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シネマと人権26 : 私は世界を変えに行く-「女性の休日」

小山 帥人(こやま おさひと)
ジャーナリスト

 アイスランドは北極圏にある北海道ほどの大きさの島で、人口は38万人。氷と溶岩の島と言われる小さい国だが、「ジェンダーギャップ指数」では16年連続世界1となっている。(日本は、2025年118位)
 アイスランドも元々は男性優位の国で、国会議員の女性比率も以前は5%程度だったという。ではその国がどうして男女平等に一番近い国になったのか、その一つの節目である「女性の休日」が、アーカイブ映像と魅力的なイラストを加えてドキュメンタリー映画になった。

ミスコンテストに牝牛を
 話は1970年代にさかのぼる。アイスランドの女性の状況は日本と変わらなかった。男女の賃金格差が大きく、女は船の船長になることができず、農園主のサークルにも入れなかった。家事、育児はほとんど女性が担っていた。
 こうした状況を変えようとする強い意志を持つ女性たちのグループがあった。「赤いストッキング」である。彼女たちが目をつけたのは、美女コンテストである。容姿やサイズを重視するなら、家畜の品評会と同じだとして、ミスの会場に牝牛を持ち込んだのだ。結局、ミスコンテストは中止になり、以後、開かれないことになる。

「国際婦人年」に女性のストライキ
 1975年は「国際婦人年」、世界中で男女平等を訴える行動が展開された。この年、アイスランドの女性たちは、女性だけの会議で、1日ストライキを提案する。仕事だけではなく、家事も放棄するという提案だ。右派の女性グループは「ストライキは共産主義者みたいで、参加できない」と反対した。そこで妥協案として出たのが「オフ」つまり「女性の休日」だった。マイルド過ぎるのでは、という不満もあったが、これであらゆる女性グループが参加する基盤ができた。
 男たちは抵抗し、「女性を外に出さないのは、敬まっているからだ」と言う。でもそんな理屈に、女性たちは耳を貸さない。
 1975年10月24日、女性たちは職場を放棄し、集会とデモに参加した。溶岩が流れるようなデモ、と彼女らは形容する。銀行も閉まり、新聞も止まる勢いだったが、記事で大きく女性の休日を掲載するということで、発行に協力した。小さな子どもは、夫の職場に運び、男たちに託した。「私は世界を変えに行く」と。テレビ局では、女性たちが連れてきた子どもたちの扱いに困り、男たちはアニメを見せて、テレビ保育をした。

90%の女性が参加
 この「女性の休日」に参加したのは、アイスランドの女性の90%というから驚く。女性3人が乗り込んだ船では、男性のための食事作りなどの仕事を放棄し、全体集会に連帯の電報を打った。運動を成功した女性たちの顔は輝いている。
 この集会で演説した女性はのちに大統領になった。今では、首相も大統領も女性だ。国会議員の数も女性が半数だ。
 1975年、日本でも男女平等の運動が展開された。市川房枝さんたちがNHKと交渉し、ニュースを女性アナウンサーにも読ませるように説き伏せた。NHKは女性には無理だとして拒否したが、今では女性アナウンサーがニュースキャスターを務めるようになっている。
 男女機会均等法が作られ、各地に女性会館ができた。しかし、男たちによるバックラッシュもあり、ジェンダー平等は足踏みし、いまだに世界の後塵を拝している。
「女性の休日」から学ぶことは多い。

女性の休日_main.jpg

© 2024 Other Noises and Krumma Films.

<女性の休日>
監督:パメラ・ホーガン
2024年/アイスランド・アメリカ
ドキュメンタリー/1時間11 分
提供・配給:kinologue
10月25日(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー
https://kinologue.com/wdayoff/

(2025年10月06日 掲載)