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国際人権ひろば No.80(2008年07月発行号)

特集・発効した障害者権利条約 Part 1

「障害のある人の権利に関する条約」の批准に向けた課題

東 俊裕(ひがし としひろ) 弁護士

はじめに


 2001年12月メキシコ政府の提案を契機に2002年から2006年まで8回の特別委員会の審議を経て、2006年12月13日、第61回国連総会本会議において採択されていた障害のある人の権利に関する条約が2008年5月3日に発効した。
 条約発効に伴い、現在、条約第34条に基づく「障害のある人の権利に関する委員会」の設置に向けた手続きが進行中である。日本政府は2007年9月28日(現地時間)高村正彦外務大臣により条約に対する署名を済ませてはいるが、現在のところ批准の目処は立っていない。

条約上の実施義務と批准


 言うまでもなく、この条約を批准した締約国は条約に定められた義務を履行しなければならない。この条約においては、自由権に属する権利は即時的な実施義務、社会権に関しては漸進的な実施義務という自由権と社会権の2分論を前提とした従来の実施枠組を前提としながらも、「この条約に含まれる義務であって、国際法に基づいて即時的に適用可能なものに影響を及ぼすものではない」として、社会権に属する権利であっても即時的実施義務が適用される場合があることを規定した(第4条2項但書)。これは、この条約の各論における実体的な権利の構成として、2分論的な構成というより、むしろ両者の「不可分性、相互依存性、相互関係性(前文C)」に着目し、自由権と社会権の複合的な権利として構成してあることの反映であろうと思われる。
このような実施義務を前提として、日本国は如何にこの条約を批准すべきであろうか。一般的に言えば、必要とされる国内法制度を準備した後に批准するやり方と、批准後速やかに整備するやり方があろうが、即時的実施という側面の重要性を考えると、国内法の整備を終えた上で批准するのが法的整合性を担保する上で望ましいことである。
 とすると、早急に着手すべきは、日本において何が「この条約において認められる権利を実施するため」に必要な「立法措置、行政措置、その他の措置(第4条1項a)」であり、何が「修正し又は廃止」すべき「障害のある人に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行(同項b)」であるかを確定し、実際にその作業に取り組むことである。

条約の概要と新しい考え方


 この条約は条約本体と個人通報制度等を定める選択議定書の二本からなる。条約本体は前文と50箇条より構成されている。1条から9条までが総則規定であり、10条から30条までが各則規定である。31条から40条までが国内、国際モニタリング、国際協力などの条約の実施措置に関するもので、それ以降が批准や効力発生等に関連する規定である。
この条約が描く社会のあり方を一言で言えば、障害のある人を排除しない平等な社会(インクルーシブな社会)であると言える。これまでの社会は、権利の享有において障壁となるものや格差といったものを作出し或いは放置してきた。そこで、この条約は、既存の人権条約があまり機能しなかった現実を踏まえ、これらの格差や障壁を除去して実質的な機会の均等を図るために、新しい概念を取り込んだのである。むろん、新しい概念とは言っても、一般に認められる以上の特別の権利を創設したものではない。
主だったものを拾い上げると、機能障害等を障害概念の基底からはずして社会との関係から障害を捉える考え方を認知したこと、障害に基づく差別を正面から禁止し、さらに、合理的配慮を提供しないことも差別であるとし、労働、教育の他、あらゆる場面において合理的配慮の提供が求められたこと、手話を言語として認知したこと、建物、交通、情報、サービスに対するアクセシビリティが全ての権利行使の基礎として確認されたこと、法的能力が認められ、また、強制施設収容が改めて問題とされたこと、司法へのアクセスにおいて手続き上の配慮が求められたこと、一般的には権利として確認するまでもなかった地域社会で生活する平等な権利が明文で認められたこと、教育において共に学び合うインクルーシブ教育が原則となったことなど、その他にも大きな意義を有する条項が設けられた。

日本の福祉法体系の特色


 かようなこの条約から、日本の障害のある人に関連する法律、特に福祉関連法を眺めてみると、そこに見えてくる特色は、保護的色彩が強い反面、権利性が弱いこと、ないしは、自由権を侵しかねない社会的隔離性の強さである。それに引きかえ、差別を禁止したり、権利を守る法体系はほとんど発達していない立法の偏頗性である。
 例えば、法的能力を制限する成年後見法、隔離収容を是認する精神保健福祉法や医療観察法、分離教育を原則とする学校教育法施行令、新たな社会的隔離や差別的運用を是認する雇用促進法、障害のある人の存在を想定していない訴訟法、都市と農村の利用格差を是認するようなバリアフリー新法、障害の概念を狭く位置づける障害者基本法やその他の法律、施設処遇を未だに大きな柱に据え、極めて不十分なサービスしか提供できない障害者自立支援法など、日本の既存の法律は、何らかの問題点を抱えているものから、ほとんど基本から見直すことが必要なものまで、多岐にわたる問題点を抱えている。批准するに当たっては、これらの改廃がなされるべきである。

差別禁止法の制定


 さらに、最も大きな課題は、差別を禁止する法律の制定である。2001年国連の経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会は、日本政府の報告に対する最終見解の中で「障害者に関連するあらゆる種類の差別を禁止する法律を制定すること」を勧告している。しかし、日本政府は、障害者基本法に差別禁止の理念を挿入したのみで、実効性のある禁止法を制定しようとはしていない。そもそも、差別しないということは、社会の最低限のルールである。しかし、何が差別であるのかについての「物差し」がない日本では、その判断が思いやりとか良心という道徳規範に委ねられている。誰しも差別は悪いことだとは思っていても、具体的に何が差別に該当するかの判断基準をもっていない。これでは、差別がなくなることはあり得ない。千葉県が差別を無くすために「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」を作る際に「障害者差別に当たると思われる事例」を募集したところ約800件の事例が寄せられた。差別の問題として解決されず、多くの事例が誰に相談しようもなく放置されたままになっている実態が浮き彫りになっている。
このように差別禁止の理念だけでは、具体的な行動規範たり得ない。あたかも、道路交通法を設けずに、経験と理性だけで安全運転しなさいと言わんばかりである。セクハラ被害は古今東西昔から存在した。しかし法律化することで、社会のルールとして認知され定着したのである。差別禁止法は処罰を目的とするものではない。まずは、具体的に何が差別であり、合理的配慮であるのかを示す「物差し」を提供し、ルールを明確化することである。従って、差別禁止法を制定することなくして条約を実施することはできない。
 すでに、多くの英米法系の国家では差別禁止法が制定されており、日本と同じ大陸法系の韓国でも 2007年3月禁止法が制定された。日本国内でも千葉県で差別禁止条例が制定され、その動きは着実に広がりつつある。日本政府は早急に立法作業に着手すべきである。

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