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国際人権ひろば No.76(2007年11月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

日本とインドの付き合い方~現状と今後の展望

アディティヤ・クマル
 (株)サビ・インフォテック ビジネスマネージャー大阪大学言語社会研究科 博士後期課程在籍

■ インド人ITエンジニアの増加


  日本に滞在するインド人と言えば、インド料理のレストラン経営者や料理人、または留学生という立場の層が多かったように思う。しかしながらここ十数年のうちに、その内訳には変化が生じつつあるように見受けられる。近年、日本へやって来るインド人には、かつてのような料理人や留学生に加えて、ITエンジニアも多く含まれるようになってきているのである。これは単なる時代の変遷として片付けてしまうこともできるが、ある時期までと比較して流入する人の層が変化しているということは、やはりそれに付随して、多かれ少なかれ何らかの社会的な変容を起こすことも意味するのではないかと考える。
 私自身も、去年まで日本の大学院で学んでいたが、今年の春からはインド人の経営するITソフトウェア開発の会社に勤務し、同胞のインド人のITエンジニアを同僚として多く持つようになった。最近ではそんな仲間を見、また様々な話を聞くうちに、現在日本に滞在しITエンジニアとして活躍している彼らの現状を考えさせられることがある。そしてそれは、私独自の視点ではあるものの、今後インド人が、日本においてどうすればより良くお互いの発展に貢献していけるのかについても考察する機会ともなっている。以下からは、私自身の体験と、私のインド人仲間の実際の声を基に、我々がリアルタイムに感じている不安要素を挙げ、私なりに思うところの打開策を提示していきたい。

■ インド人家族の最初の障害


 日本に住むインド人ITエンジニアの抱える具体的な問題を挙げる前に強調しておかなければならない点がある。それは、これまで主流となっていたインド人の来日目的は、単身で来日し、レストラン経営や料理人の仕事で集中的に経済的な蓄えをし、できるだけ早い段階でインドの家族の元へ帰国するというものであったような印象を持つ。しかし最近日本で見かけるインド人ITエンジニア達は逆に、日本にある会社での長期間の雇用を望み、できるだけ早い段階でインドに住む家族を日本へ呼び寄せて、共にできる限り長く住みたいと望む傾向にあると思う。実際に、私も去年の秋から妹を呼び寄せて一緒に住み始めたし、会社の同僚の殆どが、妻や子どもを日本へ呼び寄せ日本で暮らしているケースが多い。
 ここで生じてきた問題の一つが、インドから呼び寄せた家族の日本社会への適応の問題である。ここで、当初インドから来日した当事者自身の日本社会への適応の問題ではなく、その家族の適応を指摘したのには理由がある。と言うのも、当事者は、そもそも日本へ来る明確な目標があり、今回取り上げている点から言えばそれは日本の会社に勤めることである。よって本人は否が応でも日本人と接することとなり適応の機会を得る。また中には、日本社会に慣れるうちに衣食住の習慣にもすっかり溶け込んでしまう、ということもよくあるのである。しかしながら、その家族についても同じように語ることは難しい。私の妹サラスワティーもその問題を抱えた者の一人と言える。当然のことながらインドと日本の間にも、衣食住にまつわる面で大きな違いが幾つもある。インドの田舎で20年間暮らしてきた妹は、生まれた時からベジタリアンとして育っており、動物性蛋白質を摂らないということは彼女の中で当然のことだった。しかし日本へ来てみれば、調味料レベルまで考慮した場合、逆に肉類の含まれていない食べ物を探す方が困難なのである。まただからと言ってインドで普段食べていたものを日本で作ってみようとしても、今度は食材を揃えることが難しい。人間にとって食事をとることは一番基本的な行為であるゆえに、日本社会に馴染んでいないインド人家族はまずこの障害に立ち向かわなければならなくなるのである。
 このような文化の違いによる弊害は他にも、振る舞いや仕草、コミュニケーションの取り方などにも複合的に現れるため、目を瞑ったままでいると問題がこじれ、精神的に大きなダメージを被ることにもなりかねない。妹は兄の私に心配をかけまいと悩みを打ち明けることができなかったため、遂に病院で治療を受けなければならない程の精神的苦しみを背負うことになってしまったくらいである。幸い、私が来日してから親切にして頂いていた日本人家族に助けを受けることができ、彼女は日常生活に戻ることができるようになった。

■ 子どもの教育の問題


 日本に住むインド人ITエンジニアの家族が抱えるもう一つの問題は、子どもの教育の問題である。特に就学前の子どもがいる場合は、子どもの将来の選択肢をどのように残しておけば良いかという点が問題になる。つまり子ども自身が将来も日本に留まりたいのか、それともインドに戻りたいのかは、その子どもが幼い段階ではまだ決めかねるにもかかわらず、選択肢によって携わる教育が大きく変わってしまうのである。というのも、日本とインドの教育制度やカリキュラムには違いがあり使用言語も異なるため、日本で生活していくならばもちろん日本で小学校から学ぶ方が良く、将来インドで良い仕事を見つけたいならばインド式の教育制度に則って学ぶ方が良い場合が多いからである。よってこれは子どもが幼い段階で大きな選択問題となり、極端な場合は子どもだけが日本の親元を離れ、インドの親戚を頼ってインドの学校に通うという、家族の分裂にも発展しかねない要因を孕んでいるのである。

■ 医療サポートの必要


 3つ目の問題点は、医療面のサポートの問題である。エンジニア自身も、何らかの怪我を負ったり急な病気にかかったりして日本の病院で治療を受ける必要が生じ得る。その場合、まだ日本へ来て日が浅いうちは医療関係の専門的な日本語が上手く理解できないという点で障害が発生するかもしれない。そして更には、日本の社会にまだ馴れておらず、日本語も殆ど話すことのできない家族が病院にかかる場合には、もっと問題が大きくなる場合がある。配偶者や親の立場であるエンジニア自身は、通訳などのために付き添いたいと思うかもしれないが、会社との契約条件によってはそれが可能とならない場合も多い。実際に私も、妹が体調を崩して入院した時、彼女に付き添い通訳する状況に立たされた。しかしながら会社を休むことのできる日数には当然限りがあり、また会社に迷惑をかけることも気に掛かっていたため、結局それまで勤めていた日本の企業を辞職することにした。そして2ヶ月間妹の看病に専念したのである。現在は妹もすっかり良くなり、私も再び就職先が見つかったため一件落着といったところであるが、一時は家族の病気の心配と経済的な不安とが重なって本当に苦しかったことを覚えている。

■ 理想のグローバル国家にむけて


 上述した、日本に住むインド人ITエンジニアの抱える3つの問題点は、どれも近年日本に流入しているインド人の職業層に変化が生じ、彼らが日本で家族と共に長期滞在する必要が生じたがゆえに発生しているものばかりである。しかしながら、日本とインドの双方の発展を考えると、この流入の傾向は受け入れるべき新しい流れなのかもしれない。
 よって、この傾向が今後更に色濃くなっていく前に、日本へ来るインド人と受け入れる日本人の双方の意識の調整と、制度面でのより良い変革が期待されてやまない。例えば、民間レベルで可能な取り組みとしては、インド人を含め世界中に存在するベジタリアンや、他に食に関する特殊な条件を持つ者向けに、食品店の品揃えを充実させることが出来るかもしれないし、レストランでもそれに対応したメニューを増やすことができるかもしれない。そして日本で長期滞在するインド人やその家族が、できるだけ早く日本の文化やコミュニケーションの習慣に順応できるよう、町内会などで相互の文化交流なども企画できるかもしれない。二番目の問題点として挙げた教育制度に関しては、インターナショナルスクールの充実や公立学校での外国人の受け入れを柔軟にすること、日本の学校とインドの学校での履修単位の相互認定など、長期的な視野から見て全く策が無いわけではない。そして、三番目の問題点として挙げた医療面でのサポートについては、家族が病院での長期療養が必要になった場合、雇用者側には社員が家族を十分に世話できるだけの何らかの対応が求められるかもしれない。この点では民間の取り組みの方が進んでいる。日本に住む外国人のために、民間レベルで言語面の医療サポートチームが結成されている地域があるのだ。現在、私自身もそのようチームを少しばかり手伝っているが、このような医療サポートチームは殆どボランティアの状態で活動をしているため、今後は行政からの援助も期待しつつ、このような取り組みがより良く発展していくよう願う。
 とは言うものの、日本で仕事を請け負う側である私達インド人も、やはりインドで生活している時とは違った意識をきちんと持っておくべきである。そして、逆に、インドに長期滞在する日本人も増加している今、インド側でも受け入れ体制を整えていく必要があると言える。今年は日本とインドの友好年であることから、両国の関係を考える機会も多いが、今後もっともっと日本とインドが互いに協力し合い、日本が国際的に見ても理想のグローバル国家となり、他の国々の良きモデルとなっていくことができるよう、心から期待しているし、私自身も引き続き、自分にできる形でそれに貢献していきたい。