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国際人権ひろば No.80(2008年07月発行号)

人権さまざま

前を向いて歩こう

白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪 所長

 去る6月5日、大阪府が財政再建プログラム案を公表した。予想通りで驚かない。私がこの拙文を書いているのはそのあとである。

  7月に予定されている大阪府議会での予算案の承認を待つことなく、府のヒューライツ大阪に対する補助金は2008年度2割削減、2009年度からは廃止、それに加えて、府からの派遣職員は引上げということが事実上確定した。ヒューライツ大阪支援を打ち切る理由として、財政再建プログラム案は4月11日のプロジェクトチーム試案と同様に、「研究成果に対しては、国際的に一定の評価を得ているが、府民・企業に対して研究成果が十分に還元されておらず、府が法人運営に関与する必要性は高くないため撤退する」とした。

 大阪府と同じ条件でヒューライツ大阪に補助金と派遣職員を出す大阪市は、当初から支援は大阪府、大阪市で同等の分担をするという合意があったために、府が事業支援から撤退すれば、市としてもそれに合わせざるを得ないという。しかし同時に、大阪市は、決してヒューライツ大阪の存在意義を否定するものではない、むしろその国際貢献を高く評価しているともいう。そこまで気を使っていただかなくてもよい。「市に、ヒューライツ大阪の面倒をみる余裕はありません」と切られるほうがすっきりしている。大阪府の動きを願ってもない支援廃止の好機ととらえたか。大阪市は、独自の考えを持たない。

 いずれにしても、大阪府、大阪市のヒューライツ大阪に対する関与はなくなると考えてよい。 

 ヒューライツ大阪では、この間、成り行きを座視していたわけではない。ヒューライツ大阪への支援継続を大阪府知事に訴え、府改革プロジェクトチーム試案の変更を求めて説得材料を提供した。ヒューライツ大阪に対する公的支援の継続が、国際的にみても国内的にみても大阪府にとっていかに有益であり大切であるかを訴えたつもりである。また、これまでヒューライツ大阪の活動にかかわり、ヒューライツ大阪を評価してくれる方々が、「ヒューライツ大阪への支援継続を求めるファックス送付のキャンペーン~大阪の『国際人権情報の交流拠点』をつぶさないために~」をおこし、これに応えて内外から、大阪府知事に対する支援継続の要請が100通以上送られた。(「国際人権ひろば」No.79, 21ページ)

 この間、ヒューライツ大阪に対する批判も聞かれた。いわく、これまでの14年間広くヒューライツ大阪を知ってもらう努力を怠ってきた。また、補助金漬けで問題意識も緊張感もないままやってきたのではとも言われた。確かに反省すべきことではある。しかしこれらは、ことの本質ではない。

 このたびの公的関与の打ち切りにはどのような判断があるのか。ヒューライツ大阪の存在意義もその掲げる目標の重要性も認めないということなのか。ヒューライツ大阪の目標とは、大まかにいえば、国際社会、特にアジア太平洋地域の人権保護促進に貢献することと、日本国内、特に大阪で国際人権の理解と啓発に努めることである。この目標の大切さは認めても、ヒューライツ大阪がその実現のためにいい仕事をしてきたとは認めない、だからもう関わる必要を認めないということなのか。

 このようなことに考えを巡らしていてふと、「今の日本社会では、人権、国際人権そのものが理解されていないのでは」という疑念がわいた。盛んに語られながら理解されていない人権。日本国憲法で保障された人権があるのに、どうして国際人権を語る必要があるのか。人権の基本に関わる問いかけである。これに対する答えを持たないで人権の仕事はできない。

 行政が人権に関わるとき、人権はその本来の意味を失う危険がある。人権は、弱い立場にあるものが強い者や権力に対して自らを護るために抵抗し、要求するとき、その拠り所となる。そのために人権行政は、国にとっても行政にとっても危険をはらんでいる。権力に立ち向かう者を支える人権でもある。人権意識の高い市民を育てれば、その市民に監視される行政である。それだけの理解も覚悟もないままに人権行政を掲げるのは、その時々の流れにしたがっていただけ、口先だけの「人権行政」。人権の仕事は、効率を求めることでも、「人を大切にする」ことを否定する世論の流れに迎合することでもない。行政にもの申すことのない人権、市民の間の関係をとりもつだけの人権、思いやりと心の大切さを説くだけの人権は、人権の脱け殻ではないか。「目黒のさんま」という落語にでてくるまずいさんまである。周りが殿様の健康を心配し、蒸して脂抜きをしたあのさんま。目黒で食べたさんまの本当の味が忘れられない殿様は、「さんまは目黒にかぎる」とのたまう。人権も「脂抜き」をしてはならない。

 さて、これからのヒューライツ大阪はどうなるのか。基金を取り崩しながらの事業継続、場所の移転などによる事務経費と事業経費の大幅な節約はもちろんのこと、事業のすすめ方もこれまでの反省と根本的な見直し、そして長期的な計画が必要である。大阪府、大阪市が公的関与を必要と考えないヒューライツ大阪は、もはやこれまでと同じヒューライツ大阪ではありえない。

 目先の利益ではなく、本当に役に立つ人権情報とサービスを、それを必要とする人々のもとに届けること。そのために社会の必要を察知する鋭い感覚を常に持ち続けること。どれをとっても、易しいことではない。しかしこれは、ヒューライツ大阪が直ちに取り組むべき課題である。今の困難な時を、ヒューライツ大阪の変革と再生のための好機ととらえたい。前を向いて歩こう。