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国際人権ひろば No.83(2009年01月発行号)

特集「日メコン交流年」と持続可能な社会づくり-私たちの課題 Part 2

偶然が軍政を救う-ビルマにおける開発と人権の現状と日本-

宇田 有三(うだ ゆうぞう)
フォトジャーナリスト

 ビルマ(ミャンマー)問題を考える際、どのようなアプローチが有効なのだろうか。問題を箇条書きにしながら、いつも袋小路に入ってしまう。国民和解(民主化と「少数民族」問題)・内戦・貧困(経済政策と運営)・HIV・麻薬・国際関係(西欧諸国・中印露・ASEAN)。もちろん、どの国にも解決すべき複雑な問題はある。だが、ビルマの場合は、最終的にはいつも、その根本原因は、強権的な政治体制へと収斂してしまう。

 2007年8月、ビルマ(ミャンマー)の最小のカヤー州(カレニー州)を訪れる。それによって、ビルマ全土に足を運んだことになった。自らの計画によって、ビルマ行政区の7州7管区の全てを見ることができた。もちろん、その行動には限界はある。だが、ビルマを語る際には、まずは現状を見ないと話にならない。そんな思いから現場を歩き続けた。
 机上でさまざまな政策や方針を考えるのも大切。だが、先ず何よりも、その対象となる場の空気を肌で感じ、なんとかしてその国の人びとに思いを寄せるということも大切にしなければならない。もっとも、国家平和発展評議会(SPDC)のタンシュエ議長が絶対的な権力を握る軍事政権国家において、ビルマ国内を移動する際は、我が身の安全を含めて現地の人にいかに迷惑を及ぼさないか、それが一番の気がかりであった。
   カチン州の山中では、車の走る道は整備されておらず、移動はもっぱら徒歩だけであった。往復34日間も歩き続けなければ到達できない村々があった。完全に現代という時代から取り残されている人びとがそこにいた。政治体制による制約から、日本や他の東南アジア諸国では想像できない現状がまだまだある。
 また、移動や通信手段が制限されているビルマの都市部において、そこに住む人びとは、身の回りの生活状況は理解できるが、隣の州や管区に住む人びとの暮らし、あるいは異なった民族の生活を想像できる状況にはない。人間同士が顔をつきあわせ、直接言葉をかわす交流がないために、自ずと噂と偏見、或いは一方的な思いこみがまかり通る現実もある。
 カレン州の山中に「国内避難民」を探し求めた時、数十万人というカレン人が逃げ隠れているという現実を理解できなかった。どうしてそういう状況が存在することが可能なのか。国際的な指標を見ると、確かに、都市部では経済的に貧しい。だが、消費物資が不足しているという地方では、贅沢さえしなければ食べ物には困らない。多くの人間を養っていくだけの豊かな自然と農業がそこにはあるからだ。極端な飢餓は見られない。人びとの食欲に応えることのできる生活が地方にはある。
 ビルマでは、働いて、食べて、寝るという「素朴」な生活がずっと続いている。私がビルマを初めて訪れた1993年から、その暮らしはほとんど変わっていないように思える。93年当時の実質為替レートは、1米ドルが100K(チャット)であった。今は貨幣の価値は、1200Kまで下落している。経済的には外国と繋がっているが、その繋がりはどこかで切断されてしまって、国内の人びとの経済生活には直接大きな影響はない。また、日常生活もほとんど変わっていない。日々の暮らしに大きな影響を及ぼす停電は相変わらず多い。ラングーン(ヤンゴン)と新首都ネピドーを結ぶ道路や一部の幹線道路を除いて、悪路の状況はそのままである。
 信頼に足る電気事情と交通手段が確保されなければ、国内経済の発展はそれほど多くは望めない。だが、SPDCは国民に、食べることだけを約束し、隣国タイと肩を並べるまでとはいわないが、そこそこの消費生活を国民には認めるような態度を取るようにも見えない。
 たとえば、2005年度の電力エネルギー別の発電量を見てみると、水力発電は46%、天然ガス発電は45%である。水力発電は大いに期待できる。実際のところ、「ミャンマーの理論的な包蔵水力は東南アジアで最大だといわれる。」と指摘されている。だが、その発電能力は十分に有効利用されていない。発電所の建設は今、北の巨人・中国の力を借りて徐々に進めているのも現状だ。
 いつ、経済的に破綻をきたしてもおかしくなかったビルマだが、偶然にも、アンダマン海からの天然ガスをタイに輸出することでなんとか持ちこたえることができた。さらに、ビルマの西、バングラディシュ沖に大規模な天然ガス油田が発見されることで、今の軍事政権は経済的な心配をする必要がなくなったといわれる。偶然がビルマを救っている。
 1988年の大規模な民主化デモ後、ビルマの経済は自由化へと進み始めた。それを境に徐々に芽を吹き始めた民間企業の成長、特に縫製業はビルマ経済の推進役にもなり得た。だが、民主化指導者アウンサンスーチー氏への自宅軟禁を続けるビルマ軍政へ圧力をかける意図だった欧米諸国の経済制裁、特に米国による禁輸措置は縫製産業の勢いを完全に潰してしまった。もちろん、ビルマの経済的な貧しさの原因は、ビルマ軍事政権による一貫性のない経済政策やその運営にある。だが、経済制裁の影響を受けるのは一般の国民である。
 1988年の翌年、中国で「天安門事件」が起こり、ビルマの民主化デモは忘れ去られた。2008年5月2日のサイクロン「ナルギス」の被害の続報も、10日後に中国・四川大地震の影に隠れてしまった。ここでも偶然、ビルマは世界の注目から逸れてしまった。 
 ビルマの市民はじっと耐えている。それも時には限界がある。軍政の経済政策のツケが直接、人びとの暮らしに影響を及ぼすと、都市の住民は喰えなくなり、拳をあげて政府に対して抗議の声を上げる。いつも生活の苦しさから始まる抗議デモだ。だが、最終的には国民のことを考えない軍政に対しての憤りへと繋がっていく。2007年8月に始まり、9月に武力で抑え込まれたデモもそうであった。治安を乱したという理由で、デモの参加者に対して、禁固65年という刑が言い渡された。まともな生活をしたいというデモで、人生の大半を囚われの身として過ごさざるをえなくなった。

 旧首都ラングーン(ヤンゴン)で、日本からの旅行者と話をする機会があった。80歳を越える老人は、兄をインパール作戦で失ったという。今も遺骨収集団に参加している。ビルマの人には迷惑をかけたという思いで、なんとか現地の人に恩返しができないかともいう。
 「貧しいビルマに来ていつも感じるのですよ。今のビルマは昔の日本みたいです。みんな手を携えて頑張って、欲しいです」
 また、23歳の若者から、同じことを聞いたことがある。
 「今のミャンマーは、戦争直後の日本のようです。なんだか懐かしさを感じます」
 60歳近くも年齢が離れた日本の人がビルマに対して同じような感覚を持っていることに驚いた。今、そこに暮らしているビルマ人を直視することなく、幻想として作り上げられたビルマ像が日本の人の頭の中を支配しているようだ。ビルマという国に郷愁を感じることはあっても、そこに暮らす人に対してはそれほど関心はないのだろうか。
 偶然に左右されて、ビルマ軍事政権は生き残っている。日本は2010年から、「ミャンマー国籍」のカレン人難民を受け入れることを決定した注1。日本におけるビルマ理解が深まらないところでの難民の受け入れは、難民当事者は救いになるだろう。だが、日本側はそのことによって果たしてどう評価されるのだろうか。

注1.日本政府は、2008年12月16日の閣議で「第三国定住制度の導入」を了解。

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