い空、ハルラサンの雄大な景色がすぐさま目の前に甦った。二つの報告は、大阪の龍王宮から見た済州島(特に海女さんや民俗信仰)と、済州島から見た大阪の済州島出身者の存在と、その両者のつながりを改めて問うものだった。私たちはまだ、深くて重い歴史的・社会的問題の入口に立ったに過ぎない。全体のアウトラインがおぼろげに描けるようになった程度だ。その中で、大阪という場所で龍王宮という存在が人々の中で果たしてきた役割は何だったのか。改めて考えなければならない課題は多い。
 龍王宮が今後どうなるのか、いまは誰にもわからない。ただ、彼女には人為的な国境線を軽々とまたいで、自由に大空を飛んでもらいたい。まずは、大阪と済州島の間を羽ばたき、そこから先は、気の向くままに元気で「どこに行ってもいいよ」。