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国際人権ひろば No.183(2025年09月発行号)

「戦後」80年に寄せて

日本軍「慰安婦」被害者を記憶してください

方 清 子(パン チョンジャ)
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

  「慰安婦」問題~日本はどう向き合ってきたのか

 8月14日は日本軍「慰安婦」メモリアル・デー。34年前に韓国で金学順キムハクスンさんが名乗り出て記者会見を行った。この日を境にアジア各国とオランダの被害女性たちが一斉に日本軍による性暴力を告発した。

 80年前に植民地支配から解放された後も朝鮮半島は新たな戦禍にさらされ、南北分断と軍事独裁政権による暴力、圧制に苦しんだ。民主化運動の先頭に立ったのは男たちだったが、最も過酷な現場で女性労働者、農民、貧民、学生たちも闘い続けた。1987年の民主化宣言以降、女性たちは政府主導の外貨稼ぎ政策であるキーセン観光や性売買などをめぐる女性の人権回復のための歩みを進め、日本軍「慰安婦」問題に取り組む。1990年11月、37の女性団体で韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成される。被害の責任を被害者自身に押し付け、沈黙を強いてきた社会で、「あなたの声が聴きたい」という呼びかけに初めて応えたのが金学順さんだった。そして、証言の場で「私はこのことのために今まで生きてきた」と語った。

  「慰安婦」問題について、1990年の国会質問で「民間業者が連れ歩いた」と関与を否定した日本政府だったが、1992年に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領との会談で謝罪し、その後2度にわたる調査を経て1993年に「河野官房長官談話」が発表される。不十分ながら日本軍の関与と強制性を認めており、日本政府の公式立場として現在も外務省のHPにあげられている。以降、保守・右派勢力によるバックラッシュの時代が押し寄せる。

 1997年「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」、「新しい教科書をつくる会」、「日本会議国会議員懇談会」が次々と発足する。その中心にいたのが安倍晋三元首相だった。2006年第一次安倍政権が発足すると「河野談話」を継承するとしながら、談話を「検証」し強制性を否定することで「慰安婦」問題に終止符を打とうとした。第二次安倍政権下で発表された2015年「戦後70年談話」では「子や孫に謝罪を続ける宿命を負わせない」と述べた。

 同年12月の日韓外相による「日韓合意」は国庫からの10億円の拠出と引き換えに「平和の少女像」の撤去、「性奴隷」という表現を使わない、今後国際社会でこの問題を取り上げないことを約束させたうえで、「最終的不可逆的」に解決したことを宣言した。被害者らは猛反発したし、そもそも「慰安婦」問題は日韓だけの問題ではない。

 石破政権は2025年4月の参議院予算委員会で紙智子議員の質問に「河野談話」を継承することに「変更はない」と答えた。ところが、日韓条約60年を迎えた6月20日、日韓市民らが共同で要望書(1 を提出し、被害者への謝罪と賠償、調査を含めた真相究明など7項目にわたる要求を行ったところ、回答として外務省HPのURLが送られてきた。そこには、

  • 1965年日韓請求権協定で解決済み
  • にもかかわらず1995年「アジア女性国民基金」、2015年「日韓合意」で対応してきた
  • 「強制連行」・ 「性奴隷」・「20万人」は間違いである

とある。まさにダブルスタンダード、二枚舌というべきだ。

 この間政府は、アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、イタリアなどで市民を中心に展示・設置された「慰安婦」関連メモリアル碑を現地の日本大使や企業、日本の姉妹都市関係者に働きかけ、「日本政府の立場と違う」「反日」という理由で中止、撤去させてきた。6月の国会外交防衛委員会で岩屋外相は質問に答えて「世界(にある)30の像についてこれからも引き続き撤去要請をしていく」と述べた。

 被害者主体の運動~国際社会での訴え

 挺対協はこの問題を国際社会に訴えようと1992年国連人権小委員会(当時)に提起、黄錦周ファンクムジュさんが証言を行った。これを機に国際機関は日本軍による戦時性暴力に強い関心を持って取り組む。同年12月には人権小委員会ファン・ボーベン特別報告者が日韓を訪問し、韓国と日本で被害者を招いて公聴会が行われた。女性に対する暴力問題に取り組む女性人権ネットワークも積極的に反応した。

 翌1993年6月にウィーンで開催された国連世界人権会議に金福童キムポットンさんとともに参加した挺対協は「日本軍『慰安婦』問題アジアフォーラム」を開催し、「慰安婦」問題がアジア・太平洋各地で行われた日本の戦争犯罪であること、日本の法的責任を認めさせるよう求めた。こうした動きは同年12月の国連総会での「女性に対する暴力撤廃宣言」採択につながった。

 1994年、女性に対する暴力特別報告者ラディカ・クマラスワミによる「日本軍性奴隷に関する報告書」により「慰安婦」問題は国際的関心を集め、女性の人権問題として焦点化された。翌1995年、北京女性会議でも挺対協を中心に「慰安婦」問題を積極的に訴え、戦時性暴力として国際的に認知された。1990年代初め、ボスニア紛争やルワンダ内戦などの民族紛争下で起こった集団強かんについても後に国際刑事裁判所が開かれ、裁かれている。裁判を通して女性に対する戦時性暴力は「人道に対する犯罪」という認識が形成された。

 1996年には国連人権小委員会でマクドゥーガル報告書が採択され、加害者の処罰の明確化および女性の人権規範の発展という世界史的成果を得た。

 このような報告書や事例にもとづき、国際人権機構が日本政府の責任を問う勧告を繰り返しているが政府はこれに応じるどころか、「(勧告に)従うことを義務付けていない」と閣議決定した(2013年)。

 「慰安婦」は性奴隷であり、慰安所が強かん所であることは確固たる事実だ。被害者らは国際機関や各国議会でも証言を行い、2007年のアメリカ・カナダ・オランダ・EU欧州議会での「慰安婦」決議採択に結び付いた。これを受けて2008年以降日本の各地で「慰安婦」意見書可決運動が広がる。関西を中心に被害者が直接訪れ、市民や議員に訴え、多くの市町村議会で意見書が採択された。まさに被害者を主体とする運動が女性の人権の地平を拓いた。

 記憶をつなぐ~再び戦争への道を歩まないために

 2016年の女性差別撤廃委員会日本審査の場での日本政府の対応は、こうした国際社会の認識との深刻な乖離を表している。杉山外務審議官(当時)は「慰安婦」が強制連行されたという見方が流布された原因は1983年、吉田清治氏が書籍で「女性狩り」を捏造したこと、これを報じた朝日新聞社にすべての責任があるとしたうえで、「日韓合意」で解決済みと主張した。各委員から、「問題を否定する一方で、なぜ日韓合意を進めたのか」など疑問や不満が突きつけられた。日本政府は被害者自身の訴えを虚偽とみなすことで現在進行形の二次加害を行っている。歴史を歪曲し、女性の人権を軽視する行為の根底には植民地意識がある。

 同じ場に「慰安婦」歴史の否定を目的に参加していた杉田水脈氏がマイノリティ女性たちの権利を訴える参加者の民族衣装を揶揄するヘイトスピーチを行い、後に人権侵害を認定されたことは象徴的だ。私自身も「慰安婦」問題解決運動の中でヘイト発言に苦しんできた一人だ。「慰安婦」問題の解決を求めて2005年に始まり、今年で20年目を迎える大阪駅前水曜集会の現場に2009年ごろから「在日特権を許さない会」(在特会)ら極右勢力が現れ始めた。「金目当て」「売春婦」「おいこら朝鮮!」などヘイト発言を連呼した。証言集会や学習会、どこにでも押しかけてきた。2013年、警察は在特会らが妨害目的で出した被害届を口実に、水曜集会に関係するとみなされた7か所に対する家宅捜査という常軌を逸した対応を行い、橋下大阪市長(当時)の「戦場に慰安婦が必要なのは当たり前」との暴言と合わせて右派と公権力が一体となったヘイト、差別攻撃があった。そうした時代を経て水曜集会は今も続く。「イアンフって何?知らんわ」と通り過ぎる若者、立ち止まってスピーチを聴いた後「イアンフさんのこと、習わなかったので勉強になりました」と言って立ち去った高校生。

 この夏、ドキュメンタリー映画「黒川の女たち」が注目された。国策により「満蒙開拓団」として移住した村で、敗戦後「性接待」という名でソ連兵による性暴力を受けた女性たち。その苦しみよりも帰国後に恥とされ、蔑まれたみじめさ、悔しさを語る。彼女たちに「恥」を押し付け、沈黙させておいて、女性たちを守るためだったと語る言葉が、沖縄をはじめ米兵による性暴力事件を、プライバシー保護という名の下で隠ぺいする政府の姿勢と重なる。2018年に「乙女の碑」の隣に碑文が設置され、建立式で遺族会代表が謝罪の言葉を述べた。事実が明らかにされ、謝罪を受けたハルエさんの晴れやかな笑顔が美しかった。顔を隠して撮影していた玲子さんも最後に穏やかな笑顔を見せてくれた。深く心を傷つけられた彼女たちが事実を認められ、謝罪を受けて人として尊厳を取り戻す瞬間に立ち会えた気がした。

 日本軍「慰安婦」被害者はその碑を「反日」と罵られ、謝罪も受けられないまま多くが亡くなられた。戦争犯罪に向き合わないまま再び戦争への道を歩むことはあってはならない。


<脚注>

1)
https://www.restoringhonor1000.info/2025/06/blog-post.html