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国際人権ひろば No.182(2025年09月発行号)

人権の潮流

人権教育・啓発基本計画(第二次)中間試案をめぐる問題点

林 陽子(はやし ようこ)
弁護士、元国連女性差別撤廃委員会委員長

 日本政府は、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律(2000年法律147号)に基づき、「人権教育・啓発に関する基本計画」を実施中である(2002年閣議決定、2011年に一部の変更がなされた)。これに対して、2024年から人権教育・啓発関係府省庁連絡会議において、第二次基本計画を策定するための検討が続けられてきた。法務省は2024年1月に中間試案(以下「中間試案」)を公表し、約1か月にわたり意見(パブリック・コメント)の募集が行われた (1

 一般に、文書の立案者は、触れてほしくない論点は最初から盛り込まないものである。したがって法令でも契約書でも、文書に書かれていることを批判するよりも、「書かれていないこと」を指摘することが重要となる。「中間試案」には次に述べるようないくつかの重大な論点が「書かれていない」のであり、最終答申までに抜本的な修正が必要である。なお日本政府は、人権に関する教育活動を「人権教育」(英文ではhuman rights education)、人権に関する広報その他の啓発活動を「人権啓発」(同human rights awareness-raising)と呼んで区別しており、法律名も教育と啓発とを併記する。これは教育が文科省、啓発が法務省の管轄に属するというもっぱら官僚機構の都合に由来するもののようであるが、何のための使い分けなのか、一般には理解しづらい。将来、国内人権機関(NHRIs)(後述する)が設立される際には、法律名・基本計画名も共に、国際的に用いられている「人権教育」に統一がなされるべきであろう。以下では「人権教育・啓発」をあわせて「人権教育」と表記する。

 人権計画そのものの不在

 中間試案は「人権教育」に関する基本計画への意見を求めているが、日本政府には人権教育の前提としての人権基本計画が存在しない。

 国際人権法上、最初に人権計画に言及したのは国際人権(社会権)規約(1966年)であり、無償の義務教育に関して「合理的な期間内に漸進的に実施するための詳細な行動計画」を2年以内に作成し採用することを約束する(規約14条)、と定めた。これを大きく発展させたのが国連第2回世界人権会議(ウィーン)宣言行動計画(1993年)であり、 「人権の伸長及び保護を促進させる措置を特定する国内行動計画(National Action Plan on Human Rights)の作成の有効性を各国が検討すること」を勧告した(パラグラフ71)。

 これを受けて国連高等弁務官事務所(OHCHR)は国家人権基本計画の策定を各国に求め、策定のためのハンドブックを公表し(2002年)、HP上には策定を終えた国のリストがあるが、日本は含まれていない。特に2017年以降、国家人権計画の必要性は国連の人権メカニズムの中でより強調されるようになっている。

 EUにおいても2019年、EU基本権機関(EU Fundamental Rights Agency)の中に国家人権基本計画の作業母体(working party)が設立された (2 。デンマークの国内人権機関であるデンマーク人権研究所(Danish Institute for Human Rights)の報告書(2022年)(3 によれば、国家人権基本計画は79か国に存在する。

 日本政府の施策は、ジェンダー平等に関しては男女共同参画基本計画(根拠は男女共同参画社会基本法)、障害者の人権政策に関しては障害者基本計画(根拠は障害者基本法)等、根拠法規が統一されず個別の法律に依拠している。これは日本に包括的反差別法がないこととも深く関連している。日本政府はまず包括的反差別法を制定し、それに基づく包括的な人権基本計画を立案すべきなのであり、今、法務省が行っていることは、順番が逆なのではないだろうか。


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ベルリンにあるドイツの国内人権機関の図書館(筆者撮影)


 国内人権機関に関する言及の欠落

 中間試案は、人権教育・啓発に関わる実施主体として、政府、地方公共団体、企業を含めた民間団体等を例示する。しかし、多くの国で人権教育に重要な役割を果たしている国内人権機関(NHRIs)について触れるところがない。国内人権機関の認証機関である国内人権機関世界連盟(GANHRI)によれば、国連パリ原則に基づき政府から独立した国内人権機関は世界に118機関が存在する(2024年12月現在)。筆者は海外の会議で日本の人権問題について報告・講演を求められる機会がたまにあるが、一番多く受ける質問は「なぜ日本には国内人権機関がないのか」というものであり、実際のところ答えに窮する。

 国連人権理事会における普遍的定期審査(UPR)におけるのと同様、条約機関における報告書審査においても、日本政府に対して繰り返し、政府から独立した国内人権機関の設置が求められている。最近のものとしては、2024年の女性差別撤廃委員会(CEDAW)の日本審査において、国内人権機関の設置に関する法案が「2012年以降保留されていること」(勧告原文。現実は保留ではなく廃案になったまま政府の努力は放棄されている)に触れた上で、「締約国が、この点に関して国連人権高等弁務官事務所の助言及び技術的支援を求めるよう勧告する」という厳しい指摘を受けている (4 。日本はODAの供与国である先進国だったはずであるが、「技術的支援」を求めるようにとまで条約機関に言われるのは、よほどのことであり、政府にはこの勧告の意味するところを重く受け止めてもらいたいと思う。

  歴史的認識に関する考察の欠落

 最後に、「中間試案」全体を貫く、歴史的事実への無視・無関心について、問題を指摘しておきたい。ひとつは、そもそも「人権教育・啓発基本計画」がよって立つ人権教育・啓発推進法はなぜ制定されたのか、その歴史に関する記述が決定的に不足していることである。

 今から遡ること60年(1965年)、政府の同和対策審議会は、同和問題を解決するためには生活環境を改善するための「特別措置法」、部落差別をなくすための「差別禁止法」および「人権侵害救済法」が必要である、との答申 (5 を出したが、実現したのは最初の特別措置法のみであった。

 時代を経て、政府が新たに発足させた人権擁護推進審議会は、人権委員会(仮称)という政府から独立した人権救済制度の創設を提言した (6 。これが日本における国内人権機関の萌芽であり、人権教育・啓発推進法は、本来、包括的反差別法・国内人権機関ができるまでの、暫定的な「つなぎ」の役割を担うはずであった。

 しかし、差別禁止法も人権侵害救済法も実現しないまま、「かりそめの姿」で4半世紀も存続することになってしまった。同和対策審議会と人権擁護推進審議会のいずれもが答申した差別禁止法・人権侵害救済法(人権擁護法案)が挫折したのはなぜなのか、その理由を政府は説明すべきである。「敗因」の分析なくして未来の成功の展望は拓けないからである。

 もうひとつの問題点は、「中間試案」には日本の植民地支配や民族差別の歴史についての考察、叙述が皆無であるため、日本の近代の歴史を学ぶ機会がなかった人たちには、たとえば在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチの背景等を理解することが困難であることである。

 今後、法務省から公表される最終案が人権侵害の当事者の声を汲み取ったものとなり、包括的反差別法や国内人権機関の設立を推進することに少しでも役に立つものとなるよう、注視していきたい。


<脚注>

1)
ヒューライツ大阪は18項目のパブリック・コメントを提出し、 「ニュース・イン・ブリーフ」(2025年2月28日付け)に全文が収録されている。筆者はこのパブリック・コメントの起草には参加せず、本稿に述べるような意見を個人として法務省に提出した。

2)
EU基本権機関(Fundamental Agency)は
EUにおける国家人権計画に関する報告書(2019年)を公表している。
https://fra.europa.eu/sites/default/files/fra_uploads/2020_outcome-report-wp-national-human-rights-action-plans.pdf 
National human rights action plans in The EU-Practices, experiences and lessons learned for more systematic working methods on human rights

3)
同研究所のHP(https://www.humanrights.dk)中の報告書
Nationa Human Rights Action Plans: An Inventory を参照。

4)
国連文書番号 CEDAW/C/JPN/CO/9

5)
同和対策審議会答申(1965年8月11日)(部落解放・人権研究所のHP)
https://blhrri.org/old/library/library_hourei_0001.pdf

6)
人権擁護推進審議会答申「人権救済制度の在り方について」(2001年5月25日)(法務省のHP)
https://www.moj.go.jp/shingi1/shingi_010525_010525.html


※編注:本基本計画は、6月6日に閣議決定されました。