肌で感じたヨーロッパ
2026年1月から4月まで、筆者はアテネの移民・難民支援NGO「Glocal Roots」で、難民が制作した手工芸品販売プロジェクトのインターンとして活動に携わり、初めてギリシャを訪れた。滞在初日の到着は21時を過ぎており、バスで空港からアパートまで移動する間は、暗くて街の様子を十分にうかがうことはできなかったが、公園前のバス停で降車すると、そこには路上で夜を過ごしているとみられる数人の姿があった。アパートへ向かう道すがら、シリアやパレスチナ、クルド、エジプト、エチオピア、ジョージアなどに由来する料理店が軒を連ね、多くの人々が店を出入りし、外で話し込む様子もみられた。
滞在先はアテネ中心市街から二駅離れたビクトリア駅近くで、職場はGlocal Rootsが運営する「ビクトリア・コミュニティセンター」にあった。このエリアはギリシャに到着した難民や庇護希望者を含む移民が多く集まり、情報交換を行う場としてよく知られている。駅前の広場周辺では時折、警察が巡回し身元確認を行い、滞在許可を証明できない移民は拘束されていく。このように一見して緊張感の漂うビクトリア広場は、移民を管理しようとする国家と、それに抗する移民支援を行う草の根NGOの実践が交錯する場であり、特異な空間を形づくっている。本稿では、筆者が従事した草の根NGOの活動を中心に、ビクトリア・コミュニティセンターが国境を越えた連帯をいかに体現しているのかについて検討したい。
ビクトリア・コミュニティセンターは小さな3階建てのアパートである。1階はコーヒーやお茶が提供される「コーヒースペース」であり、主に男性が集まる場となっている。2階には「女性と子どものためのスペース」があり、おもちゃ部屋や裁縫室、ソファなど女性が安心してくつろげる空間が設けられている。オフィスは3階にあり、屋上にはテーブルや椅子が設置され、利用者に開放されている。建物内では英語・ギリシャ語教室、アート、ヨガなどのアクティビティが、1階と2階で日常的に実施されており、1日約300食の昼食や衣類、その他生活必需品が、寄付や外部団体の協力を得て提供されている。
建物内には、医者や弁護士、UNHCR地域事務所、難民の職業支援や住居探しを専門とする他の草の根NGOも常駐しており、困りごとがあれば誰でもこのセンターを訪れて相談できる。センターの1日の平均利用者数は250人以上で、特にシリア、アフガニスタン、スーダン、ソマリア、エジプトからやってきた人々が多い。なかにはアテネ郊外にある難民キャンプから半日かけてセンターを訪れる人もおり、毎朝、センターの運営開始時刻である10時半には、すでに通りが人で埋め尽くされている。
センターでは、利用者をIDカードやその他身元を確認する書類の有無によって区別することは一切しておらず、事務的な登録作業は、オムツや生理用品など、生活必需品の重複配布を避けるための必要最低項目(名前と出身国)に限られている。
Glocal Rootsはスイスの団体であり、2017年に創設された。創設者は2015年、エーゲ海北東部に位置し、トルコ沿岸との距離が約36kmのギリシャ・レスボス島で、トルコからボートでやってくる移民支援のボランティアを経験した。その際、国際組織による支援の遅さや官僚的な組織体制、すなわち、移民を「支援を受ける側」として固定化し、その主体性を損ないかねない「上から」の人道支援に問題意識を持つに至った。こうした経験から、より迅速で、コミュニティのニーズに現場から柔軟に応答できる草の根型支援の必要性を感じたという。
このような理念のもと、センターでは創設者を含む6名のスタッフと、主にヨーロッパ出身の学生を中心とした約15名のボランティアによって運営が行われているが、移民自身もまた重要な役割を担っている。例えば、理髪師としてセンターを訪れる人々の散髪を行ったり、衣類の修復や裾上げが必要な人々に対して、裁縫技術をもつ人が身振り手振りを交えながら助ける様子がみられる。さらに、衣類やおもちゃについても、外部団体からの提供に加え、コミュニティ内部での寄付や布の調達、裁縫が行われている。ここでは、金銭的な取引とは異なる、相互扶助の実践が機能しているといえる。
筆者は毎週火曜日、ボランティアとともに必要物資や昼食の配布、アクティビティの企画及び運営補助に関わり、他の曜日は難民認定を受けた女性の手工芸のスキルを活かしたリサイクル布使用のグッズ販売のサポートや、ファッション企業のCSR部門との連携に向けた商品カタログ製作、SNS運営を担当した。これらの製品(主にバッグや財布、髪飾りなど)は、難民女性の経済的自立を支える重要な取り組みであると同時に、倫理的な消費を促す実践でもある。このような活動は、企業との連携や商品開発の拡大を通じて、難民女性の収入源および支援資金の確保に寄与する取り組みとして、今後さらに広がることが期待されている。
このセンターでは、創設者の考えにも示されている通り、「支援する側」と「支援される側」の境界が時に非常に曖昧であった。状況に応じて、人々は自分にできることに基づいて役割を引き受け、その関係性は固定されたものではない。また、そこにいるだけで、いかなる違いがあれども空間に包摂されるような雰囲気があった。筆者は手芸が趣味であることを話すと、女性向けの二時間の編み物教室の開催と、新たな商品開発に向けた試作品の制作を任された。こうして2月以降は毎週教室を開くこととなった。
筆者が主催した毎週2時間の編み物教室
その中で親しくなった女性たちやその子どもたちもおり、スマホの翻訳機能を用いながら、互いの家族や今後の生活について話すようになった。印象的であったのは、多くの人々が子どもの教育や将来を見据え、ドイツ、オランダ、スイスなどへの移住を考えている点である。例えば、6歳ほどの少年が世界地図を指さしながら「アフガニスタン、トルコ、ギリシャ、パスポート(を取って)、ドイツ」と自らの移動の軌跡と目指す先を、断片的な英語で筆者に伝えたことがあった。またその母親も、ギリシャでは庇護申請中あるいは難民認定を受けた子どもに対して制度上は教育が保障されているものの、受け入れの遅さや言語の壁、統合プログラムへのアクセスの制約などにより、将来的な進学の見通しが立ちにくいと考え、より教育機会が開かれていると認識されるドイツへの移動を希望していた。この家族はパスポートが発給され次第、ドイツへ向かうとのことだった。
ふだんの日は、新たな編み物での作品が完成するたびに見せ合ったり、インターネットで見つけたバッグが手編みで再現可能かを皆で考えたりといった他愛ないやりとりが中心であった。そして時には、コーヒースペースに集う男性たちの穴の開いた作業着や、洋服の修復を一緒に行った。
このように状況に応じて柔軟に関係性や役割が変化する人びとの性格は、スタッフにも共通している。物腰の柔らかな人が多く、センターの入口付近や階段の踊り場、コーヒースペースなど、あらゆる場所でボランティアを含むコミュニティのメンバーに声をかけ、会話する姿が見られた。また、突発的なボランティア不足にもチーム内で役割を調整しながら対応し、どんな人からの改善提案にも耳を傾け、可能な限り実現しようとする姿勢があった。さらに日常業務からイベントの企画においても、限られた資源の中で工夫を重ね、試行錯誤を繰り返す様子が印象的であった。
以上のように、ビクトリア・コミュニティセンターには、マニュアルや固定的な立場と役割に縛られた官僚的組織とは対照的な、人間関係と組織運営のあり方が見られた。それは一言で言えば筆者にとって「しなやかさ」と表現できるものだった。この柔軟で開かれた関係性は、国境という障壁を越えて、スタッフ、ボランティア、そして移民といった異なる背景を持つ人々を結びつけ、連帯が具体的な実践として立ち上がる空間を築いていたように思う。