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国際人権ひろば No.79(2008年05月発行号)

特集・加速化するモノ・カネ・ヒトのグローバルな越境を考える Part 1

輸入に依存する食べ物からグローバル化を考える

神田 浩史(かんだ ひろし) NPO法人 AMネット

 日本ではあまり報じられないが、世界各地で食べ物を巡る緊張が高まっている。フィリピンでは米不足からデモが頻発し、中米のハイチでは食べ物の高騰、不足から暴動が起こっている。エジプトやセネガル、コートジボアール、カメルーン、ブルキナファソといったアフリカの国々でも、食べ物の高騰、不足を理由に、騒乱が続いている。
 アメリカの穀倉地帯での生産減退、オーストラリアでの不作といった、主な食料輸出国における生産の問題、中国に代表される新興経済大国における産業構造の転換、肉食の増大による消費の問題により、じわじわと穀物価格は上昇していた。また、ブラジル、インド、アメリカなどでのバイオエタノールへの穀物利用が価格上昇に拍車をかけ、原油価格の高騰による輸送コストの増大が、さらに穀物価格を押し上げる要因となっている。
 食料自給率がわずか39%と、食料の対外依存度が極めて高い日本にとって、こういった食料を巡る環境の変化にはもっと敏感になる必要がある。私たちの食料が将来にわたって安定供給されるかという食料安全保障の観点だけでなく、飢餓と飽食が併存する今日の地球社会において、日本社会の飽食が、どのように世界の飢餓とつながっているのかについても、きちんと認識し、改善に向けて行動することが求められる。

深刻な世界の飢餓問題


 世界には依然として8億人を超える飢餓人口が存在する。地球上には約90億人分の穀物生産がありながら、 65億人の人口が養えない。90億人分の穀物といっても、それは「直接、人間が口にすれば」という条件付である。多くの穀物が牛、豚、鶏といった家畜の飼料に回される。そうすると、100グラムの牛肉を得るには約10倍のトウモロコシが、豚肉の場合は約6倍、鶏肉の場合でも約3倍の穀物が必要となる。したがって、肉食が増加すると大量の穀物が消費される。欧米や日本では、直接消費する穀物よりも、こういった間接消費する穀物の方が分量が多くなる。また、中国はかつて穀物輸出国であったのが、今では肉食の増大、農業の衰退に伴って、穀物輸入国となっている。
 「直接、人間が口に」しない穀物としては、ブラジル、インドなどで広がり、アメリカ合州国も力を入れているバイオエタノールの原料もある。地球環境問題に貢献すると喧伝されて広められているバイオエタノールだが、実際には、穀物からエタノールを抽出する際に多量のエネルギーを必要とし、原料となる穀物の生育段階での二酸化炭素吸収量を上回ってしまう。多くの人が飢えているのに、なぜ、自動車に穀物を消費させるのかという、ごくもっともな疑問とともに、再考すべき時期にきている。  グローバル化の進展は、多くのモノを商品化してきた。食料も商品として扱われるようになって久しく、世界のあらゆるところで自給農が崩壊し、商品作物の生産を余儀なくされてきた。商品作物を主に生産する農家は、国内の同種の農家との競争にさらされるだけでなく、世界の同種の農家との競争にさらされることになる。競争に敗れた農家は土地を離れざるを得ず、都市のスラムへと吸収され、皮肉にも飢餓予備軍となっていってしまう。国連は2000年に打ち出したミレニアム開発目標(MDGs)の中に、2015年までの飢餓人口比率の半減を謳っているが、このような悪循環で飢餓予備軍が形成されていくために、目標達成は厳しい。

食料の「自由」貿易とは?


 1995年にあらゆるモノの貿易自由化を促進させる世界貿易機関(WTO)が発足してから丸12年が経過した。前身のGATT(関税と貿易に関する一般協定)時代には食料などの農産物は自由化の対象外となっていたものを、WTOでは他のモノと同様に自由化の対象とした。その根本原理として、コストのより低いところで生産されることが経済の最大化には好ましいという水平分業論がある。これを受けて、日本のような農業の生産コストの高い国では農業をやめて、生産コストの安い国から輸入すれば良い、という考え方が、日本社会には蔓延してしまっている。さらには、日本が食料輸入を増大させることは、農産物しか輸出するモノがない"貧しい国"を救うことになる、といった論が、さももっともらしく独り歩きしている。
 まずは誤解を解く必要がある。世界の主な食料輸出国は、「先進国」と「中進国」と呼ばれる国々に限られており、「後発開発途上国」と呼ばれる経済力の弱い国々のほとんどは食料輸入国である。したがって、日本のような経済大国が今以上に食料を輸入すると、こういった輸入食料に頼っている「後発開発途上国」で食料が逼迫し、飢餓人口が増大する恐れが強い。1994年に前年の米の不作を受けて日本が米を緊急輸入した際に、フィリピンなどの米輸入国で米不足による騒動が勃発し、段々に経済力の弱い国にしわ寄せが行き、その影響がセネガルにまで及んだ、という経験を過去にしている。
 もう一つ、農業生産は土壌と水、気象条件に大きく左右される。単純に生産コストが低いからと言って農業適地であるとは限らない。実際に、利水条件が悪いところで農業生産を行うことで、逆に生産効率が低下し、水収支も悪化した例が、世界中至る所にある。地域特性が非常に強い農業を工業と同等に扱うこと自体に、そもそも無理がある。また、地域特性が強いということは、地域の自然環境や文化と密接に関係しており、その変容や崩壊は地域社会に多大な影響を与えることとなってしまうことも勘案しなければならない。
 元来、市場原理は生産の最大化をもたらすだけでなく、公正な市場において分配が最適化されるという理由で広げられてきた。ところが、現在は、その分配機能の不公正な側面ばかりが目立つようになってきている。貿易に徹底した市場原理を貫徹するという触れ込みで発足したWTOだが、そのルールの下で農業貿易を推進してきた結果、依然として深刻な飢餓と飽食が併存するということ自体、WTOが標榜する市場原理には公正な分配機能は具わっていない証左と言える。

食料主権を原理とする農業政策、貿易政策を


 海外の食料に大きく依存している日本社会は、一方では世界の飢餓に対して大きな責任を負いながら、他方では自国の農業を崩壊へと導き、農業を基盤とした地域社会を大きく変容させてしまっている。グローバル化とは、こういったことが同時に起こることで、まずは足下の事象と世界の事象とのつながりを知ることから始める必要がある。グローバルに考え、ローカルに行動する。ただ、それだけでは不十分な点もあり、日本の地域社会の変容からグローバルな政策の課題を論じるといった、ローカルに考え、グローバルに行動することも重要である。
 食料は言うまでもなく生命の基礎であり、基本的人権である。生命の維持に必要最小限の食料を"生存相当量"とし、余剰の食料を貿易対象とする、というように、貿易政策を転換する。"生存相当量"の確保については、各地域の農民の主権をもとに、すなわち、食料主権を原則として地域ごと、当座は国ごとに行っていく。食料問題を改善するための方策を立てることは、行き過ぎた経済のグローバル化に棹差すことにもつながっていく。人権の見地から、待ったなしで取り組まなければならない課題である。

経済のグローバリゼーションの影の部分に目を向け、持続可能な社会を目指して政策提言などを行っているNGO。大阪市北区に事務局。(http://www1m.mesh.ne.jp/~apec-ngo/